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下関店
回想
投稿日:2017/11/1
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どこでなにをしていようが、
わたしは私として、彼は彼として、
生きている限り、この世界を疑いながらも信じていくために、
きっと写真を撮るんだろうねぇ、、、なんて。なんて。
そんなことを思いつつ、断片的な思い出に浸ってます。
めちゃくちゃ寒い海岸線を、大仏になりすまして自転車をこいで、AKBを踊ったあの日が、
もう6年前だなんて。
難がありすぎる湘南店を共に過ごしてくれた、谷津くんに感謝をこめて。
生きてる限り。この世界を見ていきましょ。
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2013年 新横浜店
photo yatsu codi kawano
坊主でスーツ。
大きな体は隠れきれなくて、
こどもたちに気づかれて困ったような顔をしていました。
はじめて会った日。
なぜ、ここに来たのか。
この人はどんな人なのだろうか。
履歴書よりも、ポートフォリオをずっと見ました。
フランスでの数々の写真。
坊主でスーツの印象からはちょっと離れた、
柔らかくて淡い写真でした。
少し遠い所から、存在を隠して、
眺めているような、見つめているような。
そんな後ろ姿の写真が多くて。
正面から向かいあっている写真はそんなになくて、
わたしはつい、「あなたは人が好きですか?」
と質問してしまいました。
人と向き合うことに恐れることが、ここの場所ではなかなか出来ないこともあっての質問でした。
質問の意図に気づいていた彼は、後ろ姿の写真の理由を教えてくれました。
彼の存在感故の、ちょっとした理由があったからこその写真だったのだと知りました。
だからこそ、後ろ姿も含めて、その日見た写真が彼の写真であるのだと気づきました。
好きとか嫌いとかではなく、
後ろとか正面とかでもなく、
そこには世界があって、そこに人がいる。
不確かなようで、確かめたくて、
この世界と今いる自分との距離の中で、
流れる瞬間を止める。
柔らかくて淡くてどこか刹那的でもある彼の写真の中には、
いつでもかすかに彼の眼差しが写っているようでした。
あの日からもう2年の時間が過ぎていました。
色々なことがあった時間の中で、
この写真を見た時に、はじめて会った日のことを思い出しました。
いつも、遅くまで話をしているのは写真のことばかりでした。
どういう写真が撮りたいのか、海外のもの、雑誌、他のスタジオのもの、色々な写真をストックしながら、なんでこの写真なのか、この写真の意図は何なのか、そんな話をしていると時間はすぐに過ぎていくようでした。
新横浜店がはじまる前にも写真の話をしながら、わたしが集めた写真を見つつ考えていました。
どういう写真を撮っていこうか。
その意見の中には、見守っている写真を入れていこうということがありました。
それが現れたような1枚かと思います。
世界を少しだけ遠くから見つめることで切り取れる瞬間。
ちょこんと顔を出しているうさぎのぬいぐるみが、この1枚のリアリティーでもあります。
お店に着いて車から降りてきた時から女の子が大事そうに抱えていたぬいぐるみ。
生まれてすぐにプレゼントしたものだと聞いて、それならと、ぬいぐるみに合わせたコーディネートを提案しました。
一輪の花も、伸びた影も、全てを含んだその日の空間の中で歩んでいる姿。
彼の写真でもあり、わたしがイメージしていた写真でもあって、嬉しかったです。
全体的な色味のバランスをとっていると、どこか単調になり曖昧になってしまうこともありますが、
上の空間を入れないことでより強い光面を介入させず柔らかさを損なっていない点とカメラ位置の角度、手前の前ボケと女の子の髪の毛の黒、そこからハイライトまでのゆるやかな諧調があるからこそより立体的にも見えます。
あたたかく、冷静に、見守ること。
そのバランスが大切であると、日々感じています。
穏やかに。
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