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名古屋西店
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2017写真分析3 探究心
投稿日:2017/3/29
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良い写真を撮るために、必要なものは何があるでしょうか?
技術?知識?人を観察する力?イメージ力?人と心を近づけること?経験?
全部大切で必要なものですが、そのひとつに撮影者の“探究心”があると考えます。
私たちは毎日同じ場所で撮影を繰り返します。
季節で変わる光、その日の天気、その日出会ったお客様。
何一つ、同じ状況などなくて毎日は新しいはずなのに、自分の撮影や写真がどこか安定してきていることにふと気付きます。
この場所はこの光。この場所はこの構図。天気が悪いのであればこの位置にライトを置く。つける。
天気が良くて強い光が差し込む日はこの場所で撮る。
勿論被写体が違えばその子に合わせてシャッターを切っていくので全く同じ写真など一つもないのですが、
自分の中の“撮影するうえでの手順”がいつしか“固定概念”となり、いつしか視野が狭くなってしまい新しい挑戦が出来なくなったりします。
今まで培ってきた経験からその安定的な手順を生み出しているし、それが悪いことではありません。
しかし私たちは最初に言った通り毎日≪新しい≫日々を送っています。
何一つ同じものなどないのです。しいて言えば本当に同じなのは「場所」だけ。
それをただの場所としてとらえれば何も変化はないのですが、天気や季節、めまぐるしく変わる光の中で「同じ場所」は姿をどんどん変えて、「同じ」ではなくなっていきます。
自分の中の変化を見つけるためには、探すことが必要です。
同じものを同じと捉えない。
毎日を新しいと感じること。
そうしていつもの場所に立ってみると、新しく見えてくるものも多いと感じます。
彼の撮影は、この場所、普段撮影で使われることのないモニタールームからスタートしました。
私はこの撮影でコーディネーターとして入り、彼のお洋服をコーディネートし、着替えさせ、きっといつも通りホリゾントか廊下から撮影が始まると頭で考え、さて入学の撮影をしよう、というとき。
廊下でいそいそ準備をする撮影者であるかおちゃんの姿がありました。
ママに“最初はスーツ姿かっこいいのでランドセル無しで撮り始めてもいいですか?”と聞き、朝一番しか差し込まない光がスポットライトのように当たるモニタールームへ移動。
テーブルの上に座らせて、彼の撮影がスタートしました。
いつもいる場所。毎日みる場所。この時期に多い入学の撮影。かわいい6歳の男の子。
なんてことない、すべてを“同じように”とらえればそれはそのように始まり、終わるでしょう。
しかし何度も言うように同じものなどひとつもなくて、それがどのように始まり終わるのかは、
始まりをゆだねられた私たちのスタートによって結末が変わることが大きいのではないかと感じました。
彼との“はじめまして”のスタート。その皮切りに新しいこの場所を選んだこと。
いつも見ている、知っている場所だけど『撮影する』うえでここは『新しい』場所になり、
そのなかであったばかりの彼をどのように表現するのか、自分の感覚と向き合っていくこと。探していくこと。
それが毎日撮影を繰り返す撮影者にとってとても大事な要素の一つではないかと考えます。
朝一番しか差し込まない自然光。場所は色味も薄暗い印象のモニタールーム。
その光を彼の“顔ではない”部分にあて、表情をあえて一番にみせないように下を向かせます。
顔のパーツの中で、にこりと微笑むその口元にだけに光が入ることで、彼に対しての印象やイメージを広げます。
その印象はきっといつも見る彼とはまた違う印象を生み出しています。
ちょっとだけお兄さんになった表情。もうすぐ小学生になり、新しいスタートを切る不安や期待の兆候。
その表現はまだ出会って間もない、撮影がスタートしたこの瞬間だからこそ、可能だったのかもしれません。
そしてその瞬間にこの場所、光、表現を選び、あえてカメラを見ないように指示をして近づくカメラマンの意図。
全てが合わさって、この『はじまり』の写真が撮られたのだと感じます。
入学、七五三、お誕生日記念。撮影に来る理由は様々。
だけど、なにも同じものはひとつもなくて。
出会いと共に訪れるその瞬間は、いつも新しい。
その子に、その出会いに委ねているだけでは世界は広がらないのです。
いつだって新しい世界を広げられるのは自分自身なのです。
シャッターを切るのはカメラマンです。その空間には多くの要素が詰まっています。
何一つ欠けてはいけない。自分一人で出来るものなどない。
毎日わたしたちは、人に対しても、状況に対しても、空間に対しても、自分自身の観念に対しても。
“探すこと”を続けていかなくてはいけないのだと、この写真を見て強く感じました。
Codi by Kaori Kobayashi
Photo by Kaori Sasaki
In Yokohamaaoba
技術?知識?人を観察する力?イメージ力?人と心を近づけること?経験?
全部大切で必要なものですが、そのひとつに撮影者の“探究心”があると考えます。
私たちは毎日同じ場所で撮影を繰り返します。
季節で変わる光、その日の天気、その日出会ったお客様。
何一つ、同じ状況などなくて毎日は新しいはずなのに、自分の撮影や写真がどこか安定してきていることにふと気付きます。
この場所はこの光。この場所はこの構図。天気が悪いのであればこの位置にライトを置く。つける。
天気が良くて強い光が差し込む日はこの場所で撮る。
勿論被写体が違えばその子に合わせてシャッターを切っていくので全く同じ写真など一つもないのですが、
自分の中の“撮影するうえでの手順”がいつしか“固定概念”となり、いつしか視野が狭くなってしまい新しい挑戦が出来なくなったりします。
今まで培ってきた経験からその安定的な手順を生み出しているし、それが悪いことではありません。
しかし私たちは最初に言った通り毎日≪新しい≫日々を送っています。
何一つ同じものなどないのです。しいて言えば本当に同じなのは「場所」だけ。
それをただの場所としてとらえれば何も変化はないのですが、天気や季節、めまぐるしく変わる光の中で「同じ場所」は姿をどんどん変えて、「同じ」ではなくなっていきます。
自分の中の変化を見つけるためには、探すことが必要です。
同じものを同じと捉えない。
毎日を新しいと感じること。
そうしていつもの場所に立ってみると、新しく見えてくるものも多いと感じます。
彼の撮影は、この場所、普段撮影で使われることのないモニタールームからスタートしました。
私はこの撮影でコーディネーターとして入り、彼のお洋服をコーディネートし、着替えさせ、きっといつも通りホリゾントか廊下から撮影が始まると頭で考え、さて入学の撮影をしよう、というとき。
廊下でいそいそ準備をする撮影者であるかおちゃんの姿がありました。
ママに“最初はスーツ姿かっこいいのでランドセル無しで撮り始めてもいいですか?”と聞き、朝一番しか差し込まない光がスポットライトのように当たるモニタールームへ移動。
テーブルの上に座らせて、彼の撮影がスタートしました。
いつもいる場所。毎日みる場所。この時期に多い入学の撮影。かわいい6歳の男の子。
なんてことない、すべてを“同じように”とらえればそれはそのように始まり、終わるでしょう。
しかし何度も言うように同じものなどひとつもなくて、それがどのように始まり終わるのかは、
始まりをゆだねられた私たちのスタートによって結末が変わることが大きいのではないかと感じました。
彼との“はじめまして”のスタート。その皮切りに新しいこの場所を選んだこと。
いつも見ている、知っている場所だけど『撮影する』うえでここは『新しい』場所になり、
そのなかであったばかりの彼をどのように表現するのか、自分の感覚と向き合っていくこと。探していくこと。
それが毎日撮影を繰り返す撮影者にとってとても大事な要素の一つではないかと考えます。
朝一番しか差し込まない自然光。場所は色味も薄暗い印象のモニタールーム。
その光を彼の“顔ではない”部分にあて、表情をあえて一番にみせないように下を向かせます。
顔のパーツの中で、にこりと微笑むその口元にだけに光が入ることで、彼に対しての印象やイメージを広げます。
その印象はきっといつも見る彼とはまた違う印象を生み出しています。
ちょっとだけお兄さんになった表情。もうすぐ小学生になり、新しいスタートを切る不安や期待の兆候。
その表現はまだ出会って間もない、撮影がスタートしたこの瞬間だからこそ、可能だったのかもしれません。
そしてその瞬間にこの場所、光、表現を選び、あえてカメラを見ないように指示をして近づくカメラマンの意図。
全てが合わさって、この『はじまり』の写真が撮られたのだと感じます。
入学、七五三、お誕生日記念。撮影に来る理由は様々。
だけど、なにも同じものはひとつもなくて。
出会いと共に訪れるその瞬間は、いつも新しい。
その子に、その出会いに委ねているだけでは世界は広がらないのです。
いつだって新しい世界を広げられるのは自分自身なのです。
シャッターを切るのはカメラマンです。その空間には多くの要素が詰まっています。
何一つ欠けてはいけない。自分一人で出来るものなどない。
毎日わたしたちは、人に対しても、状況に対しても、空間に対しても、自分自身の観念に対しても。
“探すこと”を続けていかなくてはいけないのだと、この写真を見て強く感じました。
Codi by Kaori Kobayashi
Photo by Kaori Sasaki
In Yokohamaaoba
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