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下関店
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Last BLOG  Yatsu

投稿日:2017/11/2

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2011年に出会った谷津くん。
わたしが初めて、面接をした人でした。
そんなこんななエピソードはひとつ前の写真と共に書いているのですが、
なんとまぁ、頑固というか、自分の世界が強いというか、変な人というか、
でもきっと、それはお互いさまであって、
湘南店で起こる数々の無茶ぶりにも、新横浜のはじまりでの怒涛の時にも、
教育チームでも、本社でも、
悶々としながらも、いつも自分の答えを持って付き合ってくれては、
リー社長からは「やつ!」といつも尻をたたかれ、
パク社長には「やちゅ♡」と愛され、
耳にイヤホンつけてるから、電話が独り言に見えちゃうし、
一緒に新宿歩いてたら、知らない人に捕獲されてるし、
だいたい揉め事には入ってる方だし、
こどもたちに泣かれないように、大きな体でおねえさん風にしゃべっちゃうから、
「ひげのはえた女!」と時には言われちゃうし。。。

どんな6年間だったんだろう。
と、なんだか最近、よく思い出します。
ここにきて、どこに向かうんだろう。
多分。難しい人に思われることもあるかもしれないし、
なんだかはっきりもしない人に思われることもあるかもしれない。
そんなん優しさじゃないよ、って何回言ったかもわからないし、
無理な自己犠牲なんていらない、って言ってしまったこともあった。

けど、なにかが有る人に違いない。はず。
多分、この人とはずっとつながっていく気がする。
って、はじめて面接をした日に思ったのでした。


3年前の10月。
自分から何もなくなって、からっぽになった時、
この先何をやるか分からないし、今はなにも出来ない、と言ってる時に、
「下関店がんばってください」
なんてプレートがのったケーキをくれた谷津くん。

は????!!!って。正直なりました。
今は何もできないっつってんでしょうが、って。
そんなプレート、プレッシャーでしかなかった。

でも、あの時。
それでも別の道に行かずに、やっぱりまだやらなきゃいけないことがあるんだって思って、
今、わたしはプレートの通り、下関店をやってます。
どうなるかわかんないな、って本当に思います。


谷津くんがここを去ってから、谷津くんのブログを見かえして、
最後のブログを見た最後の最後、目がテンになりました。




写真は、ただ、写真なんかじゃない。
溢れかえってくる想いは、なかなか言葉にできなくて、
ずっと頭と体の中に停滞していましたが、ちゃんと、その意思を産んで育まないと。

って、ことよね?やっちゃん?


すくう。すくいあげる。そんな寫眞。
そう言っていた、谷津くんのあの日の言葉を思い出します。


谷津君の最後のブログ。
今日見たら消えてたから、ギリギリセーフ。

***********






Iris 020  見えないことの美しさを。





「諦めたらそこで試合終了だよ。」
 
最近安西先生の言葉が胸に響きます。
自分は諦めてしまったんだろうかと。
 
「何が起きても揺らぐことのない、断固たる決意が必要なんだ。」
 
自分の断固たる決意とはなんだろう。
 
山王戦前の安西先生の言葉に、
自問自答の日々はこれからも続くんでしょう。
 
 
スラムダンクは、サッカーをしていた私でも、バスケットがこんなにワクワクできるものなんだということを教えてくれた、所謂バイブル的な漫画だ。
 
何かに打ちのめされそうになったとき、
いつもこれを読んで自分を奮い立たせていた。
 
まだできることがあるはずだ。
きっとまだ燃えカスがあって、どこかまだくすぶってるんだって。
 
ライフスタジオという場所に、本当に未来を見てたから。
 
この会社が好きだなって思うし、ちゃんと人が作った会社なんだってことを肌で感じた6年だった。
 
寫眞館の寫眞はもっと自由であるべきだということを、ライフスタジオで学びました。
寫眞館の寫眞はもっと美しくあるべきだということも、ライフスタジオで学びました。
だから私は思うのです。
寫眞館の寫眞とは、もっと人の内面に踏み込んだ、その人の人としてのもっとも輝く何かを撮影することだと。
カメラマンは、その何かを発見するために切磋琢磨しつづけなければならないことなのだと。
 
 
人は隠された部分を勝手に想像してしまう習性がある。
だから映画の根幹はただ単に美しい映像よりも、その先にある何かをいつも論点にあがるわけだ。
最近流行りの女優ばっか並べてれば取り敢えず視聴率は撮れるでしょ的考えじゃ、
着飾った装飾品に憧れることがテーマになっちまうてわけだ。
 
ふかわりょうが言ってた。
テレビの時代は終わったって。
ただのエンターテイメントに成り下がったって。

テレビ自体がもともとそういうもんだそういうもんだと言われればそうかもしれんが、
そうじゃないってテレビの向こう側を信じてたのは確かだ。

 
後ろ姿やパーツカット等、抽象度の高いイメージカットは、簡単に撮れるものではなくて、具体的な内容がないと奥行きのない薄っぺらい寫眞になってしまう。
薄っぺらい寫眞は、想像力を与える程力を持たない。
記録とか、記憶に残すことだけじゃなくて、寫眞を見た相手が被写体の隠れた部分を想像できるという観点において、ライフスタジオの寫眞は頭一つ飛び抜けていると思う。
それは、人の美しさについて、哲学を通して外面と内面を追求してきたからなのだろう。
 
 
君がスタジオに入ってきて、最初によろしくーと声をかけたとき、私のことを怖がったのを覚えている。というか、よく怖がられるから君は間違ってないよ。
撮影をしながら、徐々に距離を縮めていき、最後は一緒にご飯を食べに行こうと、帰るのをためらっていたことも覚えている。
素直で、優しくて、照れ屋で、よく笑う。
 
 
手を伸ばす。
シャボン玉を掴む。
それだけの動作なのだけれど、
君の感情がわっと溢れ出た瞬間だった。
後にも先にも、こちらの意図とは関係なく、溢れ出たその感情を寫眞に収めようとしたとき、表情の一部を隠そうと思った。
きっと、君の瞳はキラキラしている。
パパとママの顔を初めて見た時のように。
 
寫眞は特別なものだということを、私たちは再認識しなければならない。
寫眞は物理的にはプログラムモードでシャッターを押せば撮れるものだけど、
寫眞はシャッターを切るまでの真理的プロセスにこそ可能性を見出さなければ、私たちの仕事は消費という大きな経済の波に呑まれてしまう。
 
 
だから、今だから、そういう人が必要なんだよ。

ねぇ、河野さん。
 
 

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人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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