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名古屋西店
Projector-genic 06[静熱] ~Provision~
投稿日:2018/9/19
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~Provision~
project第七弾でございます^^
私のprojectは、
≪テーマを規定して、そのテーマに沿った条件で写真を表現すること≫
3月から、このプロジェクトと向き合ってきました。
『自ら道を作り、進むために』
自分がどこへ向かうのか、どう進んでいくのか、何のためにやるのか?
整理して、分析して、進む道を設定して、その方法と道しるべが個人プロジェクトです。
ちゃんと計画したことをやり遂げること。
そして堂々と進み続けること。
自信を持ち、自分の軸となるスタイルを見つけ、それを確実に自らの手で進めていくこと。
自分で『達成感と成長』を感じられるように続けること。
これが私のシンプルな課題です。
このプロジェクトの確信は、
【自らが基準となり、写真を作り出していく過程と結果】にあります。
人を表現しようとした場合、最初に投げ出した自分の『主観』が相手にどのように伝わり、
どのように返ってきて、つながっていくのかが重要です。
方法や写真の技術もあれど、最終的には
伝えたものが何と結びついたのか?が重要です。
相手に共感してもらうこと、「人」と結びついてはじめて意味を持ちます。
相手から共感をもらうことで、初めて自分の考えに核心が持てて、自信になり、
人と堂々と向き合うことが出来ます。
映画をテーマの材料に、人を規定して表現してきました。
映画は材料に過ぎませんが、『この映画のテーマは何だろう?』と
言葉の意味やストーリーの展開を見ながらひとつことばで定義するのはとても面白くて、
そんな風に張りめぐる思考をシンプルに規定できるようになると、行動がシンプルになっていきます。
そんな風に、『今の自分』を見つめながら、変化を感じながら、
残り2回、しっかりやり遂げたいと思います。
7人目のモデルさんは、こちらの方にお願いをしました!!
写真といえばこの人、photogenic王といっても過言ではない!!!
所沢店のボルボさんです。
所沢店の店長であり、現在はインスタグラムでイベントを開催している、
シンデレラプロジェクトの「アナザーミー」を計画、主導、撮影をしながら、
全体の中心にいるボルボさん。
優しくて、面白くて、慕われていて、写真が上手で、頼りになるリーダー。
そんなボルボさん。
私が、一対一で話をするときに、少~しだけ緊張をするのは、
昔一緒に働いていたときに、その優しさに甘えて、自分の弱い部分をたくさん知られているからだと思います。
今はお互いにそのときと状況も考えも違うかもしれませんが、
何を言っても、深い部分を見られているような、『うそが付けない』といつも思うのが、ボルボさんです。
取り繕っても見透かされてしまう。
だからこそ、今の自分自身を全部出して、みて貰おう!と思いました。
向き合いたいと思いました。
それが不恰好でも、足りなくても。
ボルボさんはきっとちゃんと受け止めてくれる。
絶大な信頼感とちょっぴり緊張感。そんな相手なのです。
私から見たボルボさん、という人を、恐れ多くもまずは主観から規定してみたいと思います。
Projector-genic 06 [ 静熱 ]
Model: VOLVO (shun nakanouchi)
Model Movie: ベンジャミン・バトン 数奇な人生
≪ prologue ≫
はじめてボルボさんと挨拶以外でまともに話をしたのは、一緒に働くことが決まったあと、
2013年、青葉がオープンする直前、インテリア工事のときでした。
当時は『ボルボさんという人は、凄くカリスマ性のある写真が上手なセンス抜群なクールなカメラマンだ・・・』と
勝手に妄想していたのですが、
話してみて、見た目とは裏腹に(その頃は茶髪&パーマでやんちゃな感じだったボルボさん)
物腰柔らかで、優しくて、年下の私にも凄く気を使ってくれる、真面目で努力家の、優しいおにいさんでした。
ボルボさんや西さんが、どんな思いでこの青葉店をつくったのか。
あの時は、勿論知った気でいましたが、今思えば、私はその思いの半分も理解できていなかったかもしれません。
それでも、色々な場所から集まったスタッフ達と共に、青葉店で『一緒に』スタートを切りました。
誰もが転機の場所だったのではないか、と思います。
私も、そしてボルボさんも。
これまでの、色んな出来事を振り返って。
いざ、こうしてボルボさんについて考えてみると。
ボルボさんのことを、なにも知らないことに気づかされます。
青葉で一緒に働いていたときは、私はわたしのことで頭がいっぱいで。
たくさん迷惑をかけたなぁと思う以外に、
隣にいたはずのボルボさんに、正面切って向かい合っていなかったのだと痛感しました。
いつも、場を和ませ、リラックスさせてくれて、討論でも、わかるまで丁寧に教えてくれたり、
質問を投げ掛けてくれたり、優しいリーダー。
そんなふうに思ってました。
だから、頼りきりのまま、甘えたまま、
私は自分のわがままできっとたくさん迷惑をかけていました。
ボルボさんの言葉で、私はじぶんが恥ずかしくなったことが何度かあります。
罵声を浴びせられるよりも、感情的に怒られるよりも、
冷静に、まっすぐに、じぶんの『核心』を、ついてくれる人でした。
だからこそ、少し怖いと感じていたことも事実としてあります。
なんとなく張りぼてで作ったもので立ち向かっても、すぐに剥がされてしまう。
正面切って、ちゃんと向き合って、それで、ちゃんと認めてもらえたら・・・と思いながらも。
当時はその自信が無くて、
向き合うことから逃げていました。
彼の話は、色んなひとから聞きます。
昔の話、私も知っている時期の話、私が知らないこれまでの話、
ひとが彼をどうみているのか、という話。
所沢のメンバーのPOPはわたしにボルボさんという人の情報整理をさせてくれました。
近くでみている、そのひとつひとつのことばやエピソードに、
また情報がたくさん加わって、私が知らない、でも知っている、『ボルボさん』が見えてきます。
私が知っている、みている姿。
ちがうひとからみた、姿。
少しずつ。擦り合わせながら。
この規定が、撮影が、私からボルボさんに歩み寄る、はじめての一歩になると思いました。
いつも『待っている』だけでした。
甘えていました。
でも。
あのころよりは少しだけ、私も成長していると思います。
このボルボさんの撮影は、プロジェクトの意味と。私の課題と。
そして、わたしの成長をみてほしい、という願いが込められたものです。
そしてまた、一緒の店舗にいなくとも、今度こそちゃんと向き合って話が出来るようになりたい、
と願います。
≪image≫
【静かな熱は、同じ熱をもってはじめて気が付くことが出来る。 】
運命を受け入れ、踏みしめ、少しずつ越えて、自分のものにして。
葛藤、苦悩、喜び、楽しみ、希望、疑問、、、色々な性質の感情を、
受け止めて尚、自分がどこへ向かいたいか、いつも少し引いたところから、
核心を探し、『見て』『考えて』『動く』ひと。
いままでどんなふうに、それを踏みしめて、越えてきたのかは、私にはわかりません。
だけど、『壁を乗り越えることばかりを考えてはいけない』と教えてくれたのは、
ボルボさんでした。
越えられないなら、くぐってみるか?回り道はないか?ドアをつくることができないか?待ってみたら縮まらないか?
そんなふうに視点を変え、思考を変え、
『受け入れてなお、進み続ける方法』を教えてもらいました。
ボルボさんと働きはじめて、いろんなことがありました。
その最中で、たくさん助言をもらったことは、いまの私にとても響いて残っています。
言われた言葉一つ一つを、ボルボさんは常に体現してくれていました。
隣をよく見ること。
面倒なことからやること。
気づいたらすぐやること。
言い訳をしないこと。
見返りを求めないこと。
壁を見るのではなく、その先に何が待っているかを考えて方法を見つけること。
・・・・
今でも、何かするたびにそれが頭によぎります。
それは、その当時の私がちゃんと出来ていなかったことでした。
弱い部分の核心を突かれていたからこそ、今も私に残っているのです。
張りぼてのような自分のままで、向き合うことはできませんでした。
嘘やごまかしは、すぐにばれます。
ボルボさんは自分の弱いところを認めている人です。
私は自分のダメなところや苦手なことを理由に逃げて立ち止っている人でした。
そんなときに「自分だって何もかも完ぺきではない」と話してくれました。
その時に、「壁」の話をしてくれました。
自分の弱い部分を認めてなお、それでも求めるものに向かって進み続けているからこそ、
相手の心に気がつくことができて、受け止めることができるのだと思います。
それが、私が思うボルボさんです。
弱い部分は隠したくなります。それを見られてしまうなら、逃げ出したくもなります。
だけど壁のその先に行く方法を一緒に考えるためには、それと向き合うことが必要なのです。
強みも弱みも、本心も、隠したい心も、逃げ出したい気持ちも、本気で変わりたいと願う気持ちも。
見えたものに対してまっすぐ答えてくれる。
そんな人だからこそ、時には緊張もありつつも、
彼に信頼を寄せている人が多いのではないでしょうか。
ひとつの映画をみました。
80代の男性として誕生し、そこから徐々に若返っていく運命のもとに生まれた男ベンジャミン・バトン(ブラッド・ピット)。
時間の流れを止められず、誰とも違う数奇な人生を歩まなくてはならない彼は、
愛する人との出会いと別れを経験し、人生の喜びや死の悲しみを知りながら、時間を刻んでいくが……。
運命なのか試練なのか?人生は何が起きるかわかりません。
だけど、どんなことが起っても、人生は止められなくて、
求めるものを知っていれば、複雑な人生はなくて、
ただ、そこにむかって進むだけです。
人は障害に向かって進み、うまくいかず、踏み外し、迷うこともあります。
それらの運命も、ひとつずつが全て『自分』をつくり、すべてを受け止めながら、
ただひたすらに求めるものに向かって、努力し続け、一本に進む。
それが、ボルボさんと、映画の主人公が重なった部分でした。
静かな、熱、と書いて、『じょうねつ』というタイトルにしました。
静かに、冷静に。
表面ではわからない部分で、熱をもって進み続けている。
同じ熱を持って、向き合って、はじめてその「熱さ」に気が付くことが出来ます。
どんなことがあっても、弱いも強いも、受け入れて進み続けられるのは。
その先の求めるものをちゃんと知っているから。
それは、彼の周りで働く人たちの声を聞いてもそう感じることが多いです。
その熱に気付かないと、うっかりやけどをしてしまうこともあるかもしれません。
それを表だって何か大きく見せようとはしないから、
分からなくなる時もあるかもしれないし、怖く感じるときもあるかもしれません。
だけど、向き合い続けることを恐れなければ、
間違っていても、自分でちゃんと受け止めて見せられるようになれたら、
きっと自分を認めることが出来るし、
一緒に進むことが出来るのではないかなと思いますし、
彼に信頼されたのなら、それは紛れもなく自分の自信になると思います。
それくらい、真正面から向き合いたい人だと思っています。
逃げたら逃げたで、責められることもないでしょう。
だけど、向き合おうとしている人には全身全霊で向き合ってくれる人です。
静かな熱に触れられるように、私も「核心」に迫れるように。
表現が出来たらと、思います。
≪Photo image≫
写真のイメージは「余白」を重要視します。
どうやって撮ろうか・・・・をたぶんここ数週間悩んでいます。
もう頭の中が完全にボルボさんで占めています。
悩む中で、POPの写真でボルボさんのイメージが完全に引っ張られている自分がいました。
違う表現にしたいわけではないけれど、
頭の中にイメージがどどどと入ってしまい拭えなくなってしまったため、
文章を書きながら「私が」表現したいキーワードを出しました。
キーワードは「静か」でありながら、存在や意志の「強さ」があること、だと思いました。
≪静かな≫という表現で、何か構成物を入れるとしたら....
それは「余白」であると思いました。
何もない空間で、そのさりげない存在の強さを・・・
撮影まであと1週間もありませんが、しっかりイメージを頭に入れて、表現を楽しめたらと思います。
そして、ボルボさんの[核心]に迫るために、ふたつの質問を用意しました。
- 『何が起こるかわからないことが人生』で『人は障害に向かっていく』が、
求めるものを知っていれば、その道は複雑ではない・・・ ※映画作中より抜粋
あなたが人生で求めるものは『何』ですか?
- 自分で自分を規定するなら一言で何ですか?
それは、なぜですか?
プロジェクトにおいて規定内容が正しいかどうかはあまり重要ではありません。
私が規定することを、条件付けて自分の考えで表現することに意味があります。
しかし、私が見る相手と、相手が見る自分というものが一致した時。その表現は大きく変わり、確かなものになります。
質問が壮大になってしまいましたが...
そうやってボルボさん自身に投げ掛けることも今までなかったかもしれないなと思うと、
とてもドキドキ緊張で、楽しみでもあります。
来週撮影です。
どんな写真が出来上がるかはまた次回公開させていただきます^^
Write by Kaori Kobayashi
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