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下関店
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photo:I love YOU

投稿日:2015/9/1

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人は意識の上では愛されないことを恐れているが、
本当は無意識の中で、愛することを恐れているのである
 
エーリッヒ•フロム
 
 
愛という言葉を聞くたびに、それが愛なのかと悩み、
愛という文字を見るたびに、これで愛なのかと悩みます。
悩むという言葉があっているかもどうかと思うくらい、
自分にとって愛という定義そのものがまだまだ曖昧です。
愛と優しさは、愛と思いやりは何が違うんだろう。
そんなことを考えながらも、様々な人から「あなたにとって愛するということはどういうことですか」という質問をよく受けては、
シンプルに「パンをあげることだ」と答えていました。
自分だけのものにしないこと、与えること、見返りを求めないこと。
その程度でしか考えられなかった愛を、わたしはまだ文字や言葉にして使うことはありませんでした。
けれど今月は、そんな愛という言葉や文字を贈ってもらうことが多くあり、
普段は愛とかなんとかを文章では使わないのですが、少しばかり使ってみようと思います。
 
 
 
人には孤独を求める部分と、つながりを求める部分が、誰にでも多かれ少なかれあると思いますが、自分自身に対する疑いや不安の中で、欲求が恐れにもなり、人に対してあと1歩踏み込むことのできない弱さを生み出してしまうこともあります。
フロムの言葉を通して、人には愛されたいという意識的な欲求と、潜在的に傷つきたくないから愛することを恐れ避けてしまうという行動があるのだと感じ、その葛藤と矛盾を超えていく、そこにこそ愛が存在し人と人としての関係が成立するのではないかと考えました。
 
 
スタジオで撮影をしている時、愛しているという実感や愛されているという感覚を感じてもらえているのではないかという瞬間に遭遇します。
その瞬間には優しさや思いやりをはるかに超える、強い想いを感じます。
そういう時には、これが愛というものなのかとも思います。
愛しているということも、愛されているということも。
実感として大切なものでありますが、愛することができている、人を愛せている、という
自分自身の不安が少しでも解消されるような、
自分の中に残っている心の確認としての実感、安心感を伝えることも大切だと思っています。
孤独な状態や愛を感じられない状態が続くとき、
人は人としてのエネルギーが空っぽになりそうで、
人であることを諦めそうになったり、逆に人を傷つけてしまうようなことが、
多かれ少なかれあるような気がします。
それは自分の存在に対して否定的な考えしか生み出すことができなくなることもあります。それでも、恐れを克服しながら愛してくこと。

伝えたいものは、愛、そのものの実感というよりも、
人として人を愛せていた、愛しているという、その人自身の存在に対する肯定としての実感。

人を愛し、愛そうとし、努力しているchoさんの姿を通して、
これが人としての姿だと感じました。

 I love YOU.
あなたがいるからわたしがいる、かけがえのない現実。



shimonoseki PHOTO
kawano yoh
 
 
 

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人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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