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名古屋西店
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2017写真分析1 意志と演出力
投稿日:2017/2/22
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昔、写真を撮り始めたころに、同じように西日を使った写真を撮ったことがあります。
それは、とても美しく、自分でも驚くくらいに上手に撮れて、でもまだまだ写真を撮り始めた初期の段階だったので、周りの人に見せるのもなんだかな~と気が引けていました。
ところが、その写真が思いのほか周りのスタッフからも好評で、え、じゃあ、出してみるか~!となんとなく公に出したことがありました。とても、気軽な気持ちでした。
その時に、私に困ったことが起こりました。
その頃はまだ名古屋店にいた私。
関東圏内の他店舗のまだしゃべったことがないスタッフたちから連絡がたくさん来たのです。
何故、こうやって撮ったのか?光をなぜここからとらえようと思ったのか?インテリアのライトは何故タングステンだけつけたのか・・
などなど。
たくさんの質問を受けました。
それは、評価してもらえているからこそで、私はそこに答えを持っていなければいけませんでした。
だって、撮ったのは、私だから。
しかしながら、何も答えられなかったのです。
かろうじて答えた言葉は
“なんとなく、きれいだなあって思って・・・”
写真を撮るうえで『構成要素』というものは限りなくあって、その細かなすべてがパズルのように細かく合わさって一つの画になっていくのですが、
当時の私はその質問に何一つ答えられなかった、という悔しい思いがあります。
ただ、単純にその写真の構成要素はまったくの『感覚』から撮ったものであり、何一つ自分の意志が反映されていなかった、偶然の写真だったからです。
勿論それがダメなわけじゃありません。
“きれいだなあって思った”のは感覚だけど、大切な感覚で。
良いと思われるってことは、良い要素があったからだし、評価されて嬉しくなかったかといわれれば、
夜中に何度もその写真を見て、それに対してコメントをくれた人のメッセージを見てうへへと笑っていたくらいで。
良い写真だと言われて嬉しかったのも事実。
ただ悔しかったのは、それをどうやって撮ったのか、何故自分がそうやって撮ったのかがすべて感覚でしかなくて、それゆえに結果自分の写真という感覚が無いと、感じてしまったのです。
写っている人がいて、その空間があって、私がいて。
全てのものがつながって初めて写真が生まれるのに、私からの意思表示が何もなかったことが悔しかったのです。
何も答えられない自分に大きな課題が見えました。
自分の写真、を撮る事。
それは、ただ撮りたいイメージをがむしゃらに撮るということではなくて、
シンプルに言えば“説明が出来る写真”を撮らなくては、と思ったのです。
当たり前です。
私たちは、同じものなんて何一つない目の前の人を撮っているのだから。
表現力は目の前の人の魅力を最大限引き出すものです。
表現力は自分が撮りたいものと、それについての技術がなければ成り立ちません。
そんなときに自分が集中して学んだのが『光』でした。
写真の構成要素の中で最も大きな要素の一つです。
美しい光とは何か?表現するための光とは何か?
光は明暗をわけるものでもあり、色味を変えるものでもあります。
空間を彩り、つくりだすもの、写しだすもの。
その光をどのように人や空間と合わせていくのかが写真の良し悪しを決める一歩になります。
西日が夕方残る季節になりました。もうすぐ春だなあ、なんて思いながら撮影に入ります。
彼の撮影はハーフ成人式。最終枠の時間です。
彼の撮影を一階で終え、いざ二階に上がったら、おお、いい感じに差し込んでいるではないかと。西日で撮ることを決めました。
西日は色がオレンジです。
そして強い色と差し込み方をするので、使い方次第で良くも悪くも写真を左右し、使いすぎるとその特別感はなくなってしまいます。
モデルの彼は照れながらも何でもやってくれる素直な男の子で。
笑顔も抜群だったわけですが、
おや、と二着目を見たところかっこいい革ジャンを羽織っていました。
この照り!色味!男らしい背中!立ち姿!
全身入れて彼を際立たせる西日の使いかたを考えました。
ただ逆光に捉えるだけではせっかくの革ジャンの色味も照りもぼやーっとぼやけてしまいます。
そういう風に撮ることもあるのだけれど、いや、これは違うでしょ、と角度を探しました。
西日が差しこむ窓はふたつ。角度によってはどちらからも光を取り込むことは可能ですがそれではあまりにも強すぎてしまいます。
女の子のドレスだとかふんわりな雰囲気には最高なのですが、
今は違う!かっこよく、オレンジの色味を“強調”の意味合いで使いたい!!
彼の姿かたち。
なんだかよくわからないおしゃれサングラスを差し出され、笑いながらもかけてくれる彼に感謝しつつ。
左側の窓からメインで西日が入るように自分も立ち、彼にも立ってもらい、準備。
光に彼を近づけすぎないように、あくまでメインは彼の“立ち姿”になるように。
両方の迄から差し込む光が彼を際立たせてくれる。
革ジャンのしわの照りも、ぼやけてしまわないように少しだけコントラストを上げて絞りもしっかり絞ってシャッターを切る。
あくまで光は色味と彼をかたどるラインの要素として。
オレンジに照らされた中に浮き立つネイビーの革ジャンは男らしさ、夕日の中にたたずむ男の背中を演出してくれます。
衣装も下が白いパンツで暗くなりすぎずに全身を捉えることが出来ました。
彼を演出するための、光。
彼のためだけの、演出。
それは何でもあてはまるものではなくて、そのときの彼のイメージと、衣装と、それまでの撮影の雰囲気からガラッと変えたかったという意識も全部ひっくるめて、この写真が生まれたと感じます。
今でも写真を論理的に細かく話すことは苦手です。でも、写真の話をするのは好きです。
写真の数だけ物語があって、撮影者の意図があって、被写体の意志があって。
そうやって好きだなあって感じるためにこうやって自分の写真と向き合って文章を書くのもわりと嫌いじゃないなあなんて感じるのです。
ひとつずつ、一歩ずつ。
魅力を引き出す、発想豊かな表現者になれるように、毎日の出会いに感謝しながら出会いと向きあい
これからもシャッターを切っていきたいと思います。
Codi by Kazuma Gomei
Photo by Kaori Kobayashi
In YokohamaAoba
それは、とても美しく、自分でも驚くくらいに上手に撮れて、でもまだまだ写真を撮り始めた初期の段階だったので、周りの人に見せるのもなんだかな~と気が引けていました。
ところが、その写真が思いのほか周りのスタッフからも好評で、え、じゃあ、出してみるか~!となんとなく公に出したことがありました。とても、気軽な気持ちでした。
その時に、私に困ったことが起こりました。
その頃はまだ名古屋店にいた私。
関東圏内の他店舗のまだしゃべったことがないスタッフたちから連絡がたくさん来たのです。
何故、こうやって撮ったのか?光をなぜここからとらえようと思ったのか?インテリアのライトは何故タングステンだけつけたのか・・
などなど。
たくさんの質問を受けました。
それは、評価してもらえているからこそで、私はそこに答えを持っていなければいけませんでした。
だって、撮ったのは、私だから。
しかしながら、何も答えられなかったのです。
かろうじて答えた言葉は
“なんとなく、きれいだなあって思って・・・”
写真を撮るうえで『構成要素』というものは限りなくあって、その細かなすべてがパズルのように細かく合わさって一つの画になっていくのですが、
当時の私はその質問に何一つ答えられなかった、という悔しい思いがあります。
ただ、単純にその写真の構成要素はまったくの『感覚』から撮ったものであり、何一つ自分の意志が反映されていなかった、偶然の写真だったからです。
勿論それがダメなわけじゃありません。
“きれいだなあって思った”のは感覚だけど、大切な感覚で。
良いと思われるってことは、良い要素があったからだし、評価されて嬉しくなかったかといわれれば、
夜中に何度もその写真を見て、それに対してコメントをくれた人のメッセージを見てうへへと笑っていたくらいで。
良い写真だと言われて嬉しかったのも事実。
ただ悔しかったのは、それをどうやって撮ったのか、何故自分がそうやって撮ったのかがすべて感覚でしかなくて、それゆえに結果自分の写真という感覚が無いと、感じてしまったのです。
写っている人がいて、その空間があって、私がいて。
全てのものがつながって初めて写真が生まれるのに、私からの意思表示が何もなかったことが悔しかったのです。
何も答えられない自分に大きな課題が見えました。
自分の写真、を撮る事。
それは、ただ撮りたいイメージをがむしゃらに撮るということではなくて、
シンプルに言えば“説明が出来る写真”を撮らなくては、と思ったのです。
当たり前です。
私たちは、同じものなんて何一つない目の前の人を撮っているのだから。
表現力は目の前の人の魅力を最大限引き出すものです。
表現力は自分が撮りたいものと、それについての技術がなければ成り立ちません。
そんなときに自分が集中して学んだのが『光』でした。
写真の構成要素の中で最も大きな要素の一つです。
美しい光とは何か?表現するための光とは何か?
光は明暗をわけるものでもあり、色味を変えるものでもあります。
空間を彩り、つくりだすもの、写しだすもの。
その光をどのように人や空間と合わせていくのかが写真の良し悪しを決める一歩になります。
西日が夕方残る季節になりました。もうすぐ春だなあ、なんて思いながら撮影に入ります。
彼の撮影はハーフ成人式。最終枠の時間です。
彼の撮影を一階で終え、いざ二階に上がったら、おお、いい感じに差し込んでいるではないかと。西日で撮ることを決めました。
西日は色がオレンジです。
そして強い色と差し込み方をするので、使い方次第で良くも悪くも写真を左右し、使いすぎるとその特別感はなくなってしまいます。
モデルの彼は照れながらも何でもやってくれる素直な男の子で。
笑顔も抜群だったわけですが、
おや、と二着目を見たところかっこいい革ジャンを羽織っていました。
この照り!色味!男らしい背中!立ち姿!
全身入れて彼を際立たせる西日の使いかたを考えました。
ただ逆光に捉えるだけではせっかくの革ジャンの色味も照りもぼやーっとぼやけてしまいます。
そういう風に撮ることもあるのだけれど、いや、これは違うでしょ、と角度を探しました。
西日が差しこむ窓はふたつ。角度によってはどちらからも光を取り込むことは可能ですがそれではあまりにも強すぎてしまいます。
女の子のドレスだとかふんわりな雰囲気には最高なのですが、
今は違う!かっこよく、オレンジの色味を“強調”の意味合いで使いたい!!
彼の姿かたち。
なんだかよくわからないおしゃれサングラスを差し出され、笑いながらもかけてくれる彼に感謝しつつ。
左側の窓からメインで西日が入るように自分も立ち、彼にも立ってもらい、準備。
光に彼を近づけすぎないように、あくまでメインは彼の“立ち姿”になるように。
両方の迄から差し込む光が彼を際立たせてくれる。
革ジャンのしわの照りも、ぼやけてしまわないように少しだけコントラストを上げて絞りもしっかり絞ってシャッターを切る。
あくまで光は色味と彼をかたどるラインの要素として。
オレンジに照らされた中に浮き立つネイビーの革ジャンは男らしさ、夕日の中にたたずむ男の背中を演出してくれます。
衣装も下が白いパンツで暗くなりすぎずに全身を捉えることが出来ました。
彼を演出するための、光。
彼のためだけの、演出。
それは何でもあてはまるものではなくて、そのときの彼のイメージと、衣装と、それまでの撮影の雰囲気からガラッと変えたかったという意識も全部ひっくるめて、この写真が生まれたと感じます。
今でも写真を論理的に細かく話すことは苦手です。でも、写真の話をするのは好きです。
写真の数だけ物語があって、撮影者の意図があって、被写体の意志があって。
そうやって好きだなあって感じるためにこうやって自分の写真と向き合って文章を書くのもわりと嫌いじゃないなあなんて感じるのです。
ひとつずつ、一歩ずつ。
魅力を引き出す、発想豊かな表現者になれるように、毎日の出会いに感謝しながら出会いと向きあい
これからもシャッターを切っていきたいと思います。
Codi by Kazuma Gomei
Photo by Kaori Kobayashi
In YokohamaAoba
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