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名古屋西店
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2017写真分析13 当たり前はひとつもない。

投稿日:2017/8/30

1020 2

Photo by akane ouchi  /  Cordi by yuko oikawa
Write by kaori kobayashi
In shinyokohama
 
うまれた写真はその人の視点と世界。
 
それは撮影だけを見ていても、その世界に触れることは出来ません。

ファインダーを通した写真の表現には、全てが詰まっています。

撮影者やコーディネーター、被写体、家族、、その場にいる人みんなで写真は作り出すものですが、
最終的にその四角の中の表現に、みんなが提供してくれた全てを収めるのは、
カメラを持つ撮影者であり、その表現はその撮影者によって決まります。
 
明るく日差しが入る新横浜店の写真は明るい写真が多い。

そう、つい先日ヘヨンさんに言われたばかりでした。

窓も多く、ライトも多い。明るくふんわりした写真。柔らかく女性的な写真が多い。
が、相反してアンダー目の暗い表現というものが少ない。
それは部屋がどうだとかイメージがどうだとかは関係がありません。
表現する撮影者が見る視点を変えれば、おそらく同じ条件のもと全く正反対の性質の写真を生み出すことも可能でしょう。
 
[同じように見ないこと]
それは理屈では分かっていても、意外と難しい。
 
見たことのある表現は頭の中で良いと判別がされやすく、安定します。
 
安定はとても大事です。だけど私たちに訪れる出会いに“同じ”ものは一つもありません。
再会した出会いも、前回のその子とは全く違います。
だからこそ、自分が持っている表現力を、同じ環境でも条件を変えて、
自分の表現の安定を超えていかなければいけないのです。
 
この写真を見たときに新しい世界をまたひとつ見た気がしました。
 
撮影空間としてあまり使用されない衣装の部屋。
自然光から遮断されたその世界と被写体である彼女を一体化させているのはひとつの光。
シルエットを浮かび上がらせるように一筋の光が彼女を表しています。
シルエットは被写体の姿、形を浮かび上がらせるため、横顔、ポージングによる被写体全体の形がその画を表現する大きな一部になっています。
見せたいのは彼女の、前よりも、少しだけ、大人になった姿。
彼女のその姿を一番に見せたい為に、頭から足先までの圧縮、画面いっぱいにその“形”を写しだして表現をしています。
画面のほとんどが彼女だけど、彼女の表情はほとんど写されていません。
だけど先に述べたように一筋の光が彼女を表します。
幼さ残るふっくらとした頬や唇、横顔を、そしてそれに反して大人のようにポーズをとっているその形のアンバランスさが今の彼女の“表現”であり、この写真の一番魅せている部分であると感じます。
 
見慣れた景色やいつも見ている世界を違う視点から見ることは、同じ環境で違う表現を撮り続ける私たちに必要な技術の一つです。
衣装室にも光はあるし、写真は光があればどこでも撮れます。
いつも撮っている部屋でも、光にあふれている部屋をあえて光を遮って見てみると、世界は変わります。
いつも撮る方向や位置を変えてみるだけでもきっと変わります。
それができるのは、その空間を把握しているからこそであり、何かを探すためには、根本的な軸が必要です。
だからこそ、“安定”が必要で、それを軸に探し続けることを忘れてはいけない。
大内さんの写真を見ているとそんなことを深く考えさせられます。
常に探すこと。
環境も被写体の魅力もその家族の形も会話の一つでさえも
世界を変えるヒントになります。
 
見せてもらった世界は自分の新しい視点になり、課題になります。
人に対しても自分に対しても撮影に対しても何に対しても。
大きなことをしなくていい、ただ、まっすぐに見つめて問い続けることと少しだけ視点を変えてみること。
それを“継続”していくこと。
それが新たな世界を見つけ出す第一歩になり力になると思います。
 
当たり前を当たり前に様に見ないこと。
新たな気付きは自分の世界を広げるきっかけに。そしてまた新しい発見をつなげていくことが自分にいま必要なことだ、と感じました。

 

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人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
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