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下関店
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投稿日:2014/10/26
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楽しいということは、どこか寂しくて、
嬉しいというのも、どこか悲しくなることがある。
美しさの中には、怖さがあって、
見たいのに、見たくない何かがある。
今という瞬間がこの先も続くとは限らなくて、
そんな不安定な時間の中を生きていくのはとても不思議なことだ。
ただ写真というものだけには、そういった反作用的なものから解放されるような、
どこか安心感にも似たものに埋まっていく感覚がある。
流れてしまうものを、少しだけ留まらせておくことができることに対しての許可。
そこに自分自身の心が反応しているのかもしれない。
23歳でわたしのイメージが止まっているなら
彼女は依然25歳のままだ。
でももう、それから5年が過ぎた。
多摩川が下流へと流れるのと同じように、
時間は一方に流れていくものなのか、わたしには分からないけど。
そういうことになっているのは確かでもある。
それを信じなきゃいけないのか、信じることができるのかは別として。
川と海は別なのに、いつも繋がっている。
何が大切かという話をしたことがあった。
わたしは、時間、だと答えた。
とても寒くて暗い夜だった。
その日に、決めたことがあった。
その時わたしは25歳だった。
写真の話をずっとしていたことがあった。
気がつくと終電なんかとっくに終わっていて、
当たり前のように、眠る前まで写真の話をしていた気がする。
先に寝ているソファの下で、写真のその先のことを考えていた。
写真の先にあるものは、形のないものでもあった。
その日、直感で感じたことがあった。
その時がまだ出会ったばかりの23歳の時のことだ。
別れを意識しだした時から、距離を置くようにするのだと話してくれた。
それにわたしは返事をしなかった。
わたしは常に、出会った瞬間からそのことを考える癖があったからだ。
この1年は、お互いに準備をしてきたような気もする。
寂しくないように。
変わらない日々を過ごせるように。
大切なものを見失わないように。
帰り際の電車を降りる時、いつも目を合わせてくれなかったけど、
1年前くらいから顔を見て別れられるようになっていた。
だから。
あの日の直感も、決めた事も、なんとなく、大丈夫だと思った。
故郷を離れて10年が過ぎた。
そして今また生きていく場所を変えた。
正確には、育ってきた場所に戻ったということでもある。
このことはもう出て行くときから戻ると決めていたことでもあった。
今日でちょうど10日。
10日、繰り返す毎日を過ごしながら感じることは、
変わらないということだ。
離れていても、近くても、
すぐに行けても、行けなくても、
変わらずに、穏やかに生きていてほしいと願うことは、
どこにいても変わらないものだと思います。
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