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名古屋西店
2018写真分析12 見えるものしか。
投稿日:2018/7/30
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Photo by Kaori Kobayashi
Cordi by Natsuko Takagawa
In Yokohama Aoba
『見えるものしか写せない』
“こばちゃんはどんな写真が撮りたいの?”
常々聞かれる質問ですが、一貫して昔から答えている回答として、
“一瞬の表情、今しかない瞬間を残せたらって、思います”
と答えていました。
その為には何が必要なのか、昔よりは理解があると思いますが、
その当時はまだその理由やそれを捉えるために何が必要なのかなど、漠然としていたと思います。
写真を撮り始めて、1年~2年くらい、私はメガネをかけずに撮影をしていました。
その理由としては今よりはまだ視力が良かった(といってもPC作業時やアシスタントではメガネはかけていた)ということ。
メガネをかけて撮影することで弊害がいくつかあること(曇ったりとか、撮りづらいとか)。
などなどの理由から、メガネをかけずに撮影をしていました。
そんなときに、この質問をもらい、同じように答えると。
“こばちゃんって撮影のとき、隅々まで見えてるの?”
“いや少しぼやけています・・・・”
“じゃあ撮りたい瞬間なんて、撮れなくない?見えてないのに”
・・・・・・・・・・
確かにー!と目からうろこな会話です。
今思えば恐ろしいほど当たり前のことなのですが。
そしてそこからメガネをかけて撮影をするようになり、物理的に“見える”ようになりました。
そこから沢山の撮影に携わり、経験をつみ、沢山学び、技術的な成長ももちろんありつつ。
“見える”ということが、めがねをかけて物理的に見えるようになったこと以上に、
目の前の光景、人、空気、すべてに目を向けるようになっていきました。
それが結局は、ずっと言い続けている、
“瞬間を逃さない、残すこと”のために必要なことなのです。
見えるものを細かく隅々まで見ようとすること、
見えない情報を拾い集めて見えるようにすること。
それが何かを表現したい、残したい、と思う、その為の条件で。
“見える”からこそ、空間をセットしたり、コーディネートしたり、
声かけをして瞬間を作って狙ったり、ポーズをつけたり、
“残すための準備”をすることができるのです。
受身で、ただ漠然としていた理想でしたが、
今は、少しずつ方法や技術や仕組みを知って、
“見て”つくっていくことからスタートしていることを理解しているつもりです。
さて、その方法はまだまだ今でももちろん試行錯誤。
自分の中の引き出しを漁っては出し、足りなくなったらチャレンジをして増やしていく。
大きなチャレンジでは無くても、細かい、些細な部分にひと工夫、ふた工夫で、
“残したい”瞬間をより残したい形で撮る事ができるのです。
一人の撮影でも、二人の撮影でも、家族写真でも同じように。
家族写真は人が多いので、より細かく見る必要があります。
ひとりの個性、役割、特徴、、、
そして丁寧にひとつずつ工夫を足すことで、一枚の仕上がりがぐんと良くなります。
“細かく作って、予想して声かけをしながら崩して瞬間を残していく”
そうして75カットが作られていきます。
それを教わってから、
作るひと工夫、崩す為の予想、
このふたつがうまく自分のスタイルとして作れたら、と思っています。
今回の家族写真については“作るほんの一工夫”がポイントになっていると思います。
笑顔がとても素敵なファミリーでした。
まっすぐ目を見て話してくださるパパさん、ママさん、天真爛漫で仲良しなきょうだい。
その笑顔やキャラクター、誰もが見てうらやましくなるような雰囲気を真正面から写したい!と思い、
この一枚目を組みます。
基礎基本に習ってバランス、露出を保ちつつ。
まっすぐ向かい合います。
ただ立っているだけでももちろんかわいくて素敵なファミリーなのですが、ちょっとずつ工夫を加えていきます。
角度をつけるよりも、全員が真正面向きで、まっすぐ向かい合っているイメージがいいな、と思いつつ。
真正面から見て、パパを大きく、ママをかわいらしく、ふたりはキャラクターを重視しつつ・・・
腕の向き、足の角度、ポーズをつけていきます。
そして全員が満面な笑顔になるように、撮影を進めていきます。
全員並んで、立たせて、手をつないで、笑顔。そして一工夫。
見えるもの、知っているものしか写せないのが写真。
私が見たものを、私が知っているすべてを使って表現して残せるように。
これからもひと工夫、ふた工夫をあの手この手、凝らしていけるようにしたいと思います。
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