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名古屋西店
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2017写真分析2 表現のための選択

投稿日:2017/3/1

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私は、写真というものの性質を
“記憶”を呼び起こし、見る側のその時々に合わせて時間を飛び越えて“感情”を生み出すものであると考えます。
時が過ぎて見返した時に思い出す空気、におい、懐かしいエピソード。
それに加えて家族との関係性や、その写真からとらえられる自分というものを見て何か考えさせられることも、その時々であるでしょう。
動画のように見た映像そのまま真実で写しだすものではなく、真実を撮影者のフィルターを通し、イメージが加わることで“見たまま”ではなくイメージが加えられ、撮影者の表現により相手の魅力を最大限引き出した何かがそこに残るのが写真だと思っています。
だからこそ、日々とどまることなく、表現力を高めたいと思います。
技術と感覚は比例していて、感覚を写しだすには技術が必要だし、その技術を生かすにはイメージの力が問われます。
全てが合わさって初めて良い写真、と呼ばれるものになると考えています。
 
ライフスタジオでは75カットの写真を渡していますが、そこに写しだされるものは、
“再確認が出来るもの”と“新たな発見”という二つの要素が加わることで成り立つと考えます。
 
今ここにある家族という大切な存在、その成長。
それは写真を通して再確認をすることが出来るでしょう。
だから私たちは“自然な”と呼ばれる空間を一緒に作り、その空間を画にして写真に閉じ込めていきます。
目の前の相手の、見たことのないような表情、雰囲気、イメージを見つけ出す。
それは写真を通して新たな発見をすることが出来るでしょう。
だから私たちは相手の情報引き出し、キャッチして、それを投げ返すかのようにイメージを加えて表現していく必要があるのです。
ああこんな表情もするのか。こんな表現があるのか。
目の前の人が全く違うイメージではまる、絵のような写真。
75枚の中のストーリーには、その要素が全て込められていると感じています。
 
写真を撮りながら、“イメージ”を成り立たせるために、モノクロを選択することがあります。
それには必ず理由が必要で、カメラマンはその場でカメラの設定をモノクロに変えてシャッターを切っていきます。
そして写しだされた写真は、誰が見てもカラーではなくモノクロだからこそ良いと言えるものが、良いモノクロの写真だと言えます。
モノクロで表現する写真の[理由]にはどんなものがあるでしょうか。
どんな表現がしたくてモノクロを選択しているか理由は様々ですが、
必ず必要なのは「光」と頭の中にある「表現したいイメージ」です。
一言でモノクロと言ってもその表現は無限大です。
白から黒へのグラデーション、色の強さ弱さを表現するコントラストの表現。
頭の中にあるモノクロに対しての撮影者のイメージ。
選択した光や技術でその表現はがらりと形を変えます。
 
私はこの写真を写した場所がとても好きで、1人でも、きょうだいでも、家族でも、男の子でも女の子でも、使用することが多いです。
特にこの窓際の逆光が奥まで届いているとき。
全てを包み込んでくれるようなその光だけで暖かい表現から強い表現まで幅広く撮ることが出来ます。
広く自然光が入ることで撮影した窓の正面側に前ボケの植物を置きキラキラと反射させ、その光がその場を、彼女を全てを包んでいるように見せます。
広く撮った写真もありますが、彼女にコーディネーターのなっちゃんがお花を渡し、良いにおいがすると思って、目をつぶっておはなの匂いを嗅いでーと、動きをプラスしてくれます。
具体的に彼女に伝えることで感情をプラスさせ、少し微笑んでいるような表情を写しだします。
 “目をつぶる”ことで静かに時間が止まったような表現にしたくて、この時色味の情報をすべてなくしてモノクロを選択しました。
光が強かったためすべてが光で溶けてしまわないように、写したい彼女の存在とドレスの質感、安定を保つ線はしっかり写しだされるように絞りは5.6で絞ったまま。
光のみで、空間のキラキラしている感じや暖かく包み込んでいる様子が明るく写しだされるように撮りました。
この写真は全体が逆光で明るく同じ光量が保たれているため平面的です。
どちらかというと立体的な空間としてとらえるのではなく、一枚の絵のように表現したくて、白い明るい要素を多く取り入れ、被写体を圧縮気味に安定するように構図にあてはめ、後ろの格子の線で安定感を保ち、心地の良い形で一枚がまとまるようにしました。
 
淡く、薄い色味にまとめ、暗い印象になりすぎないように。
モノクロで光を写したからこそ、“光”が彼女を際立たせるための要素として成り立ちます。
 
全てに意味があってこそ、良いとされる写真は生まれます。
人と人がいてこそ成り立つ写真は、一方通行では成り立ちません。
 
写真を撮るときは、どんなに意のままに動く相手だろうと、イメージを作りこんだり、
自分の勝手で相手をはめこむことは勿論したくありません。
私が撮りたいのは相手の表現であり、相手のための私のイメージだからです。
 
シャッターを切るときに沢山の情報が頭の中に駆け巡ります。
被写体、空間、インテリア、衣装、光、、すべては撮影者の頭の中でぐるぐると混ざり合い、一枚の絵の表現が浮かんできます。
何を撮るにしても撮影者の意図は必ず必要で、それがあってこそ要素を適切に判断し、そろえることが出来ます。
被写体に適切であるか、空間に適切であるか、インテリアには、、、、
 
被写体の年齢が上がれば上がるほどその適切な判断は委ねられます。
いかに魅力を写しだすかは相手の情報を受け取り、こちらの情報を投げ出すキャッチボールの中で、
相手から受け取ったものが、技術やイメージ力によって形になっていくのです。
頭の中で受け取ったもの、自分が持っているものの要素がパズルのように当てはまり、相手のためのイメージとなり、完成されるのです。
 
受け取ったものを何にするのかはこちらの表現力の幅次第。
だからこそ同じように撮影しても同じような写真は生まれないし、自分と相手で成立するオリジナルの一枚の表現が出来上がります。
記録として残り、未来に届ける記憶を運び、感情を生み出す写真。
その中に知らない自分がいることにも気付いてほしい、発見の要素を75カットには込めたいと思います。
それはシャッターを切った私の、相手から受け取ったものが詰まっているからです。
そうやって届けたいものの中に、もっと自分の表現が詰まって、幅広くたくさんのものを渡していけるように、視野を広げ、まだまだ努力しなくては。と思います。
 
それが、撮影者の醍醐味で、嬉しくて楽しくて、写真の魅力なんだと思います。
毎日が嬉しい出会いと発見の連続。同じ時間も空間も場所も人も何もないからこそ、日々追いかけて投げ続け、受け取り続けていかなくてはいけません。
そうして人と繋がれるからこそ、撮影者から見ても、被写体から見ても何か感情を生み出す一枚になるのでしょう。
そんな写真を、大切な目の前の人へ、生み出し渡していける撮影者でありたいと思います。

codi by Natsuko Takagawa
photo by Kaori Kobayashi
in Yokohama Aoba

 

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