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下関店
母と子
投稿日:2017/9/22
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***
いつだって一緒にいた
あたりまえの毎日も
いつかきっと
なつかしい日になっていく。
涙をふいてもらったことも
服を着がえさせてもらったことも
抱きしめてもらったことも。
全部 全部
しあわせなこと
***
ずっとむかし。
撮影中、なにをどうしても泣いている赤ちゃんがいました。
1歳の記念でスタジオにやってきたのに、
延々とずっと顔を真っ赤にして泣いていたのです。
写真を仕事としてまだ間もない頃で、
心のどこかで笑顔の写真を撮らなければという焦りさえもありました。
きっとその笑顔の写真というのは、
その赤ちゃんに対する配慮やプレゼントではなく、
親御さんへの仕事としての提供として、考えてしまっていたものでした。
ところがその赤ちゃんはいっこうに泣きやみません。
おさまるどころか、ますます泣いて、
かわいそうでわたしもカメラを置いて見守ることしかできませんでした。
結局その日は撮影を中断し、人見知りや場所見知りがおさまるかもということで、
半年後にまた撮影をしましょうとなりました。
半年後。
ドキドキしながらその子を待っていました。
今日は一緒に遊べるかな。今日は笑顔の写真が撮れるかな。と。
しかし、その再会の日も、始終、また声が張り裂けんばかりに泣いていました。
唯一、おかあさんに抱かれている時だけは泣き止んでいた赤ちゃん。
たった少しでもお母さんから離れられなかったのです。
この子の今は、この姿なのだと、
この離れられない姿があってこそ、今を生きている瞬間なのだと、
ただ息を殺して、自分の姿を消しながら、おかあさんと赤ちゃんの空間をそっと撮影していました。
75cutという写真の中で、笑顔の写真はほとんどありませんでした。
気に入らなければ料金はいらないという説明もしましたが、
お母さんは「これがこの子の姿なので。ありがとうございました。また会いに来ます。」
と、すべてを受け入れてくれたのです。
この出会いが、わたしの原点です。
泣きに泣いていた赤ちゃんは2歳の撮影では一滴も涙を流しませんでした。
そして今ではもう8歳になり、会うたびにカメラに興味を持ってよく写真を撮っています。
あの日の姿からは想像もできないくらいに大きくなりました。
でも、あの日の記憶と写真があるからこそ、わたしはこの子のはじまりを、そしてお母さんの愛情を、一生忘れないと思っています。
人生というのは、ひとりひとりの生き方に対する姿勢であり態度であると感じています。
それは、生まれたての赤ちゃんであっても、おとなであっても同じで、
ひとりひとり違うものでもあり、人生という長い尺で捉えそうでも、
その瞬間瞬間にも人生が人としてその人自身に表れるものではないでしょうか。
だからこそライフスタジオの「人生の写真館」というフレーズに対して、
わたしたちはその人生の現実をしっかりと写すこと、受け入れ見届けることが役割であると思っています。
ただ、笑っているとか、かわいいだとか、おしゃれだとか、そういうものを写真に求めるのではなく、この空間で現れる、その人、その人の生き方という人生を、しっかり感じて残していきたいのです。
いつもとは違う空間で、こどもたちにもいろんな反応があると思います。
笑えなかったら、無理に笑わなくてもいい。
泣きたいときは、泣いてもいい。
そんな時でも、ちゃんと側にいてくれる人がいるということ。
こどもたちのいろいろな姿に、家族の姿が現れる。
そのまなざしや、その温もりを伝えること。
きっとその姿がまた、安心や勇気として伝わるように。
そしていつか、いつもとは違うこの空間が、家族にとってのいつもの場所になったら。
人生の時々を見返しながら、たくさんの思い出話を一緒にしたいと思うのです。
気付かなかったことに気付けるような。
忘れそうなことを思い出せるような。
知ろう、という意志を持てるような。
そんな、人生の寄り道になっていきたいと思います。
あなたのお母さんが
あなたのお母さんである理由を、
この場所でいつも感じています。
おかあさん、ありがとう。
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