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下関店
【Butterfly】Seishiro
投稿日:2018/12/17
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【人生と写真館】
***
いつだって一緒にいた
あたりまえの毎日も
いつかきっと
なつかしい日になっていく。
涙をふいてもらったことも
服を着がえさせてもらったことも
抱きしめてもらったことも。
全部 全部
しあわせなこと
***
ずっとむかし。
撮影中、なにをどうしても泣いている赤ちゃんがいました。
1歳の記念でスタジオにやってきたのに、
延々とずっと顔を真っ赤にして泣いていたのです。
写真を仕事としてまだ間もない頃で、
心のどこかで笑顔の写真を撮らなければという焦りさえもありました。
きっとその笑顔の写真というのは、
その赤ちゃんに対する配慮やプレゼントではなく、
親御さんへの仕事としての提供として、考えてしまっていたものでした。
ところがその赤ちゃんはいっこうに泣きやみません。
おさまるどころか、ますます泣いて、
かわいそうでわたしもカメラを置いて見守ることしかできませんでした。
結局その日は撮影を中断し、人見知りや場所見知りがおさまるかもということで、
半年後にまた撮影をしましょうとなりました。
半年後。
ドキドキしながらその子を待っていました。
今日は一緒に遊べるかな。今日は笑顔の写真が撮れるかな。と。
しかし、その再会の日も、始終、また声が張り裂けんばかりに泣いていました。
唯一、おかあさんに抱かれている時だけは泣き止んでいた赤ちゃん。
たった少しでもお母さんから離れられなかったのです。
この子の今は、この姿なのだと、
この離れられない姿があってこそ、今を生きている瞬間なのだと、
ただ息を殺して、自分の姿を消しながら、おかあさんと赤ちゃんの空間をそっと撮影していました。
75cutという写真の中で、笑顔の写真はほとんどありませんでした。
気に入らなければ料金はいらないという説明もしましたが、
お母さんは「これがこの子の姿なので。ありがとうございました。また会いに来ます。」
と、すべてを受け入れてくれたのです。
この出会いが、わたしの原点です。
泣きに泣いていた赤ちゃんは2歳の撮影では一滴も涙を流しませんでした。
そして今ではもう8歳になり、会うたびにカメラに興味を持ってよく写真を撮っています。
あの日の姿からは想像もできないくらいに大きくなりました。
でも、あの日の記憶と写真があるからこそ、わたしはこの子のはじまりを、そしてお母さんの愛情を、一生忘れないと思っています。
人生というのは、ひとりひとりの生き方に対する姿勢であり態度であると感じています。
それは、生まれたての赤ちゃんであっても、おとなであっても同じで、
ひとりひとり違うものでもあり、人生という長い尺で捉えそうでも、
その瞬間瞬間にも人生が人としてその人自身に表れるものではないでしょうか。
だからこそライフスタジオの「人生の写真館」というフレーズに対して、
わたしたちはその人生の現実をしっかりと写すこと、受け入れ見届けることが役割であると思っています。
ただ、笑っているとか、かわいいだとか、おしゃれだとか、そういうものを写真に求めるのではなく、この空間で現れる、その人、その人の生き方という人生を、しっかり感じて残していきたいのです。
いつもとは違う空間で、こどもたちにもいろんな反応があると思います。
笑えなかったら、無理に笑わなくてもいい。
泣きたいときは、泣いてもいい。
そんな時でも、ちゃんと側にいてくれる人がいるということ。
こどもたちのいろいろな姿に、家族の姿が現れる。
そのまなざしや、その温もりを伝えること。
きっとその姿がまた、安心や勇気として伝わるように。
そしていつか、いつもとは違うこの空間が、家族にとってのいつもの場所になったら。
人生の時々を見返しながら、たくさんの思い出話を一緒にしたいと思うのです。
気付かなかったことに気付けるような。
忘れそうなことを思い出せるような。
知ろう、という意志を持てるような。
そんな、人生の寄り道になっていきたいと思います。
あなたのお母さんが
あなたのお母さんである理由を、
この場所でいつも感じています。
おかあさん、ありがとう。
******
この文章は2年前、下関店の写真展で母と子の展示ブースにて発表したものです。
ひとつひとつの、母と子、父と子、家族写真など。
写真展で色々な姿を眺めながら、自分の原点に触れる時間となりました。
そして1歳の頃に出会ったこの文章の主人公も、とうとう今年10歳になりました。
彼と出会わなければ、わたしはこの仕事の価値ややりがいなど知る由もなく、
こんなにも人間臭くてしんどい仕事なんて(とか言っちゃいますけど!)、1年も続かなかったかもしれません。
写真館で働くってけっこうしんどい。
楽しいだけなんかじゃない。
ただ生活のためって割り切れるほど単純な仕事でもない。
人の人生に関わっていく、関わってしまうこの仕事は、けっこうしんどい面もあるのではないかなぁと思います。
10年前。
不特定多数の人と毎日毎日はじめましてがあって、それぞれの人生を生きてきてそれぞれの価値観があって、
何を提供して何を受け取ってもらうか、何を受け入れ、何を拒否されるのか、人の姿がどどどっと押し寄せてくるように見えてくるようなこともあれば、
何を考えているのか考えても分からない時さえあり、わたしはどうすればいいんだろう、どうすればよかったんだろう、
というような何が正解なのかさえも人によって違う毎日に困惑することも多くありました。
そんな入社半年の頃に出会ったのが、せいちゃんでした。
色白で、栗色の細い髪の毛。
はじめての出会いは、1度目も、再撮影の2度目も、声が張り裂けんばかりに泣いていて、心が痛くなるようなこともありました。
泣き止ませるのが仕事なのか?笑った写真を残すこと?
わたしが一番に考えなければいけないことは?
それを強く考え撮影した1枚がphotogenicとして選んでいただけ、当時、悩みが尽きないわたしは少しだけ、というよりも、
大きな勇気をもらえたような気がします。
※当時のphotogenicはこちら。
(リンク貼ろうとしたらエラーなのでまた治ったら貼ります!)
それでもこの仕事をする中で、自分が自分として本当の意味で人と対峙していなければ、恥ずかしいことばかりだし、きつくなってくることもある。
お客様だけでなく、自分の価値観と組織との価値観、そして写真館という枠の中で何を残さなければならないのか、葛藤ばかりのことだってある。
ただ写真を撮ればいいというのがライフスタジオではなく、わたしたち自身にも成長や変化を求められる。
理想と現実の違いや自分の不甲斐なさから目を背けようとして、辞めよう、辞めよう、と思うたびに、
いつでもなぜかタイミングよく成長してゆく彼との再会があって、
しんどいしんどいと思っていたことが、「これでいいのかも」そう確認できるようなことがあったり、
なんだかフッと楽になった瞬間がありました。
撮り続けなければ分からないことがある、写真館というこの仕事の価値は続けることで見えてくるのかもしれない、そう思えるようになりました。
もう次はないかもしれない、そう思った時でも、下関店としてこの仕事を続けることが出来た今も、会い続けることが出来、
お互いの人生が10年間、重なりあってここまできたような気がします。
なんだかんだで10年。あれよあれよと10年。
しんどいを越えていくと、覚悟が生まれる。
覚悟ができれば、楽しくなってくる。
不思議なものです。
今ではもう、かけがえのない仕事となりました。
泣いている姿しか見れなかった赤ちゃんだった彼は、会うたびに成長を見せてくれ、
うどんしか食べてるところを見たことなかったのに食べる量も増え、
弟が生まれもっと活発になって、
手に砂がつくのを嫌がっていたこともあったのに昆虫大好きになって泥まみれにもなって、
いつしかオレと自分のことを呼び、
今やもう自分の携帯から「今日さ~あそこに行ったんだよね」なんてルンルンして電話してくれるようになりました。
成長が嬉しいなんてことをぐーんと通り越して、ちょっと笑いも出つつ、あぁ、こうしてまた大人に近づいていくんだなぁと実感しています。
人は、人に成っていく。
わたしも10歳年を重ねました。
いつも再会するたび、同じように変化しながら成長できているのか、恥ずかしくない自分でいれているか、
上がったり下がったり自問自答する中でも、前に進む力をもらっています。
そしてこの仕事を通して、たくさんの出会いと別れに触れながら、人生に対してどうせいつか終わりが来るんだからという刹那的な考えが、
生きているうちに何をどれだけやれるかということを考えるようにもなりました。
自分自身の人生を生きることの大切さを、今、とても実感しています。
わたしがここにいる理由をくれた彼が10歳になるということで、
内緒で10年分の写真をスライドショーにまとめて10月に弾丸で神奈川まで会いに行ってきました。
スライドショーを作る過程で、どんな写真が残り続けるのだろう、残ってほしいと思うのだろうと考える時間になり、
13回撮影した中のそれぞれの75cutを通して、
撮影のたびに前よりももっと良い写真を、というプレッシャーの中で技術的な面も関係性という面も
色々とぶちあたりながらここまでやってきたなぁなんて色々思い出しながら、
「その時その時の、その人だけの姿がしっかりと残っているもの。
その人の核心的なものが現れているもの。
記憶に残っている瞬間」
そんな写真を集め3分程度の動画にまとめました。
待ち合わせ場所は、きみどりカフェ。
お母さんにだけ会いに行くことを伝えて、こどもたちにはサプライズ。
学校帰りにランドセルをしょったまま、きみどりカフェにきたせいちゃんは、一瞬状況を読み込めなくてびっくりしてましたが、
1秒後には満面の笑顔で近づいてきてくれ、「なんでいるのー!」と嬉しそうに、昆虫やら学校のことやらマシンガントークをしてくれました。
きみどりカフェの篠原さんも大橋さんも、もちろんせいちゃんのことは知っていて、(スタジオ時代からも知ってくれているけど、カフェがご近所さんで常連さん)、わたちたちのクッキー付きのスペシャルシフォンケーキで10歳を祝ってくれました。
その後、みんなで一緒にスライドショー鑑賞会。
「こんなことあったねぇ」「覚えてる?」「これはあの時だねぇ」
なんて、しみじみ。
どんな写真が残るのか、残ってほしいのか。
ただ撮影があって、撮って終わり、そうでなく、こうして一緒に振りかえられる関係があるということ。
写真を見返すと、その時の天気、空気、感触、会話、その時々の思い出がフラッシュバックしてきます。
それと同時に、自分自身がその時々どうだったか・・・思い出せもするから不思議です。
何度も何度も何度も何度も、乗り越えてきたことが蘇る。
だから、また次に会うときまで頑張ろうと思える。
そんな、なんとかかんとかやってこれた10年。
まだまだ10年。折り返し。
あと10年経ったら、20年分の写真を中島みゆきの「時代」に合わせてスライドショー作って、お酒飲みながら一緒に見る予定です。
(本気でスナックLIFEしたいんだけどなぁ・・・)
日々出会うこどもたち、こどもたちだけでなくすべての人へ。
「自分だけの人生を」そういう気持ちをこめて撮影に臨んでいます。
生きていってほしい。
だからこそ、わたしもまだまだしっかり生きていこうと思えるものです。
「人生と関わってゆく写真館」
そのために何をしなければならないのか。
しっかりと残し伝えていくこと。
まだまだあと10年はやっていきたいと思います。
100年先をイメージしながら。
(10年とか短すぎやろ、とようちゃんからつっこまれてるので、体が動く限りがんばります!笑)
せいちゃん、いつもありがとう!
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