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下関店
scrollable

girl*kanae

投稿日:2014/7/13

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笑わない人は、いない、と思っています。
でも、ずっと笑っていられる人も、いない、と思います。
こどもたちに対しても、そう思います。
いくら笑わない子も、安心できれば、なにかツボに入れば、
きっとどこかで笑ってくれるはずと信じて信じて、
ただ信じても笑ってもらえないから、
たまに最後の手段で転げ回ったりして、あらゆる手を尽くしています。
この場所では、いつもどこかで笑顔を望んでしまう自分もいます。
残すなら笑った顔を残したいという気持ちが、写真スタジオという特色上、
需要として多く感じるからです。
わたしも、人の笑顔を見るのは嬉しいですし、やっぱり見たいと思います。
しかし、このスタジオの撮影の特色として1時間で75cutを残すということについて考えれば、
ただ、笑顔を残すだけの場所ではないとも、思います。
それがわたしたちの考える写真で表現するストーリーであり、
はじまりからおわりまでの中で、笑顔も含め、
その中に生きている姿をより美しく描写するということだと考えるからです。
 
正直、自分自身もよっぽどのことがない限りは
今でも初めての場所でなんてうまく笑えないし、
なんで合わせて笑わないといけないんだろって思うこともあるし、
それでも社会人として空気読んで形式的に笑っているようなこともあります。
(そういうのを自分自身で気づくとき、なんだか少し悲しいですが。)
そもそも小さい頃は泣きもしないけど笑いもしない、
こどもじゃないみたいなこどもたったと言われるので
笑えない気持ちもなんとなく分かるような気もします。
笑顔がなかなか出ないこどもたちに対して、
心の中では「お願い、笑って〜!」(たまに、口から出てる)と切実に思いながらも、
きっとそれはそれで何か気持ちがあるのだろう、と、
笑顔が出なければそれはそれで残すべきものを考えます。
 
にしても。
久しぶりの、かなちゃんの撮影。。。。。
 
驚くほどに笑ってくれなくて。。。
かれこれ5年くらい日々撮影してますが、かつてないほど、
人類皆敵、のような目で見られ笑顔を見せてくれませんでした。
実は撮影前に、ちょっとそんな予感がしたのですけども。
 
もうずっと前からのお付き合いで、人見知り真っ最中という噂も聞いてたので、
撮影前に谷津くんと一緒に家庭訪問して慣らし保育的な感じをしたのですが、
その日もひと言も喋らず、大人がひたすら喋るだけ。
撮影当日も、撮影始まる前から谷津くんを見て10分ほど天地が揺れるほどの号泣…。
(え、この前会ってますけど!の展開)
こ、、、ここまでとは!!
と、想像を超える人見知りに内心焦りつつ、コーディの大橋みーちゃんと打ち合わせしながら、
その日その時のかなちゃんを1時間で写していきました。
スタジオの中では心を許してもらえず笑顔が出なかったので、
最後の最後の手段で、思いっきり外で遊んでみよっか、と連れ出したのですが、
そこでもやっぱり警戒心。
ここまで来ると、ちょっと究極のにらめっこをしている気持ち
(笑ったら負けよ、なのかしら?!)になってきながら、大人たちは爆笑。
かなちゃんの行動のひとつひとつに、どっかで何か起こらないかと
必死になるおとなたちの団結力ったらないのです。
結局75cutのうち、笑顔のカットは5カットくらいしかなかったかも知れません。
 
でも、今回の撮影で初めて感じたこともありました。
それはお兄ちゃんが、本当の意味で成長してお兄ちゃんになったなぁ、ということ。
かなちゃんがおなかの中にいる頃から1歳半までの間の何回かの撮影の時は、
ずっとママに甘えてて、時には困らせて気をひこうとしているような場面もあったのに、
今回はずっと泣いてるかなちゃんのそばにいてくれて、
泣いてるかなちゃんを自然とだっこしてくれたりしていました。
こうして、成長していくんだなぁって。
自分自身も、かなちゃんも、受け容れていってるんだなぁって。
(その姿を見た時に、わたしは涙と鼻水が出るくらい嬉しかったのです。)
 
かなちゃんの2歳の撮影は、
さみしさや、心細さ、耐えきれなくて泣いてしまったり、
そんな場面が多くありました。
でもそんな時には、側に優しく近づいてくれる人がいました。
不安でさえも、柔らかく表現すること。
わたしたちも撮影者として集中した部分でした。
 
首が座ってない頃から居酒屋デビューを一緒にしたのに、
ハーフバースデーの時は、かろうじて笑ってくれたのに、
からあげラーメンも一緒に食べたのに、
まさかの1歳で激的な人見知りになり記憶から消えたのか泣かれ、
2歳になってもまだ抱っこさせてくれないけど。。。
一緒に笑って、心からの笑顔を見せてくれる日を、気長に待ちたいと思います。
それぞれのペースで、それぞれに。
 
 
 
 
自分自身の記憶は、思った以上に自分よりも誰かが持ってくれていることの方が多いのだと、
時間が経つにつれ気づくことがあります。
たった1枚の写真は、自分が見れば小さかった時のただの写真であっても、
どんなことがあったのか、その日の様子、
その時の反応や表情、その時の言葉までも、
その1枚に写っている以外の要素を覚えててくれている人がいるのだということ。
写真には、そんな自分と自分を見守ってくれていた人を繋げてくれる役割もあると感じます。
笑顔だけが、ただ、それだけが、その子の全てではないということを含め、
今日があったことを、いつかの日に思い起こしながら喜んでもらえるように。
いつかの日に、笑っててほしい。
だからこそ、記憶に残る優しいストーリーとして。
わたしたちも見守りながら手渡していけたらと思います。
 
 
時が経っても。
寂しさや心細さに寄り添えるような。
そんな写真とはなんだろうと考えています。

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人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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