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2017写真分析11 魅力を写す表現力とは
投稿日:2017/7/30
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photo by Akane Oouchi / coodi by Kaori Kinoshita
write by Koba
in shinyokohama
表現力とは人の魅力を最大限写しだす力のことである
と、二年ほど前の写真分析で言ったことがあります。
人の魅力というものを引き出すために、感情だけではなく人との距離だけではなく、
その場の空間・人、全てを包み一つの四角(写真)に収める「表現する技術」が必要不可欠だと。
その為に日々繰り返されるのは良いとされるものに対しての良い物の分析と、
何かが足りないと感じるのであれば、足りないそれはいったい何であるのかを、考え続けることでした。
相手の魅力を引き出すためには自分を開放できなければ相手に伝わらないし、
相手の情報をキャッチすることは出来ません。
そうしてキャッチして掴んだ情報は、自分の中にある技術でしか写真に収めることは出来ません。
では、『表現力』とはひとえに何を表すのでしょうか。
技術が必要、だからいろいろやらなくちゃいけない・・・知らなくてはいけない・・・
その具体的な何か、は言葉で表現すると平面的な写真を立体的にその空間として残すこと、であると考えます。
奥行きを出して立体感を出す、それだけそれだけではなく、被写体とは別に写しだされた副主体、余白に意味を持たせることが必要になります。
では、その空間をどのように残し写すのか?
被写体がいる前提でその見えない感情や、残したい相手の魅力に沿ってそれら副主体は存在しなくてはいけないと考えます。
シンプルに考えます。
被写体が画面いっぱいにいたとしてそれはそれで一つの写真です。
より彼女の表情やしぐさに目が行き、彼女に集中した一枚となるでしょう。
しかしこの一枚の表現に関しては、“彼女を表現する”うえで余白の意味が大きく作用されていると考えます。
子どもといえど彼女が持っている大人びた雰囲気は誰もが息をのむほど美しい物でした。
衣裳の雰囲気から彼女の“大人っぽさ”の主張は強く出ます。
しかしそれを望遠で遠くから前ボケを介して彼女を写すこと・余白を持たせることで、表現したいものの力を強めていると考えます。
被写体左側のライトに少し背を向けるように角度を指示し、光が彼女の全体を明るく写しだすと言うよりは彼女の輪郭を縁取り、背後の窓の光も合わせて、逆光の効果を最大限利用して彼女を違和感なくその空間に溶け込みさせつつ、彼女のそのしぐさや表情をクロースアップしている写真であると思います。
前ボケの効果でフィルターが一枚かかり、アンバランスに被写体が浮きがちな白と黒の配色をうまく調和しつつ、彼女の表情やしぐさの誘導により被写体の物憂げな表情や何か思わせる感情の表現に余白が大きな効果を発揮していると見えます。
空間と被写体はただその場に立たせるだけではただの背景、と人、としか写りません。
平面的な写真を立体的に空間を写しだす、という意味合いには、ただ奥行きの表現や前ボケや技術的な要素が使われますが、その意図として視覚的な効果のみではなく、被写体の魅力表現のための空間表現と調和させるためのひとつの技術であると考えます。
前ボケが無かったら?彼女が姿勢のラインを崩さずにまっすぐ向いていたら?ライトがついていなかったら?余白が無かったら?余白に副主体として入ってるものが強い印象のものだったら?中途半端に切れていたら?
写真を一枚見るうえで構成要素に対してその意味を規定していくことは、一枚の表現のクオリティを深めるために重要であると、彼女の撮影の写真一枚一枚をスクロールするたびに感じました。
大切なのは表現力で、表現力とは表現したいものを最大限効果的に写し出すために必要な条件をそろえることが出来ることだと思います。
どれだけ相手に近づいて仲良くなっても。魅力的な表情や部分を見つけたとしても。
それがあってこそ、初めて私たちはカメラという機会を通して残し伝えることが出来るのだということを忘れてはいけないと改めて思いました。
平面的なものに意図をひとつ、ひとつ、組み立てていくこと。
それこそが立体的に空間を表現し、被写体の魅力を最大限引き出すことのできる技術になり得るのだと、同じ言葉を使っても、その深いところの意味を時を経て実感することが出来たと感じます。
write by Koba
in shinyokohama
表現力とは人の魅力を最大限写しだす力のことである
と、二年ほど前の写真分析で言ったことがあります。
人の魅力というものを引き出すために、感情だけではなく人との距離だけではなく、
その場の空間・人、全てを包み一つの四角(写真)に収める「表現する技術」が必要不可欠だと。
その為に日々繰り返されるのは良いとされるものに対しての良い物の分析と、
何かが足りないと感じるのであれば、足りないそれはいったい何であるのかを、考え続けることでした。
相手の魅力を引き出すためには自分を開放できなければ相手に伝わらないし、
相手の情報をキャッチすることは出来ません。
そうしてキャッチして掴んだ情報は、自分の中にある技術でしか写真に収めることは出来ません。
では、『表現力』とはひとえに何を表すのでしょうか。
技術が必要、だからいろいろやらなくちゃいけない・・・知らなくてはいけない・・・
その具体的な何か、は言葉で表現すると平面的な写真を立体的にその空間として残すこと、であると考えます。
奥行きを出して立体感を出す、それだけそれだけではなく、被写体とは別に写しだされた副主体、余白に意味を持たせることが必要になります。
では、その空間をどのように残し写すのか?
被写体がいる前提でその見えない感情や、残したい相手の魅力に沿ってそれら副主体は存在しなくてはいけないと考えます。
シンプルに考えます。
被写体が画面いっぱいにいたとしてそれはそれで一つの写真です。
より彼女の表情やしぐさに目が行き、彼女に集中した一枚となるでしょう。
しかしこの一枚の表現に関しては、“彼女を表現する”うえで余白の意味が大きく作用されていると考えます。
子どもといえど彼女が持っている大人びた雰囲気は誰もが息をのむほど美しい物でした。
衣裳の雰囲気から彼女の“大人っぽさ”の主張は強く出ます。
しかしそれを望遠で遠くから前ボケを介して彼女を写すこと・余白を持たせることで、表現したいものの力を強めていると考えます。
被写体左側のライトに少し背を向けるように角度を指示し、光が彼女の全体を明るく写しだすと言うよりは彼女の輪郭を縁取り、背後の窓の光も合わせて、逆光の効果を最大限利用して彼女を違和感なくその空間に溶け込みさせつつ、彼女のそのしぐさや表情をクロースアップしている写真であると思います。
前ボケの効果でフィルターが一枚かかり、アンバランスに被写体が浮きがちな白と黒の配色をうまく調和しつつ、彼女の表情やしぐさの誘導により被写体の物憂げな表情や何か思わせる感情の表現に余白が大きな効果を発揮していると見えます。
空間と被写体はただその場に立たせるだけではただの背景、と人、としか写りません。
平面的な写真を立体的に空間を写しだす、という意味合いには、ただ奥行きの表現や前ボケや技術的な要素が使われますが、その意図として視覚的な効果のみではなく、被写体の魅力表現のための空間表現と調和させるためのひとつの技術であると考えます。
前ボケが無かったら?彼女が姿勢のラインを崩さずにまっすぐ向いていたら?ライトがついていなかったら?余白が無かったら?余白に副主体として入ってるものが強い印象のものだったら?中途半端に切れていたら?
写真を一枚見るうえで構成要素に対してその意味を規定していくことは、一枚の表現のクオリティを深めるために重要であると、彼女の撮影の写真一枚一枚をスクロールするたびに感じました。
大切なのは表現力で、表現力とは表現したいものを最大限効果的に写し出すために必要な条件をそろえることが出来ることだと思います。
どれだけ相手に近づいて仲良くなっても。魅力的な表情や部分を見つけたとしても。
それがあってこそ、初めて私たちはカメラという機会を通して残し伝えることが出来るのだということを忘れてはいけないと改めて思いました。
平面的なものに意図をひとつ、ひとつ、組み立てていくこと。
それこそが立体的に空間を表現し、被写体の魅力を最大限引き出すことのできる技術になり得るのだと、同じ言葉を使っても、その深いところの意味を時を経て実感することが出来たと感じます。
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