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名古屋西店
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2017写真分析6 軸となるもの
投稿日:2017/4/30
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Photo by Kaori Kobayashi
Coodi by Kaori Kinoshita
In shinyokohama
写真を撮るうえで必要不可欠な要素はたくさんあります。
技術的な面から概念的な面まで、様々な要素があげたらきりがないほど上げることが出来ます。
それを追求すればするほどに悩むこともあるしうまく自分が表現したいものが撮れずに苦しく思うこともあります。
しかしその悩みを突破し自分の力に変えていくことでそれが自分のスタンダードになり、
表現の幅を広げ写真をより楽しいものへと変えていき、また新たな挑戦をして、終わりなき旅を楽しみます。
私はカメラを握り始めたときのことを最近よく考えます。
カメラを持つと何とも言えない重圧感と期待感。
ファインダー越しに目の前の人と対峙することは私にとって大きな転機でした。
コーディネーターとしての視点とはまた違う世界を見ることが出来たのと、目の前の被写体にカメラを見てもらうことは“私”を見てもらう事であったし、カメラという非日常な機会の前で自然体でいてもらうには、私自身を認識してもらえなければ意志が伴った写真というものが成り立たないという事を実感しました。
だからこそ自身の“写真を撮るうえでの根拠”が必要でした。
写真を撮る、ということは何ら難しくはありません。
機械が苦手な私ですらこうしてカメラを携えて何年も写真を撮ってきました。
私が考える良いカメラマンとは“表現したいという思いと想像を実現できる力と根拠を持っている人”だと思っています。
もっとかっこいい言い回しが出来るかもしれませんがシンプルな言葉でもまとめるとそう自分の中では定義が出来ると思っています。これに正解などありません。カメラマン一人一人が答えを持っているからこそ、沢山の表現が生まれます。
たとえば、風景の写真を撮る人だって、猫の写真を撮る人だって、結婚式のカメラマンだって、撮りたいイメージがあるからこそ、良いと思えるものがあるからこそ、その一瞬を残そうと「技術」をもってあれこれ試行錯誤して撮影しています。
目の前のお客さまに一年に一度の大切な思い出を残す、ということ。
そのイメージと気持ちに加えて、実現するための技術力が必要になります。
それが合わさって初めて写真を撮る確かな根拠になります。
カメラを持って毎日撮影を繰り返していると自分が選択しているものすべてが何であるかを考えることがあまりなくなってきますが、そのひとつひとつに理由があって選択しシャッターを切っていることを、いま改めて再確認しています。
構成要素で欠かせないものに“光”があります。光があればもちろんどんな場所でも写真が撮れますが、レンズの特性を生かすと同じように、どの光をメインとして使い、どの角度で捉え、どのくらいの露出で撮るのか、その光をどのように生かすかは写真を一枚整えるうえで重要なものだと言えます。
今回の一枚は、背景に当たる光と被写体に当たっている光は、被写体の左後ろの窓から入る強い光を利用しています。
一番強く当たっているのは背景の窓、壁、緑。直射で入る光で質感をつぶさないように、その影を利用して背景を立体的に写しだします。
被写体には同じ光を使っていますが、背景と距離を離すことによって同じ光でも角度と光量が違うのと、背景と被写体の間に空間を持たせることで被写体も浮き出て立体的に見えるように配置しました。
真っ白な衣装もギターも、影が落ちることで立体的に見えます。
手前と奥で違う光(同じ光でも違う要素として使う)を使う事は奥行きを持たせて一枚の絵の完成度を高めます。
自然光で明るい写真はライフスタジオにおいて代表的なイメージでもありますが、影を生かす立体的な写真は75カットの流れで見ても惹きつける一枚となります。
光をどのように使うのか。レンズを何を使うのか。自分の角度や被写体の配置はどうするのか。ひとつひとつの選択はその写真の表現力を高めていきます。
技術や知識は、とっさの判断でシャッターを切るときにも確かな選択をさせてくれます。
自由な空間であるからこそ。目の前の被写体を自由に自然な空間で楽しんでいてほしいからこそ。
必要な力をもってして、毎日現場でその空間を提供できるようにしていたいと思います。
基礎は必ず軸になります。
その軸をもってして、自分自身も目の前の相手も楽しませることが出来るのだと思います。
Coodi by Kaori Kinoshita
In shinyokohama
写真を撮るうえで必要不可欠な要素はたくさんあります。
技術的な面から概念的な面まで、様々な要素があげたらきりがないほど上げることが出来ます。
それを追求すればするほどに悩むこともあるしうまく自分が表現したいものが撮れずに苦しく思うこともあります。
しかしその悩みを突破し自分の力に変えていくことでそれが自分のスタンダードになり、
表現の幅を広げ写真をより楽しいものへと変えていき、また新たな挑戦をして、終わりなき旅を楽しみます。
私はカメラを握り始めたときのことを最近よく考えます。
カメラを持つと何とも言えない重圧感と期待感。
ファインダー越しに目の前の人と対峙することは私にとって大きな転機でした。
コーディネーターとしての視点とはまた違う世界を見ることが出来たのと、目の前の被写体にカメラを見てもらうことは“私”を見てもらう事であったし、カメラという非日常な機会の前で自然体でいてもらうには、私自身を認識してもらえなければ意志が伴った写真というものが成り立たないという事を実感しました。
だからこそ自身の“写真を撮るうえでの根拠”が必要でした。
写真を撮る、ということは何ら難しくはありません。
機械が苦手な私ですらこうしてカメラを携えて何年も写真を撮ってきました。
私が考える良いカメラマンとは“表現したいという思いと想像を実現できる力と根拠を持っている人”だと思っています。
もっとかっこいい言い回しが出来るかもしれませんがシンプルな言葉でもまとめるとそう自分の中では定義が出来ると思っています。これに正解などありません。カメラマン一人一人が答えを持っているからこそ、沢山の表現が生まれます。
たとえば、風景の写真を撮る人だって、猫の写真を撮る人だって、結婚式のカメラマンだって、撮りたいイメージがあるからこそ、良いと思えるものがあるからこそ、その一瞬を残そうと「技術」をもってあれこれ試行錯誤して撮影しています。
目の前のお客さまに一年に一度の大切な思い出を残す、ということ。
そのイメージと気持ちに加えて、実現するための技術力が必要になります。
それが合わさって初めて写真を撮る確かな根拠になります。
カメラを持って毎日撮影を繰り返していると自分が選択しているものすべてが何であるかを考えることがあまりなくなってきますが、そのひとつひとつに理由があって選択しシャッターを切っていることを、いま改めて再確認しています。
構成要素で欠かせないものに“光”があります。光があればもちろんどんな場所でも写真が撮れますが、レンズの特性を生かすと同じように、どの光をメインとして使い、どの角度で捉え、どのくらいの露出で撮るのか、その光をどのように生かすかは写真を一枚整えるうえで重要なものだと言えます。
今回の一枚は、背景に当たる光と被写体に当たっている光は、被写体の左後ろの窓から入る強い光を利用しています。
一番強く当たっているのは背景の窓、壁、緑。直射で入る光で質感をつぶさないように、その影を利用して背景を立体的に写しだします。
被写体には同じ光を使っていますが、背景と距離を離すことによって同じ光でも角度と光量が違うのと、背景と被写体の間に空間を持たせることで被写体も浮き出て立体的に見えるように配置しました。
真っ白な衣装もギターも、影が落ちることで立体的に見えます。
手前と奥で違う光(同じ光でも違う要素として使う)を使う事は奥行きを持たせて一枚の絵の完成度を高めます。
自然光で明るい写真はライフスタジオにおいて代表的なイメージでもありますが、影を生かす立体的な写真は75カットの流れで見ても惹きつける一枚となります。
光をどのように使うのか。レンズを何を使うのか。自分の角度や被写体の配置はどうするのか。ひとつひとつの選択はその写真の表現力を高めていきます。
技術や知識は、とっさの判断でシャッターを切るときにも確かな選択をさせてくれます。
自由な空間であるからこそ。目の前の被写体を自由に自然な空間で楽しんでいてほしいからこそ。
必要な力をもってして、毎日現場でその空間を提供できるようにしていたいと思います。
基礎は必ず軸になります。
その軸をもってして、自分自身も目の前の相手も楽しませることが出来るのだと思います。
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