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ビタミン100を終えて:ビタミン81~100

投稿日:2012/10/31

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ビタミン100を終えて

 

去年の9月から始まったライフサークルのリーダーシップ。

ちょうど1年前、自分の考えるリーダーシップとは?自分のストロングポイントとは?自分のプロジェクトは何にするか?ということを3ヶ月かけて話していた。

 

私の2012年のプロジェクトを「ビタミン100」と決め、1年に本を100冊読み抜粋した部分をアップする。とした。

ビタミン100に関連して私が書いた文章をもう一度読んでみた。

何故私がこのプロジェクトをしようと思ったのか。それは今でも残っている気持ち。自分に対して堂々とできない私がいるから。

私の人生の主題は「人としてちゃんとした人生を歩みたいということ」。「成熟した女性になること」であるのに、そうできていない自分。その姿に少しでも近づいていけるように、ビタミン100を行い、何の知識もない状態からいったん入れていく作業が必要だった。そうやって学習していくうちに、いずれは知識から知恵へと変わりぶれない意思を持てる自分になる姿を描いていた。そうなったら、このプロジェクトは大成功といえる。

 

本を読むにあたり、では何から読んでいくか。時間配分や内容、書き方等考えてはみたものの、結局最後まで、本の内容から自分が感じた部分を抜粋する形になった。数字的にみると目標達成といえる。100冊を書き終えた瞬間、やっぱり、今まで感じたことのない達成感、自分でもやればできるということ、小さな自信が芽生えた。それと同時にたくさん手伝って励ましてくれた人の顔が浮かんだ。本を紹介してもらい、一緒に夜まで残って話しながら書いて。一人じゃないから不安な気持ちも少なかったように思う。きっと私がちゃんとやろうと決意できたのは6月頃だったと思う。先は見えず、全然進まず、意欲もわかない。そんな時、喝を入れてくれた人がいた。「やるってきめたんなら、やりなさい。人生何回もやるわけじゃないし、何ヶ月寝ずに鼻血でもだしながらやっても大丈夫だよ。」と。それを聞いた時、ごもっともなことで、何も言えなかった。またいつもの言い訳をしている自分がいた。何のためにこのプロジェクトをやろうとしているのか。いろんな人と一緒に、助けてもらいながら、アドバイスをもらいながら、泊めてもらいながらなんとかできた。一つのことをやり遂げたという、達成感、感動は思っていた以上に大きく、今すぐ山に行って叫びたい心情にかられた。と、同時に一つ懸念していたことがやはり起きた。1年前、達成したら自分はこんな人になっているのではないかという姿ではなかったこと。途中の段階できっと思っていた姿にはなっていないかもしれないと感じはしていたものの、まずは一旦達成することが重要だった。

 

リーダーシップに参加し、みんなの話を聞きながら、いつも小さくなる自分がいた。それは結局自分に堂々とできるものがないから。だからよけいに、他の人の話を聞いて、自分と比べそこでまた自己嫌悪に陥る。この歳にもなって、まだ学生みたいなことを言っている私。自分の夢や目標に向かって進んでいる人を見ながら、日向と日陰にいるような気分になる。恥ずかしさと、情けなさ、小ささに、もっと何も言えなくなる。その繰り返し。そんな思いが起きるのは仕方ない。だからこそ、もっと今やるべきことをちゃんとやって、それを自分に蓄積していき、それを整理していく必要がある。ビタミン100をやりながら何もやらないでうじうじ言ってるのではなく、せめてやってから言おう。そう思えてきた。

 

自分の人生の中でこんなにたくさんの本を読み、買ったことは始めてだった。またいつこんな風になるかはわからないけれど、本ってよめば読むほど面白いと思う。たくさんの本があって、たくさんの人がいろんな考えを持って書いているもの。人の意見が表れている。今現在のものから昔のものまで。そこには人の歴史が全部ある。本は人間にとって財産になっているのだと感じた。そのたくさんある本の中から自分がどんなものが好きで、どんなことを考えるのか。を思うと本を選ぶのも楽しかった。本嫌いだった私がこう感じるようになったのも、このプロジェクトのおかげ。ありがとう。

 

私の人生の主題「成熟した女性」。これは変わらないけれど、この1年を通して、自分の小さな目標が見えた気がしたこと。自分がここにいる意味や、自分がやりたかったこと、自分がやるべきこと。それが少し見えた気がした。それは、人と人との気持ちを繋げるメッセンジャーになりたいということ。できるできないではない。そんな自分になりたい。そんな姿でありたい。そう思った。実現できるかどうかは、まだまだ遠いというこは分かっている。でも何年かかっても、なりたいと思う。それが自分の人生において自分自身にとって、堂々と自分に負い目無く生きていけることだと思うから。そのための課題も見える。人前で話したり、相手のことを考えたり、内容を整理し発信していくこと。そして、自分自身のことをちゃんと知り、自分のことを人に知ってもらうこと。など。たくさん課題がある。そのためにもまだまだ知識が必要であり、行動力、考え方、肯定的な思考が必要。そのためにまた、2013年どうしたらいいのか考えていく。

 

ビタミン100が一段落したけれど、これが終わりではなく始まりになりそうだ。11年、着実に自分の立てた、目標をちゃんと達成し、自分のなるべき姿、なりたい姿、人生の目的をみつけていけるように歩んでいきたい。いつもちゃんと待ってくれる人がいること。そんな人と出会えたこと。私の人生の宝物です。ありがとうございます。いつか早い時期に、今の私の姿を笑いながらおもしろ話に変えていける日がくることを夢見ながら。これから動いていかないと^^

 

「ビタミン81100

ビタミン81

いい明日がくる夜の習慣

本文から

・眠る前の3分は、顕在意識から潜在意識に切り替わるときです。人生の夢について思いをはせながら眠りにつけば、潜在意識に夢を刻みこむことができます。これが、明日を幸せにするための夜の過ごし方です。

 

・日中、私達は「他人時間」を生きていると言えます。他者との関係の中で生きていくのが人間なのですから仕方がないことです。そこで、夜は「自分時間」を取り戻し、心穏やかに眠りにつくことが大切です。

 

・眠る前にニコニコすると、幸運を呼び寄せることができます。

 

・きれいな部屋には自然と帰りたくなる。そうじ、整理、整頓、片づけは、「いい気分」をはこんでくるだけではなく、心もチリをも払う幸福の土台作りなのです。

 

・「ほっとする場」を普段から意識的に作り出していくことで、「ほっとする時間」を持つことができます。具体的には、自分がリラックスできる場所を決めましょう。

 

・今日の疲労を明日に持ちこさないためには、「逆立ち」なのです。日中に重力のせいで鬱血して淀んでいる下半身の血液を、心臓のほうに戻してやる。逆立ちによって血流がよくなり、疲労の下である乳酸がみるみる分解されて、すっきり爽快です。

 

・眠る前、自分自身への感謝を忘れない。

 

・今日出会った人たちに「ありがとう」とつぶやいてみる。一日の終わりにふさわしい、本当に素敵な習慣です。

 

・眠る前、自分自身への感謝を忘れない。亜棚自信に対してありがとうを言葉にして伝える。これがどれほど素晴らしいかは、実行した人にしかわかりません。

 

 

ビタミン82

幸運を呼びよせる朝の習慣

本文から

・心配事のない人間など、もう肉体を持つ必要はありません。そういう人は、現世を卒業してとうに礼会へ旅立っているはずです。心配、悩み、不安、トラブルを抱えながらも、夢に向かって新しい一日を始めることのできる自分に感謝しましょう。

 

・朝の1人の時間を、たとえ数分でもいいので、きちんと意識して確保しましょう。朝、自分のゴールデンタイムとして3分間、1人きりの「静かなワクワク時間」を持ちましょう。あなたの人生をデザインするのは、他人ではなく、あなたであってほしいのです。

 

・まずは自分の夢を高く掲げ、それをベースにして、今の正直な気持ちを深掘りしていく。「朝」日記、つまり朝に日記をつけましょう。静かな朝は、光の中で素直に自分自身と向き合える絶好の時間帯なのです。

 

・筋力をつけることで些末なことにブレない自分ができあがる。筋力がない人というのは、この神経ネットワークが単純なのです。単純ということはストレスに弱いということ。人に何か言われたりすると感情が大きく揺れ動いてしまいます。それに対して、筋力をつけていくと、神経ネットワークが複雑になってきます。外界からのマイナスの攻撃に対しても、単純に「どうしよう、困った」と反応するのではなく、「まあ、そういう見方もあるね」と多様な解釈ができるようになります。

 

・五感をフル動員して朝を楽しむ

・視覚…太陽のシャワー

・聴覚…お気に入りの音楽

・嗅覚…アロマ・ミスト

・触角…バスルームでのシャワー

・味覚…朝食

 

・理想的な朝の目覚めは、①太陽の光だけで目覚める、②お気に入りの音楽で目覚める、③けたたましいベルの音で目覚める。

 

・体質が変わると心まで変わります。

 

・マイナス感情は、正直に書いて文字化すれば、浄化されます。書かずに、いつまでも心の中でくすぶり続けることほど、やっかいなものはありません。爆弾を抱えて仕事をするようなものです。マイナス感情にバッテンをつけることなくそれを認め、浄化し解放してあげる。漠然とあれこれ考えることが一番良くないのです。

 

・ストレスは背中にたまるため、「ブリッジ」や「逆立ち」や「ぶらさがり」などをして、非日常的な身体刺戟をほんのちょっとでいいから、毎日の習慣に取り入れましょう。

 

・朝に1日の流れをイメージすることは、成功のシナリオになる。1日の流れを朝にイメージすることで、物事の優先順位を取り違えてしまうことなく、効率的に仕事をこなしていけます。

 

・「小さな気持ちいいこと」を朝に実行することで、成功回路のスイッチが入ります。

 

・耳栓をすることで、本当に大事なことを一番最初に考えるようになります。優先順位を取り違えることがなくなるのです。また、自分の呼吸が聞こえてくるようになりますが、それは、自分に意識が向くことにつながるのです。

 

・足を満たすと書いて「満足」。幸せに成功するコツは、下半身にあることは間違いありません。全身の筋肉の約八割が、下半身に集中しています。下半身の筋肉が弱ってくると、一気に廊下が加速します。

 

 

ビタミン83

気くばりのツボ

本文から

・相手との関係をつなぐために一番大事なことは、その相手とまた会えることを、あなたがちゃんと期待すること。

 

・どんな人がどこでどうつながって、あなたに幸運をもたらすかわかりません。新しい人と出会うことに、もっと積極的になってもいいかなと思います。

 

・自分を知るには、自分とまったく違うタイプの人、またはそっくりなタイプの人に数多く会うことが大切です。まったく違うタイプの人は、あなたの新しい可能性を引き出してくれます。そっくりなタイプの人は、自分自身を客観視するきっかけを与えてくれます。

固定した人間関係の中に留まっていると、なかなか本当の自分に気づけないんです。

 

・まずは挨拶からはじめてみましょう。肩の力を抜いて、さわやかな笑顔で。あなたがガチガチだと、相手まで緊張させてしまいます。反対にあなたの方からリラックスすれば、相手の緊張をそくことができるんです。

 

・伝えたいことがあるのに、うまく伝えられそうもない。そんなときは、視点を「相手にどう伝えるか?」に切り替えてみましょう。話し始める前に感じた戸惑いも含めて、それをありのまま言葉にしてみます。

 

・プレゼント好きな人は、ショッピングの途中でも、旅行中でも、「あの人が使ったら便利かも」「世界が広がるかも」「似合うかも」「熱中するかも」・・・という物を探し続けていま。だからプレゼントの内容も、それを贈る態度も自然だし、相手も素直に受け取ってくれるんです。

 

・みんないつでも楽しい事を求めています。選択肢が複数あれば、人はより楽しそうな方に流れていく。

 

・みんなもともとは余暇を楽しく、充実させるために仕事をしていました。それがいつの間にか、「仕事で疲れた体を休めるためだけ」に余暇を使うようになってきました。遊んでなんかいられない。もっと一生懸命働かなければって。でもそんな毎日が続いていたら、いったいいつ「楽しむ」日が来るんでしょうか。いつか人生を振り返ったとき、「なんのための人生だったんだろう?」って後悔するのは悲しいことです。

自分はなぜ毎日忙しくしてるのか。それを忘れないでください。自分に「なぜ?」と問いかけることで、明日やるべきことがみえてくるはずです。「明日が楽しみ!」と言える毎日。

 

 

ビタミン84

置かれた場所で咲きなさい

本文から

・置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間として生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境のしゅじんとなり自分の花をさかせようと、決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。

 

・どんなところに空かれても花を咲かせる心を持ち続けよう。境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。「現在」というかけがえのない時間を精一杯生きよう。

 

・現状よりもよくなる状態を“発展”と呼ぶのだとすれば、少なくとも人生においては、順風満帆の生活からよりも、山あり、谷ありの人生、失敗もあれば挫折も味わう、苦労の多い人生から立ち上がる時のほうが、発展の可能性があるということなのです。

 

・「死にたいと思うほどに苦しい時、“苦しいから、もうちょっと生きてみよう”とつぶやいてください」苦しみの峠にいる時、そこからは必ず下り坂になります。そして、その頂点を通り越す時に味わった痛みが、その人を強くするのです。

 

・自分が積極的に動いて、初めて幸せを手に入れることができる。他人まかせでは幸せは得られない。自分が光となって世の中を照らそう。

 

・きれいさはお金で買えるが、心の美しさは買えない。心の美しさは、自分の心との戦いによってのみ得られる。

 

・他人からしてほしいと思うことを、あなたたちも他人に行いなさい。価値観は言葉以上に、実行している人の姿によって伝えられる。同じ事柄でも価値観によって受け取り方が変わる。子供には、愛と思いやりのある価値観を伝えたい。

 

・誰にでもできる我慢は、我慢のうちに入らない。ふつうなら到底できない我慢、忍耐、許しができて、初めて「堪忍」の名に値するのだという。

 

・まず考えるということ、次に感じる余裕を持ち、その後に行動するという順序こそが、「一人格」としての生き方なのです。

 

・もしあなたが誰かに期待した微笑みが得られなかったら、不愉快になる代わりにあなたの方からほほえみかけてごらんなさい。ほほえみを忘れた人ほどそれを必要とする人はいないのだから。

 

・心の爽やかさは、お金では買えないのです。それは、生きることの難しさから逃げることなく、その一つひとつをしっかり受け止めて、「大変だから、もうちょっとがんばってみる」という心意気から生まれるものです。ピンチをチャンスに変える、聡明さと明るさが生みだす健気さこそが、心の爽やかさとなって表れるのです。

 

・“あなたが大切だ”と誰かにいってもらえるだけで、生きて行ける。人は皆、愛情に飢えている。存在を認められるだけで、人はもっと強くなれる。

 

・ありのまま受け入れた時、相手の秘めた可能性が開花する。誰にも「成熟に向かって前進する力」が潜んでいる。相手を信頼して、尊敬することから始めよう。

 

・自分のいのちに意味を与えることで、苦しい状況でも生きてゆくことができる。人は「愛する人のために生きたい」と、思うことでより強くなれる。愛は生きる原動力。

 

・毎日を「私の一番若い日」として輝いて生きる。歳を取ることは悲しいことではない。新しい何かにチャレンジして、いつも輝いていよう。

 

・失ったものを嘆いても前には進めない。悩みを抱えている自分も大切に。嘆いてばかりいては、悩みも嫉妬も雪だるまのように膨らんでしまう。悩みを科開けている自分をいとおしもう。

 

・神は決して、あなたの力に余る試練を与えない。人間に悩みはつきもの。けれども、神様は試練に耐える力と逃げ道をきっと備えていてくださる。

 

・「老い」を意識する時、人はより柔和で謙虚になることができる。老いた自分を磨くのではなく、それを受け入れ、「老いは神の賜物」と意識できる自分をめざそう。

 

・父と過ごした九年、その短い間に一生涯分の愛情を受けた。愛情の深さと歳月は比例しない。たとえどんなに短くても、本物の愛は心を充分に満たしてくれる。

 

・いつ、何が起きるかわからないから、いつも準備をしておく。自分が歳を重ねたからこそ、伝えておきたい言葉がある。

 

・信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。この世に完璧な人間などいない。心に2%のゆとりがあれば、相手の間違いを許すことができる。

 

・大切なのは「人のために進んで何かをする」こと。「人に迷惑をかけない」からもう一歩進んで、「手を差し伸べる」気持ちが愛の実践につながる。

 

・「私達には偉大なことはできません。しかし、小さなことに、大きな愛を込めることはできるのです」「寸鉄人を殺す」という言葉があるように、短い言葉でも、相手を殺しもすれば、生かすこともできるのです。

 

・相手を生かすぬくもりのある言葉を使える自分でありたい。言葉ほど恐ろしいものはない。使い方を間違えれば凶器にもなる。言葉を無機質なものにしてはいけない。

 

・「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練さえも、両手でいただくこと。すすんで人のために自我を殺すことが、平和といのちを生みだす。

 

 

ビタミン85

シンプルリスト

本文から

・自分が好きではないものを知る事は、自分を知る事でもあるのです。

 

・人はみな、価値観や信念にしたがって行動することで、人生により深い意味を与えることができます。ですから、自らの価値観をはっきりさせることがなにより重要なのです。

 

・私達が他人の中に見出した長所や短所は、自分自身の長所や短所でもあるのです。心理学的にも、私達が他人のなかに発見する長所は、もともと自分のなかに持っていたものだと考えられています。

 

・アリストテレスは「注意深く観察をする能力が発達すればするほど、幸せになる能力が発達する」と述べています。

時間がないという焦燥感にかられるのは、段取りが悪いからではありません。多くの場合それは、うまく集中できていないところに原因があるのです。長時間働いているけれどもクオリティは低い、遊んでいても心から楽しめていないなど。こういうときは思い切っていましている事の手を止め、心からリラックスして自分の思う「完璧な行動」リストを作ってみてはどうでしょうか。

 

・人生の目的とは楽しむ事であり、それが幸せな人生だというのです。

 

・心の栄養になることを選ぶのは、体のために食材を選ぶのと同じくらい大切です。

 

・ときにつらく終わりがないようですが、自分探しは多いに価値ある事です。人生とはなにか、自分の真の姿とは何かを自覚するという、もっとも大切なことから目をそらさないために、日々の暮らしを見つめ、変化を感じていく事が欠かせません。

 

・人はさまざまな面を持っています。本質である揺るぎない部分、日々、他人とかかわる部分、若い頃の自分、勇気ある自分、臆病な自分、大人な自分、子供の自分、心の広い自分、嘘つきの自分、正直者の自分、陰気な自分、陽気な自分、芸術家の自分・・・。もちろん人は変化し、絶えず成長するものですが、本当の自分、つまり人の本質は変わりません。自分自身をよりよく知り、ものや写真よりも効果的に、歩いてきた道のりをたどるには、リストの形で自分の人生の「年鑑」と作るとよいでしょう。

 

・書くとは、自分と対話することなのです。書くことで自分自身を深く見つめ直し、欠けている点や衰えつつあることを見出せるようになります。それは、自分の視野の狭さをしるきっかけであり、自分の内面やまわりで起こっていつことを自覚することにつながります。そうすることで、新たな選択ができるようになるのです。

 

・私達は絶え間なく変化しています。完璧な存在になる必要などないのです。私達がどうあるべきか注文をつける人はいません。あらゆる矛盾を抱えているのが人間というものだからです。大人になるということは、過ちを自覚するということであり、内面に潜むあらゆる自分と最大限調和して生きていくように努めるということなのです。

 

・困難や危機に直面したときに大切なことは、落ち着きを保つことであり、惑わされずに集中することです。

書くことで、より力強く、また前向きに生きる事ができるのです。心を落ち着かせて自分の行く先を定め、集中力を高めましょう。自らの言葉は人生の道連れであり、あなたを守るガードレールでもあります。ほんの小さな一言が、自分が生きていることを実感させてくれることにあなたは驚くでしょう。

 

・書く事、自分に問いかける事、よく考えること、そして、自分をしっかりと見つめる事によってしか、心の平安や生きる喜びは得られないと心に留めておくことが、私達には必要です。

 

・客観的になることで、具体的な解決策が見つかることもあります。ネガティブな感情を持ち続けるのではなく、言葉に書き出して手放しましょう。こうすることで、そこにとどまって悩み続けることなく、すっきりと別のことに取り組むことができるのです。

 

・恋愛に悩みはつきものです。葛藤で自分を見失わないでください。自分をごまかさないで、寂しさを他人のせいにしないでください。誰かがいないから寂しいのではなく、自分をしっかり持っていないから寂しいのです。

 

・どんな自分になりたいかを選択するのは、あなた自身です。あなたが間いたくない気持ちを、あなたに感じるように強いることができる人などいないのです。あなたには、なりたい自分を自分で選ぶという大きな自由があるのです。

 

・思考はあなた自身のものであり、あなただけが操るべきものです。他人が干渉することではありません。思考の流れを自在にコントロールする術を覚えると、私達は驚くほどの精神的自由を得る事ができます。

 

・笑う事はとても大切なことです。笑う事でリラックスでき、笑う事で病気が治ります。人は年をとればとるほど、笑いが減っていきます。逆に小さな子供はほんの小さなことにもよく笑っているはずです。

 

・自分のことが嫌いで、不幸だと感じているときは、他人もが、自分の憧れおれるものを手に入れたいはずです。

 

・「私達は人生を傍観者として生きてはならない」

 

・自分がどうしたいかを知っている人は、他の人よりもずっと速く目的を達成することができます。自分がどこへ向かっているかを知っているからです。まず何にとりかかるべきか、どんなやり方がよいのか、わかっているのです。

 

・きみに必要なのは、毎日少しずつ、自分が真の無限なるフレッチャーであると発見し続ける事なのだ。そのフレッシャと発見しつづけることなのだ。

 

・自分を見つめ、自分自身の奥底にあるものを明らかにする事が、真の生き方を模索するのに不可欠です。本来これは、自分自身で行う作業のはずです。それがなぜ、今これほど多くの人が、「自分のために考える」ということを他人に任せてしまっているのでしょうか?

 

 

ビタミン86

今のわたしを好きになる本

本文から

・自分をどれくらい好きになれるかで、毎日がどれくらい楽しいかが決まると思います。

 

・本当の‘強さ’とは、弱さをなくすことでも隠すことでもなく、「自分」と「他人」の弱さをすっぽりと包みこむことだと思います。だから、強い人ほどやさしいし、「私は弱い」と平気で言います。大泣きだっていします。他人の弱さにも寛容です。

まずは、あなたの中にある、弱さに対する「罪悪感」を捨てることから始めましょう。弱さは、強い人間には不可欠なものだと自分によくいい聞かせて。次にその「さみしさ」や「つらさ」がどこから生まれているのかを探します。それができなけれだ、他人が同じような弱さを見せた時、あなたは相手をいたわることができるはずだから。

 

・無邪気な人はいつも単純明快です。策略や疑心といった邪気がないから、しこうがシンプルで清らかなんです。

 

・今までの私は、きらい。だから、今の私を好きになりたいの。

だけど、ほんとうは違う。。。今までの私も、全部すきになれたら、どんなにいいかって思う。

 

・自分から心を開いて、本音を語る友でいてください。いつでも、だれにでも裏表のない自分でいてください。ムリをしないで付き合えるよう、「こうであってほしい」などの条件を相手に課すのもやめましょう。そうすれば、特にあなたが「うまくやろう」と思わなくても、自然にいい関係が生まれます。

 

・「あなたはどうしたいの?」それは、とっても大切な問いかけ。だから、自分の心にも聞いてみて。「私はどうしたいの?」

 

・今、どのくらい純粋に相手を信じているあなたがいますか?相手の幸福を、どのくらい一途に願っているあなたがいますか?この答えに、今のあなたの「愛の基準」が表れています。

 

・感謝されたいからそうしたんじゃない。あなたの力になりたくて、ただ喜んでもらいたくて、一生懸命だったの。

 

・あなたが感謝されるのは、あくまでも相手に「喜ばれた」結果なんです。これからは、「相手は今、何を一番してほしいんだろう」という想像力を働かせ、それを「ただ、してあげる」ようにしましょう。

 

・ひとりより、ふたり、ふたりより、みんなで幸せになりたい。だから、まずはあなたが、幸せでして。

 

・人の価値観は、人それぞれ。ということは、その人によって「正しい」と思うこともそれぞれです。だから、「相手が何を信じてもいい自由」を、あなたが完全に認めてあげるんです。そうすれば、あなた自身が怒りにとらわれない生き方に近づくことができます。

 

・あのとき私に「ありがとう」っていってくれて、ありがとう!ありがとうって不思議な言葉だね。幸せが音になって、生まれた言葉みたい。

 

・人間は「自分の存在を認められる」と安らぎ、「人の役に立てる」と喜びを得られる生き物です。だから、ひたむきな感謝を捧げることは、とっても大きな“貢献”になると思います。

 

・「いまするのがちょうどいい」って思ったことは、きっと、いましかできないこと。「別にいまじゃなくたっていい」って思ったことは、ムリしないでやめちゃえば?

 

・あの人ってすごく好きなところとすごく嫌なところがある。それって、たぶん、あの人の中に、自分を見ているから。

 

・私達はあまりに「知識や情報」に頼り過ぎて、なんでもそれだけで判断しがちですが、そもそも人生は予想通りにはいかないもの。だからこそ、体験する価値があるんです。

直感”の正体は、あなたの「深い知恵」。それは、いっさいの思考を介さないで、インスピレーションという形でやってきます。希望や欲望と違って、心が静まった瞬間におとずれるものです。

 

・傷ついて落ち込むこともあるでしょう。しかし“あなたの魂”は、「傷つかないこと」を目的にしています。だから、延々と落ち込んでいつことはできないんです。

あなたはどんなことがあっても立ち直れるようにできています。少しでも軽やかに生きようと命を燃やし、そこに幸福を感じるようになっているのです。

 

・自立とは、「自分の責任で自分を育てる」ことです。だから、自分の決めた道を進む際、親を説得するのに必要なものは意志だけではありません。思うような結果にならなくても「いっさい人のせいにしない」という心構えを持つことも必要です。それがきちんと伝われば、きっと親はあなたを応援してくれると思います。

あなたが辛い時、何かの精にできないことは非常に苦しいかもしれません。だけど、その苦しみを乗り越えて「自分の人生」を切り開いていくから、思いがけない喜びにも出会えるのです。そのとき、きっと自分をとても愛おしく感じるでしょう。すると、自分を存在させてくれたすべてのものに、感謝の気持ちがあふれてきます。

 

・「変化が普通」になると、柔軟な心は「変わるのが当たり前」になって、そこに安定するんです。すると、日頃から臨機応変に行動するようになって、新鮮な喜びに出会えるようになると思います。

 

 

ビタミン87

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

本文から

・企業の目的と使命を定義するとき、出発点は一つしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される。事業は、社名や定款や設立趣意書によってではなく、顧客が財やサービスを購入することにより満足させようとする欲求によって定款される。顧客を満足させることこそ、企業の使命であり目的である。従って、「われわれの事業は何か」との問いは、企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。

 

・したがって「顧客は誰か」との問いこそ、個々の企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いである。

 

・やさしい問いではない。まして答えのわかりきった問いではない。しかるに、この問いに対する答えによって、企業が自らをどう定義するかがほぼ決まってくる。

 

・企業の目的は、顧客の創造である。したがって、企業は二つ、そして二つだけの基本的な機能を持つ。それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。

 

・焦点は、仕事に合わせなければならない。仕事が可能でなければならない。仕事がすべてではないが、仕事が第一である。

 

・働きがいを与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない。そのためには、①生産的な仕事、②フィードバック情報、③継続学習が不可欠である。

 

・自らのアウトプットが他の者のインプットにならないかぎり、成果はあがらない。専門家のアウトレットとは知識であり情報である。彼らの専門家のアウトプットを使うべき者が、彼らの言おうとしていること、行こうとしていることを理解しなければならない。

 

・専門家が自らのアウトプットを他の人間の仕事と統合するうえでたよりにすべき者がマネージャーである。専門家が効果的であるためには、マネージャーの助けを必要とする。マネージャーは専門家のボスではい。道具、ガイド、マーケティング・エージェントである。

逆に専門家は、マネージャーの上司となりうるし、上司とならなければならない。教師であり教育者でなければならない。

 

・フォアボールを出したくて出すピッチャーは、この世に一人もいない。

 

・成長には準備が必要である。いつ機会が訪れるかは予測できない。準備しておかなければならない。準備ができていなければ、機会は去り、他所へ行く。

 

・人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは、費用であり、脅威である。しかし人は、これらのことのゆえに雇われるのではない。人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある。

 

・消費者運動が企業に要求しているものこそ、まさにマーケティングである。それは企業に対し、顧客の欲求、現実、価値からスタートせよと要求する。企業の目的は欲求の満足であると定義せよと要求する。収入の基盤を顧客への貢献に置けと要求する。マーケティングが長い間解かれてきたにもかかわらず、消費者運動が強力な大衆運動としてでてきたということは、結局のところ、マーケティングが実践されてこなかったということである。消費者運動はマーケティングにとって恥である。

 

・試合の流れは何かを分析する。練習も試合のように魅力的にすることはできないか?

 

・仕事を生産的な者にするには、四つのものが必要。

分析。仕事に必要な作業と手順と道具を知らなければならない。

総合。作業を集めプロセスとして編成しなければならない。

管理。仕事のプロセスのなかに、方向付け、質と量、基準と例外についての管理手段を組み込まなければならない。

道具。

 

・自己目標管理の最大の利点は、自らの仕事ぶりをマネジメントできるようになることにある。自己管理は強い動機付けをもたらす。適当にこなすのでなく、最善を尽くす願望を起こさせる。したがって自己目標管理は、たとえマネジメント全体の方向づけを図り活動の統一性を実現するうえでは必要ないとしても、自己管理を可能とするうえで必要とされる。

 

・働きがいを与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない。

 

・自らや作業者集団の職務の設計に責任を持たせることが成功するのは、彼らが唯一の専門家である分野において、彼らの知識と経験が生かされるからである。

 

・企業が存在しうるのは、成長する経済のみである。あるいは少なくとも、変化を当然とすつ経済においてのみである。そして企業こそ、この成長と変化のための機関である。

したがって机上の第二の機能は、イノベーションすなわち新しい満足を生み出すことである。経済的な財とサービスを提供するだけでなく、より大きくなる必要は無いが、常によりよくならなければならない。

 

・イノベーションとは、科学や技術そのものではなく価値である。組織のなかではなく、組織の外にもたらす変化である。イノベーションの尺度は、外の世界への影響である。

 

・イノベーションの戦略は、既存のものはすべて陳腐化すると仮定する。したがって既存事業についての戦略の指針が、よりよくより多くのものであるとすれば、イノベーションについての戦略の指針は、より新しくより違ったものでなければならない。

イノベーションの戦略の一歩は、古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを計画的かつ体系的に捨てることである。イノベーションを行う組織は、昨日を守るために時間と資源を使わない。昨日を捨ててこそ、資源、特に人材という貴重な資源を新しいもののために解放できる。

 

・マネジメントには、自らの組織をして社会に貢献させるうえで三つの役割がある。

自らの組織に特有の使命を果たす。マネジメントは、組織に特有の使命、すなわちそれぞれの目的を果たすために存在する。

仕事を通じて働く人たちを生かす。現代社会においては、組織こそ、一人ひとりの人間にとって、生計の資、社会的な地位、コミュティとの絆を手にし、自己実現を図る手段である。当然、働く人を生かすことが重要な意味を持つ。

自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する。マネジメントには、自らの組織が社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題の解決に貢献する役割がある。

 

・社会の問題について貢献するにあたり、まず「社会」について考える。そして、広い意味ではこの世界そのものだが、一番は「自分の所属している所」。

 

・正統性の根拠は1つ。人の強みを生産的な者にすることである。これが組織の目的である。したがって、マネジメントの権限の基盤となる正統性。組織とは、個としての人間一人ひとりに対して、また社会を構成する一人ひとりの人間に対して、何らかの貢献を行わせ、自己実現させるための手段である。

 

・組織の健全さとは、高度の基準の要求である。自己目標管理が必要とされるのも、高度の基準が必要だからである。

成果とは何かを理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。成果とは長期のものである。すなわち、まちがいや失敗をしない者は信用してはならないということである。それは、見せかけ、無難な事、下らない事にしか手をつけない者である。成果とは打率である。弱みがないことを評価してはならない。そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。人は、優れているほど多くの間違いをおかす。優れているほど新しい事を試みる。

 

・急速に拡大しつつある市場、特に新しい市場においては、独占的な供給者の業績は、力のある競争相手がいつ場合よりも劣ることが多い。矛盾と思われるかもしれないが。ほとんどの企業人がそのような考えをもっていない。しかし新市場、特に大きな新市場は、供給者が一社よりも複数であるほうが、はるかに速く拡大する傾向がある。

 

・目標がなければ混乱する。目標は自らの率いる部門があげるべき成果を明らかにしなければならない。他部門の目標達成の助けとなるべき貢献を明らかにしなければならない。

 

・古代の偉大な科学者アルキメデスは、「立つ場所を与えてくれれば世界を持ち上げてみせる」と言った。「立つ場所」が、集中すべき分野である。集中することによって、初めて世界を持ち上げることができる。したがって集中の目標は、基本中の基本というべき重大な意思決定である。

 

・組織構造は、組織のなかの人間や組織単位の関心を、努力ではなく成果に向けさせなければならない。成果こそ、すべての活動の目的である。専門家や能史としてでなくマネージャーとして行動する者の数、管理の技能や専門的な能力によってでなく成果や業績によって評価されるものの数を可能な限り増やさなければならない。

成果よりも努力が重要であり、職人的な技能それ自体が目的であるかのごとき錯覚を生んではならない。仕事のためではなく成果のために働き、贅肉ではなく力をつけ、過去ではなく未来のために働く能力と意欲を生み出さなければならない。

 

 

ビタミン88

自分をえらんで生まれてきたよ

本文から

・いのちはぜんぶ、繋がっている。一人のいのち、というのがあるのじゃなくて、一人ずついのちは、全部繋がっている。

 

・ぼくは本当は、他の子供達がくるまで、またなくちゃいけなかったのに、待ちきれなくて、生まれたんだよ。だからぼくは、未来から来た。

 

・生まれてくるっていうのは、幸せなんだよ。生きているというのは、大きな奇跡。当たり前と思っている人も多いけれど、奇跡なんだ。だから、ぼくは早く大人になって、みんなにそれを伝えたい。

 

・赤ちゃんが生まれてくるのは皆を幸せにするため。お母さんやお父さんだけじゃなくて、みんなを幸せにするため。生まれてくるのは、小さな喜び。みんなを幸せにすると、もっと大きな喜びになる。

 

・ぼくは自分が大好きだ。自分の体が大好きだ。自分の体ありがとう。

 

・神様には悩みがある。神様は人間の相談に答えているのに、わかってもらえない。心の耳が閉じているから、答えても聞いてもらえない。どうやったら聞いてもらえるか、神様は、困っている。

 

・心は神様の欠片で、体は地球のかけらだよ。

 

・自分がいるのは、どうしてだろう。体があるのは、ふしぎだな。心があるのも、ふしぎだな。感じることも、ふしぎだな。生きているのは、ふしぎで、そう考えると、魔法の世界にいるみたいな気がするよ。地球は、魔法も世界だね。ぼくも、自分。あなたも、自分。犬も、自分。みんな、自分、と思っている。ママと、目を合わせていると、とっても、ふしぎな感じがするよ。

自分がいるのは、ふしぎだな。鳥がとぶのも、不ふしぎだな。鳥はどうして、飛ぶのかな。だから、生きるって、すばらしいんだね。

 

・いきているというのは、大きな奇跡。みんな、だれでも、魂はある。魂は死なない。だからこそ、僕達は喜びで大きく生き残れる。

体が動くから、生きているんじゃない。魂があるから、生きている。魂は電池なんだよ。神様の電池で、神様に「返して」といわれたら、返す。

 

・心がないと、天国にも地獄にも行けない。地上にも行けない。心があるからこそ、ぼくたちは生きていかれる。心を無視しちゃいけない。それは、世の中で一番大切なこと。大切なことを、ずっと忘れないでほしい。

 

・未来はひとりのものじゃなくて、みんなのものだ。だれかが「未来はぼくだけのもの」っていったら、ほかの人達は、未来がなくなると思っちゃう。

 

・「幸せに生きる」というのは、親切にすること。幸せがおきるのは、当然なことじゃない。あれこれいいことをすると、幸せになる。悪いことをしたら、悪いことに、仕返しされる。生きることは、思いやりがだいじ。思いやりをもって暮らせば、幸せな町になる。

 

・人は、幸せを贈りあうために、生きている。助け合って、幸せを贈りあうために生きている。

 

・赤ちゃんが誕生したときは、生まれたことただそれだけでありがたく、うれしいものです。とはいえ子育てが始まると、日常生活の中でイライラして、子供に当たってしまうことがあるかもしれません。そんな時は、すべての子供がきらきら輝く宝物をもって生まれてきたことを思い出してください。それは「人を幸せにする」という宝物です。

 

 

ビタミン89

ウォルト・ディズニーの言葉

本文から

・ディズニーランドは子供相手に作ったわけではない。人はいつから子供でなくなるのか。大人になると童心は消えてしまうと、言い切れるのか?

本当のエンターテイメントは、老若男女を問わないのではないかと思う。

親が子供を連れてこられるところ、大人だけで来ても楽しく過ごせるところ・・・。

僕はここをそんな場所にしたいんだ。

 

・物語をスタートさせる方法は、口ではなく手を動かすことだ。

 

・とにかく中に入り込むんだ。選ぶのではなく、中に入る。まずは一部となって、そこから上を目指してみるんだ。何かをやりたいのに、選んでばかりいる人を見ると、なんてもったいないんだと思う。まだチャンスがあるうちに入ってみる。そうすればそこから何かが生まれるかもしれない。

 

・成功させる方法は1つしかないとわかっていた。当たってくだけろ、とにかくやれ、ということだ。お金、人材、時間にも妥協は許されなかった。大衆がアニメーションを受け入れてくれるかは分からなかったが、質の悪い作品にお金を払わないことだけは確信していた。

 

・やってもみないうちにあきらめるほど、君はばかしゃないだろう。僕たちの目標は高いんだ。だからこそ、いろんなことをやり遂げられる。さあ、戻ってもう一度やってみるんだ。

 

・過去の栄光の上に座って楽をしようという人がいるなら、その人に用はない。

 

・私はじっとしていることができない。探索し、実験していないとダメなのだ。私は自分の仕事に満足したことがない。私は自分の想像力の限界を恨んだ。

 

・我々が今まで繁栄してきたのは、リスクを承知で常に新しいものを試みてきたからだ。

 

・人生で経験したすべての逆境、トラブル、障害が、私を強くしてくれた。

 

・若い頃に大失敗すること、もしくは痛い目にあうことは重要なんだと思う。私もそこで多くのことを学んだ。

 

・元気をだそう。結局、最後は私達が笑うことになる。そのときの笑いこそ、最高の笑いだよ。

 

・私がやってきた事の中で最も重要なものは、私と一緒に働く人達をコーディネイトし、彼らの努力を決まったゴールへと向かわせることだ。

 

・なぜ心配するのか。あなたがやれる最善をつくしたのなら、心配したって自体は良くならないだろう。私もいといとなことを心配するが、ダムからあふれる水のことまでは心配しない。

 

・リーダーシップには強い信念、何かを信じる心が必要だ。

 

・僕らの作品がよそのものとどこが違うのか。僕らは自分たちのやっていることを秘密にしたことなんかない。考え方、判断力、長年の経験が他人とは違うし、作品に心がある。よその連中は大衆を本当に理解していない。

 

・自分たちのために商品を作るのではない。人々が求めているものを知り、人々のために商品を作るんだ。

 

・僕らの仕事は技術的なことでは成り立っていない。僕らが持っている設備がなくても、鉛筆描きのスケッチからだって、アイデアは生み出せる。

 

・仕事をうまくこなすためには、やってあげたいと思う誰かがいることが大切である。人生の素晴らしい瞬間というのは、自分ひとりのためよりも、愛する者たちのために行ったことに結びついている。我々はその人たちの関心を必要としている。

 

・ディズニーランドは僕にとって重要な意味がある。ディズニーランドには終わりがなく、常に発展させ、プラスアルファを加え続けられる、つまりは生きものだ。生きて呼吸しているから常に変化が必要なんだ。

 

・もっと愛想をよく接客するように。それができないならここでは働けないよ。僕らは幸福を売っているんだ。

 

・ディズニーランドにはあるんだよ。想像力、そして幸福で胸がドキドキする、子供のころに感じたあの感覚が。

 

・ディズニーランドは完成することがない。世界に想像力がある限り、成長し続けるだろう。

 

・子供達をトラブルから遠ざける方法は、何かに興味をもたせることだ。子供達に講義などしても、非行の何の答えにもならない。牧師の説教も子供たちをトラブルから引き離せないだろう。可能なのは、子供達の心を何かに没頭させることだ。

 

・私は人生の大部分やりたいことをやってきた。仕事が楽しかった。でもその愉しみは就業時間内に収めるようにしてきた。

 

・我々は決して忘れてはならない。すべての始まりは一匹のネズミだったということを。

 

 

ビタミン90

経済は感情で動く

本文から

・私達は知りもしないことを知っているつもりでいるし、実際以上の力量や能力を持っていると信じている。要するにうぬぼれが強いのだ。しくじったときには運が悪かったことにして、うまくいけばすべて自分の力量のおかげだとする。見たいものだけ目に入り、よく見れば事実とは明らかに矛盾していても、自分の信念と偏見は捨てられない。

 

・選択肢が多いほど混乱する

ある選択をしなければならなくなると、頭のなかのバランスをとるために、私達はいつでも、都合のいい選択を正当化する理由を見つけようとする。そのうちに頭が非合理的な思考をはじめる。

 

・「お金の価値は一定」は幻想である。同じ一万円でも、人は状況と文脈によって違ったように考える。ギャンブルや宝くじで得たお金と、汗水流して稼いだお金は同じではない。前者には「あぶく銭」のように手元から早々に消えてしまう。お金を使う用途によっても、たとえば日々の生活費となると一円まで細かくけちるのに、娯楽や遊びのお金となるとパッと使おうとする。

 

・選択肢が一つなら迷わない。二つになり、三つになり、さらに選択肢が増えるほど迷いは深くなり、はじめは買おうと思ったものも買わずに手ぶらで帰ってきたりする。

 

・選択で目がいきやすいのは「肯定面より否定面」。政治家の選挙で、汚職やスキャンダルを嫌うのはそのため。選択の際には一歩下がり、「プラス面、マイナス面、いま見ているのはどっち?」と自分に問いかけてみよう。

 

・迷いと葛藤は「選択を送らせる」か、「選択しない」という結果をもたらす。ともかく、人は「選ぶ理由」を欲している。

 

・野球評論家のうち、事が起こってからの「後知恵」的説明は話し半分に聞いておくとよい。結果を知っていれば、あなただって「評論家」になれる。

 

・株価の予測は、どうしても自分(の持っている株)に甘くなりがち。

 

・直感は大切。ときにはわが身を助けてくれる。でも、それが「バイアス」となる。「両刃の剣」ないしは調味料。これがあるから、人生は愉しい。

 

・白のセーターが欲しくてお店に入ったのに、店員の話を聞いたり、お店を回っているうちに、色の違うジャケットを買ってお店を出てきてしまった。このようなことを「フレーミング効果」という。大した実害はないかもしれないが、買う前に「本当に欲しかった商品なのかどうか」問いかけてみよう。

 

・「後悔回避」のために、判断を留保するか、判断の責任をだれかに押しつける場合がある。自分が判断したのでなく、本や新聞に書いてあったから、専門家に聞く、委員会などで論議してもらう。しかし、専門家が必ずしも「正しい」予想ができるとは限らない。

 

・人の感覚器官は、絶対値に対してより、変化や差異に敏感に反応する。夏に暑い外から急に冷房のある部屋へ戻ると肌寒く感じるように。お金の損得、仕事上の成功や失敗についても同様に変化に反応する。得と損、勝ちと負け、成功と失敗に対し、人は対照的には考えないようだ。アダム・スミスの言葉が意味深い。「われわれはいい境遇から悪い境遇に転落するときには、悪い境遇からいい境遇へと上昇するときにつねに享受するよりも、多くの受難を感じる」

 

・人は金銭に対して、ほぼ無意識で処理される「心の家計簿」を持つ。これによって、出費に伴う心理的痛みは異なる。たとえば、娯楽人生活費、日常の買い物と旅先での買い物、一人のときの外食と恋人との外食、飲み会で支払うお金と本代、今日場やパチンコで当てた時のお金の使い道と通常の給料の使い道など。現金支払いとクレジットカード、あるいはローンでの支払いについても、「心の家計簿」は違うようである。

 

・人はどのようなリスクをより高く評価するのだろうか。

  1. 自分が選んだリスクより、他から強制されたリスク

  2. 自分でコントロールできない災害などのリスク

  3. 死者がでるリスク

  4. めったに発生しない、マスコミで取り上げられているリスク

  5. 映像的に悲惨なリスク

  6. 広い範囲で、すぐ近くで起きたリスク

  7. 特定の人だけを襲うリスク

  8. 一度に多くの被害者が出るリスク

  9. なじみのない、新しいリスク

  10. 自然によるものより人工的なもの、先端技術によるリスク

  11. 次の世代、子供達に影響が及ぶリスク

  12. 原因不明、謎、何が起きているのかわからないリスク

 

・新聞やテレビを見る時に、各種の統計数字については、母体数がどれだけかを確認し、%表示であれば実数に、実数表示であれば%表示に、置き換える頭を持とう。そうすれば、最初に受けた印象と異なり、騒ぐようなことではない、とわかるかもしれない。また、%表示を見たら、残りの%が何なのかを問いかけることで、事の本質を見抜く眼を持とう。

 

・私達は失敗より成功のほうをよく覚えているのだ。私達の責任で起こった不祥事がきわめて重大で一生その記憶が消えないような場合でも、その責任がすべて自分にあるとはかならずしも考えない。責任の重みを軽くしたり、和らげたりできるような理由を、どうにかして見つけようとする。

 

・私達は見たいものだけを見ているのだ。いやなものをどうしても見なければならないときには、見方をいくらか変えてしまう。強い先入観を持った人は、是と非の両方を混ぜて一つにしたものを見せられると、そのあとは、もとからあった先入観をいっそう強めるという。それは、自分に合わないものをまったく無視するからではなく、それらを軽んじ疎んじるためのもっともな理由を、やっきになって探すからなのだ。

 

・自己に対する評価はとかく甘くなりがちである。プラトンあるいは孔子の態度にならい、自分が知らないことを「知らない」と言うのは、恥でもなんでもなく、明日の自分の成長の糧になる。

 

・成功すれば自分のため、失敗すれば他人やほかのことのせい。これでは、将来も同じ失敗を繰り返す。辛いことかもしれないが、自分の誤りを認めることが前進の鍵となる。

 

・経験はいつも教師になってくれるとはかぎらない。私達が自分の知識を過大評価するのは、知っていたこと、あるいは知り得たかもしれないことを過大評価するからである。

 

・ある決定が正しいかどうかを知るには、その決定にともなう結果を考えるのではなくて、決定のプロセスを考えなければならない。「結果はどうでもいい」と言っているのではない。結果は大事である。けれども結果にばかり気をとられると、決定する前に直面していたリスクや不安定な状況を見過ごしてしまいがちなのだ。問題は、結果がわかった後である決定を評価するという方法が、将来何かを決定するときのやりかたに影響を与え、よくない結果を出してしまうことである。

 

・リスクを減らすことはできる。「熱くならずに冷静に」、そして損失が出たとしても「覆水盆に返らず」、取り戻そうとしてさらに「熱くつぎこまないこと」。

 

・「理性vs感情」という対立図式でとらえるのではなく、「感情は理性を支える不可欠なパートナー」であり、「知識だけでは正しいことをするには足りない」。「理性で感情を御す」のではなく、両者をうまくかみ合わせることができるかどうかは、あなた次第である。

 

・私達の脳の大部分は無意識のプロセスをサポートするようにできている。無意識のプロセスは怠慢方式とでも呼べそうなものだから、作業はその分すばやいし効率もよい。そのうえ、高度に細分化されてはいるが柔軟性に乏しいために、意志によって管理することはむずかしい。このプロセスは経済的ではあるが、それは、努力や苦労というコストがほとんどかからないという意味においてである。

 

 

ビタミン91

アイデアのつくり方

本文から

・アイデアは私達の意識下で進行するアイデア形成の、長い、目に見えない一連の心理過程の最終の結実。

 

・アイデアの作成はフォード車の製造と同じように一定の正確な過程であるということ、アイデアの製造過程も1つの流れ作業であること、その作成に当たって私達の心理は、習得したり制御したりできる操作技術によってはたらくものであること、そして、なんであれ道具を効果的に使う場合と同じように、この技術を修練することがこれを有効に使いこなす秘訣である、ということ。

 

・どんな技術を習得するにも、学ぶべき大切なことはまず第一に原理であり第二に方法である。これはアイデアを作り出す技術についても同じ事である。

 

・一番大切な事は、ある特定のアイデアをどこから探し出してくるかということでなく、すべてのアイデアが作り出される方法に心を訓練する仕方であり、すべてアイデアの源泉にある原理を把握する方法なのである。

アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何者でもない。

 

・第二の大切な原理というのは、既存の要素を新しい1つの組み合わせに導く才能は、事物の関連性を見つけ出す才能に依存するところが大きいという事である。アイデアを作成する際に私達の心の働き方が最も甚だしく異なるのはこの点である。

 

・事実と事実の間の関連性を探ろうとする心の習性がアイデア作成には最も大切なもの。

 

・目的のために心を使うには1つの技術があるということ、アイデア作成にはつねにこの技術が意識的あるいは無意識的に用いられているということ、またこの技術は意識して修練でき、それによってアイデアを作り出す能力は高められる。

 

・資料を収集する。集めてこなければならない資料は二種類ある。特殊資料と一お案資料。

 

・「アイデアの作り方」の五段階

①データ(資料)集め、②データの咀嚼、③データの組み合わせ、④発見した!という瞬間、⑤アイデアのチェック。

③は無意識のうちになされることが多い。③及び④を無意識的活動、これに先立つ①及び②とこれに続く⑤を意識的活動の時期と呼ぶ。

まず重要なのはインスピレーションが天から降ってくる感じの③及び④の時期に前後するこの意識的活動の時期である。無意識的活動の時期とは違って、この意識的活動の時期は凡人であるわれわれにもコントロール可能な時期だからである。資料を集めて咀嚼する①及び②の期間中の意識的活動については、データをできるだけ独立ないくつかの断片に分け、それらをそれぞれ一枚のカードに記入する事を進める。アイデアを生む組み合わせの要素となるデータの数は多い程よい。

 

・デカルトによれば、人々はそれぞれの人生の大目標をもっており、その実現に全力を注いでいる。しかしその一方で、人々は日常的な生活を生きなければならない。この場合に、その日常的な事がらの一つ一つについて熟考するのは面倒なことであり、頭脳と時間の浪費でもある。こういう場合には、最も常識的で最も穏健な意見に従うのがよい。どうでもよいことについては中庸の道を選ぶことによって、われわれは自分自身の人生の大目標に全力を集中しえる。このように考えると、中庸はいい加減な人生を生きる中年の処世術といったものではなくて、積極的な徳目である。

 

・①好きな事をやり、②それで食べることができ、③その上それが他人のためにもいささかの役にたった人生が自己実現の人生であり、理想の人生である。方法論や道具はそのためのものであり、本末を転倒してはならないのである。

 

 

ビタミン92

目立たなくても本当に必要とされる人になる

本文から

・人に認められたいと思って、実力以上に自分をよく見せる努力をしている人よりも、自分が会いたいと思える人になるために自分自身を育てていく事が大切。

人に認められたいと思って、相手の気持ちをどうにかしようと思うのではなく自分が、自分を認める言動をとれる人になること。

 

・成長の第一歩は、現実の自分を認めること。

 

・自分から進んで、人が喜ぶことを人におこなうと、なぜか自分が豊かになり、何倍にもなって戻ってくる。

 

・長期的に誰かに応援されるためには、目的に向かい、真面目に一生懸命に行動することが大切だということ。

 

・自分の意見を聞いてもらえる人になるために大切なのは、「自分の言葉と行いを一致させる」こと。

 

・人間関係を良くしたいと思ったら、まず相手に関心を持ち、相手の気持ちを知る事が大切だということはわかる。自分のことをいったん横において,相手の言っていることを聞いてみる。聞く時間をとる、どうしてそう言っているのか、相手の状況や気持ちも考えてみる。

 

・自分と人と比べる必要がない理由、それは、「他人と自分の輝く場所は絶対に違う」から。

他人と違うことで始めて自分が何者かわかる。他人との違いは自分を知るための1つの方法でしかない。他人と違うところがあるから、他人と比べて力持ちの人は力で人を支えたり、頭を使うことが得意な人は頭で人を活かしたり、美術が得意な人は美術で癒したり、音楽が得意な人は音楽で人を楽しませる事ができる。

他人との違いは、どちらかが劣っているとか、優っているかを比べるためのものではなく、自分が何者なのかを知るためにある。

 

・伝えたい事が伝わらないとき、見直した方がいいこと、それは「説得」と「納得」は違うということ。

人は、その時その場で心に訴えかけないと、意図まで理解できない。つまり、伝える時に手を抜くと、あとで何度も同じ事を言わないと行けなくなる。

 

・人は過信すると現実が見えなくなる。自分のことを過信している人は、相手の気持ちも見る事ができなくなる。なぜなら、基本的に人は自分の欲求のために動くから。

 

・人のつながりを大切にしている人は、忙しくて会いに行けなかったとしても電報や花を贈ることを欠かさない。

 

・普段、自分の使う言葉を気にしている人や、自分の話す言葉に責任を持っている人は、自分の話す言葉が、自分や周りにどれだけ大きな影響を与えているかに気がついているから。

話す言葉を気にしていない人は、いつまで経っても自分の言葉がどのようなこと引き起こしているか、気づかない。だから簡単にネガティブなkとや、無責任な事を口にしてしまう。

 

・普段、「愚痴や文句ばかり言っている人は、文句が言いたくなるような事が次から次へとやってくる。」明るい電話を話している人には、明るくなるような出来事が起きている。

 

・人生は決断の連続。何かを決める時、途中までは人に頼ったり参考にすることはできるけれど、最後の決断は自分が心から信じたことをする。

 

・人に必要とされて、お役に立つコツ。それは、「目の前のことを一生懸命やる」

 

・最初から夢や目標を持って、人のお役に立つ事を目指して疲れてしまうよりも、目の前のことを一生懸命やると、自分でも想像できないような、「お役に立てる場所」に運ばれてしまう。

 

 

ビタミン93

シロクマのことだけは考えるな!

本文から

自分に無理を強いるような、ストイックなメンタルトレーニングや自己啓発といった鍛錬は、意外と逆効果。

 

・「人は考えることなしに、『考えまい』とすることはできない」

 

・忘れようと頑張ること、それが結果的に、脳には覚えておけと言う伝令になっている。忘れるためには、脳のメーターが振り切れるまで考えること!忘れようとしないこと。考えて考えて思う存分考えまくること。

一刻も早く忘れたいのなら、悲しみに浸り、思う存分泣き、悲劇のヒロインになること。これが、トラウマ解消の極意なのです。

 

・体調が悪くなったら、すっかりそれを認めてしまって、湧きおこる苦しみに身をゆだねることが大事。苦しみから逃げようとせずに、思いっきり堪能?すること。

苦しみに抵抗するのではなく、苦しみを認めて身をゆだねることが、パニックを脱出する近道。

パニックという「出来事」そのものではなく、その状況に対する「考え方」を変えることで、落ち着きを取り戻す「結果」を得られる。

 

・落ち込んだ時に明るい曲を聴くのは、まったく逆効果。悲しい時には、あらゆる楽しい系イベント、いわゆる「気晴らし」は逆効果。

 

・自分の「感情」をすぐに言語化してしまうと、心の深い所にある真の感情がわからなくなる。

怒りや悲しみに任せて出てきた言葉は、自分の本心とはほとんど無関係のことが多い。

 

・誰かの行いを見てマネして取る。盗む。それこそが、「学び」の基本といえる。

 

・会議を大人数でおこなうこと。たくさん人がいるからではなく、たくさんひとがいるからこそ名案が浮かばない。人は、大集団になればなるほど、発揮できる個の力が落ちる。しかし、一定の条件を満たせば集団としても高いパフォーマンスを発揮できる。集団メンバーそれぞれに、役割を自覚させること。仕切り役を置いて、それぞれの人に役割を意識させたほうが高いパフォーマンスを発揮できる。

会議をテキパキ進めるルール。

  1. あらかじめそれぞれが考えた意見を持ち寄って会議すべし!

  2. その会議は進行役に仕切らせるべし!

 

・相手に「本当に成長してほしい」と思っているのであれば、叱るのはあまり効果的ではない。

ただ叱り飛ばすのではなく、成長のヒントもちゃんと与える。

 

・「会議必勝法」

  1. 真っ向勝負になる真正面には、同じ意見の「味方」を配置。

  2. 意見の異なる相手は、その隣に座って同調ポジションを。

 

・人は皆、自分が何者なのかをはっきりさせたいと思って生きている。

 

・「人はほめて育てろ」と簡単に言いますが、実はほめることはすごく難しい技術なのです。一歩間違うと、オダテとかコビ、ヘツライとか、なんとなく狡猾な印象に受け取られてしまう。

 

・人間は一つの自己を生きているのではなく、四つの自己を同時に持って生きている

  1. 本人も他人も知っている自己=すでに開いた窓

  2. 本人だけが知っている自己=隠した窓

  3. 他人だけが知っている自己=開くかもしれない窓

  4. 誰も知らない自己=閉じた窓

 

・①のほうは、本人も自分の長所として熟知している、最も大きく外に開いた窓。叩く側もいちばんハードルが低く、口にだしやすい。

 

・自分でも思いも寄らなかったところを指摘されると、「えっ?そうなの?私ってそんなところがあるの?」という以外性を感じます。以外性こそが、「ほめ」に含めるべき重要ポイント。

 

・こちらからは見えるけれど、相手がまだ気づいていない魅力、能力、可能性。その「大当たり」を探し出して指摘する。これこそが、相手の心をつかんで離さない、簡単で効率的な「究極のほめるテクニック」。

 

・人は、やめろと言われるとやりたくなってしまう、わかっているけれどやめられない。

 

・「禁止される」ということは、興味や関心をかき立てられるだけでなく、禁止されたそのものを魅力的に見せ、価値まで高めてしまう。

 

・完璧にバランスのとれた美しい「協和音」よりも、ハーモニーとしてはちょっと崩れた、必ずしも美しくない「不調和音」のほうが、人の記憶にむしろ強く残る。

 

・人は誰しも「自分の中にある常識」と「いま新しく知った知識」との間に、一貫性、連続性を保っていたい、それがないものはなんだか気持ち悪い、そう考える本能を持っている。

 

・行動という梯子をのぼれば、塀の向こうの自己が見える。

人間には、行動して初めて感情を自覚する意味面がある。

 

・「感情」を生むのは実際の「行動」だけではない。「環境」によって、疑似的に「行動」したのと同じ効果が生まれ、「感情」を芽生えさせることがある。

 

 

ビタミン94

日本の出発

本文から

・靖国問題の議論をしていて不愉快でならないのは、分祀にしても、新しい国立追悼施設にしても、そこには日本国内のなかで取り繕って、その後、諸外国に対して、文句はないでしょう、と説明するといった雰囲気が感じられないところだ。

日本の場合は神道というものを、日本古来の考え方であると主張し続けることをしてこなかったところに問題があるのではないか。

日本国内で結論の出ない議論をしているより、こうした日本人のdん等的な考え方を諸外国に理解させるためどうしたらよいかと考える方が、前向きではないか。

 

・日本の宗教の根幹には、神道の流れがある。もちろん、仏教やキリスト教などの考え方もの後に入ってくるけれども、しかしながら根っこの部分は「死んだら誰もが神様になる」というものだ。

 

・自分の国はこんなに美しく、素晴らしいということを知る事によって、自国を愛し、そこに住む人々への愛着も生まれ、守ろうという感情も生まれてくる。

 

・憲法はその国の土台である。国民が自国を愛する心を育てるためにも、やはりわれわれの社会や生活、そして心情にしっかりと合った憲法を自らの手で作るべきである。

 

・日本国憲法はアメリカの占領軍によってつくられた。とうのアメリカのなかですら、「もう60年近く経つのだから変えてはどうか」という声があるくらいだ。世界中を探しても、他国に憲法をつくられ、そのまま60年も後世大事に持ち続けている国など日本以外にない。

 

・日本にはこれがない。戦後ずっとお袋の政党できたため、何かあっても、何を思うにしても、最後は「まあまあ」ですまされてしまう。最後の最後まで追い詰めない、きっちりと結論を出さないのが、日本のよいところともいわれているわけだが、きちんとしておかなければならない場面においてもそうしないから、「日本は自分で考えない」という評価に繋がってしまう。

やはり怒るときには怒る、意見を述べるときには述べるという国にしていかなければならないし、それを政治家がまずしてみせることによって、国民にも「自立」の気持ちが強く芽生えてくるのである。

 

・日本のメディアは、ひとつひとつの事柄を精密に報道しようとすつ結果、木を見て森を見ない傾向が感じられる。

 

・郵政問題の本質とは、今までのシステムのままでいいのかということなのだ。郵政民営化が行われると、日本全国あまねく存在する郵便局がなくなるだとか、そんな心情に訴えるような話ばかりが強調されるが、郵便事業自体は、国営のまま残そうがどうしようが、どうでもいいことなのだ。

 

・これからは日本も、地元に利益をもたらす政治家を選ぶのか、それとも国政レベルで物事を見ようとする政治家を選ぶのか、それとも国政レベルで物事を見ようとする政治家を選ぶのかの選択を迫られる。

 

・世界はソフトパワーの世界に以降している。力ずくでことに当たるべきではない。これは世界中の人々が望むことだ。

日本は「和」を重んじる伝統、風土がある。平和で人々が協力し合う社会、日本人はずっとそうして暮らしてきた。平和で人々が協力し合う社会、いかにも普通のようだが、このh通のことをずっと続けていくには、忍耐と努力がいる。

 

 

ビタミン95

視力もぐんぐんよくなる速読術

本文から

・速読でははっきりと目で見ることが一番大切です。また、言葉(文字)で読むと「見る力」と「考える力」のスピードはアップしません。文字をイメージとして能に入れていけば、速読できるようになります。

 

1.視力回復し目の動きを高め(視力が1.0でも目の働きの悪い人がほとんどです)

 2.集中力と記憶力を軸とした脳の働きを高めればよいのです。

 

・目は能力を発揮するときの最重要項目なのです。目と脳を活性化すれば、速読もスラスラできるようになるのです。

 

・視力が低下し目が悪くなると、脳の働き(集中力・記憶力・想像力)が一挙に低下します。

 

・ものが見えなくなると、脳は働かなくなり力が入らなくなるのです。

 

・ものは目を通じて脳が見ています。目が(ものを)見ているという考え方は、大いなる勘違いです。目で呼んでいるのではありません。実際には脳が(ものを)見ているのです。

 

・中川式速読術の真髄は、視力を回復し能力を開発することで、本を速く読んだりパソコンを速く見れるようになるのはもちろん、余った時間で目と脳を休めて、考える時間がより多く持てるようになる事をマザしている事です。

 

・速読の第一歩は、視力を回復させながら目と脳の使い方を正すことです。

 

・脳のスピードは集中力でアップします。集中力は、脳の働きの一番重要な力です。

集中状態に入ると、潜在意識の扉まで開き、眠りこけている莫大な潜在情報が記憶として蘇ってくるのです。集中力が記憶力を引き出してくれます。

 

・縦書きと横書きの文章では、どちらが目と脳に優しいか。それは、圧倒的に縦書きです。

 

・何でもかんでも「病気は国に面倒を見てもらおう」という考え方が問題なのではないでしょうか。自分の病気や近視・老眼は「自分で治す」というセルフヘルプ(自助努力)が大切だと思います。視力低下の原因は、目の酷使と間違った目の使い方にあります。

 

・フィットネスの心構え

1.近くを見すぎて目を酷使したために、疲れやすくぼやけてものが見えないので、脳が働きにくい目(近視・乱視)

2.とても疲れやすく、学習能力が発揮しづらく、脳が働きにくい目(遠視・乱視・斜視・弱視)

3.加齢により近くが見えにくく、物忘れが激しい目(老眼)

 

・やる気は、意識と潜在意識の方向が一致した時に起きるのです。

 

・時間に使われるのではなく時間を使って生きましょう。速読も、1つの時間貯金術とも言えるのではないでしょうか。

 

・集中力は時間を短縮する技術であると同時に、時間を追いかける技術でもあります。

 

 

ビタミン96

美しい人をつくる「所作」の基本

本文から

・禅とは、余計なものを極限まで削ったシンプルさのなかに、本質を突く鋭さと深さ、広がりを持ったもの。

禅は、「行住小坐臥」すべてが修行です。立っても座っても、寝ていても歩いても。すなわち、人間の立ち居振る舞いそのものが、すべて修行ということです。禅の修行とは、私達の「所作のすべてを整えること」なのです。

 

・立ち居振る舞いは心を写し出すもの、心をあらわすものです。立ち居振る舞いの事を「所作」という言葉を使います。「所作」と「心」は深く関わりあっているのです。

「所作」が美しい人ほど、その所作は「さりげない」ものです。わざとらしくなく、美しい所作をするから「なぜだかわからないけれど、心惹かれる」のです。

所作を整えることは心を整えること、所作を磨くことは心を磨くことです。「心」に比べると、「所作」は整えたり、磨いたりすることが、比較的やさしいということ。

 

・丁寧な動きには心がこもります。丁寧に一つ一つを行うと、体と心が一体になった美しい所作ができるようになると言ってもいいのです。

 

・美しく生きるとは、「正しい道を歩むこと」と重なっています。

 

・自分では、いくら緊張していないと思い込もうとしても、呼吸は、深いところにある本当の心をあらわしています。呼吸を整えることができれば、心もいい状態に安定する、ということになります。

 

・一度口にだした言葉は決して元には戻らないのです。言葉は諸刃の剣です。相手を幸せにしたり、いたわったり、癒したりする力を持っている反面、傷つけたり、苦しめたり、悩ませたりすることもある。

 

・掃除をやることはじつは深い意味を持っている。塵や埃がすっかり拭われて、身辺が整うことは、心を整えることに直結しています。掃除をしている間は、拭くこと、磨くこと、掃き清めることに専念して、何も考えないことです。部屋を奇麗に保つことは、いつも整った心でいること。

 

・朝を大切にする人は一日を大切にする人、そして、人生を一生懸命、大切に生きる人なのです。

 

・不安に実体などないのです。不安は自分の心が勝手につくり出しているものに過ぎないのです。どんなに重くのしかかっているように思えても、心をちょっと変えたら消えてなくなってしまう。それが心配事、不安の正体です。

 

・情報収集してそれに従えば追える、“流行”を身につけるより、自分自身と向き合って、きちんと考えて洋服を選べる人の方が、思慮深いし、洋服への敬意もあって、結果的に輝けると思います。

 

・口と手、すなわち体を清めることが、心を清めることにもなります。清潔感に溢れる人は、心も清々しいという印象を与えます。身だしなみの美しさの土台になるのは清潔感です。

 

・使い捨てが当たり前になっている今だからこそ、古いものを大切にする心がキラリと光ります。古いものを大切にするということは、作った人、使っていた人の心をずっと受け止めていくことです。精魂込めて作った人の熱い心、大事に使い続けた人の慎ましやかな心が、ものを介してあなたに伝えられるのです。それを受け止めていけば、粗末な扱いなど絶対にできないはずです。

 

・今、自分が置かれている場所、状況のなかで、やるべきことを、自分自身で一生懸命にやる。それが生きていることなのです。

 

・感謝の言葉には伝え方の原則といったものがあるような気がします。「感じた時に、すぐに伝える」日本人は、案外「ありがとう」をいうへきところでいっていない印象があります。

 

・茶道に学ぶ所作の意義

茶の湯の世界には、「侘び寂び」という言葉で表現されます。これは、余計なもの、不必要なもの、ととことん捨てていくこと。捨てきったときにあらわれるのは、自然な姿、ありのままの姿です。茶の湯の作法は、「捨てきっているから無駄がない、自然だからとどこおらない」ということではないでしょうか。禅に、「あるべきものが、あるべきところに、あるべきように、ある」という言葉があります。それが自然ということです。いつでもありのままの姿でいる。それ以外に本当のあなたらあしい美しさを輝かせる方法はありません。

 

・日本文化ほど心を和ませ、癒し、穏やかにさせてくれるものはありません。

 

 

ビタミン97

ビジョナリ—カンパニー②飛躍の法則

本文から

・良好(グッド)は偉大(グレート)の敵である。

 

・フィードバックを繰り返す事。

考えを組み立て、データによって検証し、考えを改定し、枠組みを組み立て、事実の重みによって崩れないかを検討し、枠組みを組み立て直す。すべてが一貫性のある概念の枠組みに収まるようになるまで、この過程を何度も何度も繰り返す。

 

・第五水準のリーダーシップ

第一水準《有能な個人》→才能、知識、スキル、勤勉さによって生産的な仕事をする

第二水準《組織に寄与する個人》→組織目標の達成のために自分の能力を発揮し、組織のなかで他の人たちとうまく強力する

第三水準《有能な管理者》→人と資源を組織化し、決められた目標を効率的に効果的に追求する

第四水準《有能な経営者》→明確で説得力のあるビジョンへの支持と、ビジョンの実現に向けた努力を生み出し、これまでより高い水準の業績を達成するよう組織に刺激を与える

第五水準《第五水準の経営者》→個人としての謙虚と職業人としての意見の強さという矛盾した性格の組み合わせによって、偉大さを持続できる企業を作り上げる

・第五水準の指導者は二面性の典型例だといえる。謙虚だが意志が強く、控えめだが大胆なのだ。

・野心は何よりも会社の成功に向けられており、自分の名声や資産には向けられていない。自分が引退した後に会社がさらに成功を収めるように望んでおり、成功の基盤を作った自分の努力には世間が気づきもしないだろうことを問題にしない。

・比較対象企業の四分の三以上の経営者は、後継者が失敗する状況を作り出すか、力が弱い人物を後継者に選ぶかしており、両方にあてはます経営者もいた。

 

・最初に人を選び、その後に目標を選ぶ

・偉大な企業への飛躍をもたらした経営者は、まずはじめに目的地を決め、つぎに目的地までの旅をともにする人々をバスに乗せる方法をとったわけではない。まずはじめに、適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスからおろし、その後にごこに行くべきかを決めている。

・①「何をすべきか」ではなく、「だれを選ぶか」からはじめれば、環境の変化に適用しやすくなる。

 ②適切な人達がバスに乗っているのであれば、動機付けの問題や管理の問題はほぼなくなる。

 ③不適切な人達ばかりであれば、正しい方向が分かり、正しい方針が分かっても、偉大な企業にはなれない。偉大な人材が揃っていなければ、偉大なビジョンがあっても意味が無い。

・偉大な企業への飛躍に際して、人材は最重要の資産ではない。適切な人材こそがもっとも重要な資産なのだ。

・偉大な企業を築いてきた人達は皆、企業が成長していく時に最大のボトルネックになるのが、市場でも技術Dも競争でも製品でもないことを理解している。どの要因よりも重要な点がある。それは適切な人々を採用し維持する能力である。

・どれほど苦しい時期にも、どれほど大きな課題でも、仕事を楽しんでいる。

・飛躍した企業の経営幹部はあきらかに仕事を愛していた。そして、それは主に、ともにはたらく人たちに愛情をもっていた。

 

・厳しい現実を直視する(だが、勝利への確信を失わない)

・答えではなく、質問によって指導する。つねに質問を投げかけて答えを求め、調べ、刺激する方法をとる。

・厳しい現実に直面したとき、偉大な企業は強くなり士気が高くなっているのであって、弱くなったり士気が落ちたりはしていない。厳しい現実を真っ向から見据えて、「われわれは決して諦めない。決して降参しない。時間がかかるとしても、かならずかつ方法を見つけ出す」と宣言すれば、気分は高揚する。

・ストックデールの逆説

どれほど艱難にふつかっても、最後にはかならず勝つという確信を失ってはならない。そして同時にそれがどんなものであれ、自分が置かれている現実のなかでもっとも厳しい事実を直視しなければならない。

 

・飛躍した企業では、戦略の策定の基礎として、三つの主要な側面を深く理解している。これらの側面を「三つの円」と呼ぶ。また、飛躍した企業では、この不快理解を単純で明快な概念にまとめ、この概念をすべての活動の指針にしている。これが「針鼠の観念である。」

・針鼠の概念(三つの縁のなかの単純さ)

針鼠の観念は、自社が世界一に慣れる部分はどこか(同様に重要な点として、世界意にになれない部分はどこか)、経済的原動力になるのは何か、情熱をもって取り組めるのは何か。の三つを円として、これが重なる部分に関する深い理解から導き出されている。

・針鼠の観念は最高を目指す事ではないし、最高になるための戦略でもないし、最高になる意思でもないし、最高になるための計画でもない。最高になれる部分はどこかについての理解なのだ。この違いは、まさに決定的である。

・針鼠の観念を確立しようとするとき、もっとも大切な点は、厳しい現実を直視し、三つの円に基づく問いに導かれて、適切な人達が活発に議論をかわし、論争を行う事である。

 

・規律の文化

・偉大な実績に飛躍した企業は、はっきりした制約のある一貫したシステムを構築しているが、同時に、このシステムの枠組みの中で、従業員に自由と責任を与えている。みずから規律を守るので管理の必要のない人達を雇い、人間ではなく、システムを管理している。

・規律の文化には二面性がある。一方では一貫性のあるシステムを守る人たちが必要だ。しかし他方では、このシステムの枠組みのなかで、自由と責任を与える。

・規律の文化は行動の面にかぎられるものではない。規律ある考えができ、つぎに規律ある行動をとる規律ある人材が必要である。

 

・ほとんどの人は考えるうらいなら死んだほうがいいと思っている。そして、死んでいく人が多い。

 

・促進剤としての技術

技術の進歩による事業環境の変化は決して新しいことではない。だから、ほんとうに問題になるのは「技術はどのような役割を果たすか」ではない。「偉大さへの飛躍を遂げた企業が技術について、通常とは違った考え方をしているのはどの部分か」である。

 

・弾み車と悪循環

・通常、偉大な企業への転換が外部からどう見えるかをもとに、内部で転換を経験した人達がどう感じたはずかを考えている。外部からみれば、転換は劇的で、革命的ともいえるほどの飛躍だと思える。しかし内部から見れば、印象がまったく違っていて、性ずつの成長に似ている。

・当初はわずかに前進するだけでも並大抵ではない努力が必要だが、長期にわたって、一貫性をもたせてひとつの方向に押しつづけていれば、弾み車に勢いがつき、やがて突破階段に入る。

 

・ビジョナリー・カンパニーへの道

永続する偉大な企業は、株主に収益を提供するだけのために事業を行っているわけではない。ほんとうの意味で偉大な企業にとって、利益とキャッシュフローは健全な身体にとっての血と水のようなものである。生きていくには必要不可欠なものだが、生きていく目的ではない。

基本的な価値観と目的を維持しながら、事業戦略や事業慣行では世界の変化にたえず適用している。これが「基本理念を維持し、進歩を促す」魔法の組み合わせである。

・心から好きなことをしており、その目的を深く信じているのであれば、偉大さを目指さないことは創造すら難しい。本当に好きなこと、強い熱意をもつことを行っている。自分の仕事が好きな時、自分の仕事が大切であるとき、大上段に構えたような理由は必要としない(もちろん、明確な理由がある人もいるだろうが)。重要なのは、好きだという事実、大切だという事実だけだ。自分が本当に好きだからこそ、可能な限り偉大なものにしたいと望むもの、それによって自分が何かを得られるからではなく、それが可能だから偉大さを目指したいと思えるものに関与すべきだ。

 

 

ビタミン98

哲学の授業

本文から

・哲学というのは物事の本質を考える学問。

 

アリストテレス[ニコマクス倫理学]

・簡単にいうと、幸福について書かれた本。いかにすれば人生において幸福を得られるかという話。

・アリストテレスは人生をトータルで考える。「人生全体を見なければ、それが生きるに値する人生であつかどうかを完全には判断できない」。

・幸福とは、複数の要素から成り立っている。快楽、友情、富。。。

・行動を重要視し、個々人の理性の力によって切り開けるとしている。理想の人生として国事に携わる人生と、観照の人生、つまり純粋に真理を探究する人生。その対局にあるのは快楽の人生。

・人の性格を重要視している。徳。アリストテレスは優れた知性は教育によって習得できるけれど、徳は理性とは関係のないため教えられないという。訓練によってみにつけなければならない。

・「徳は人間の行動と情熱に関係するものであり、すべての情熱と行動には快楽と苦痛が伴う。ゆえに徳も快楽と苦痛にかかわる」徳は単に人が何かをするかによって決まるにではなく、その人が何を好んでするかによって決まる。

・アリストテレスは行動を三種類に分ける。

「随意的行動=意図された行動」、②「不随的行動=意図に反する行動」、③「随意的でない行動=意図しない行動」

については、人は当然責任を負う。称賛されることもあれば、逆に非難されることもある。

については、それが悪い事なら許しを請わなければならないし、可哀想な事なら哀れみを受けることになる。

については、二つのパターンがある。一つは外的原因によるもの、もう一つは無知に起因するもの。外的原因は、不可効力的な物理的力が働く場合。嵐で海に落ちたような場合のこと。無知に起因は、常に正当かできそうだが、しかし、知らなかったならば仕方ないけれど、もし知っていたら確実に別の行動をとっただろうといえる場合にしか正当化できない。

・アリストテレスは、目的を達成するために熟慮するのであって、目的そのものについて熟慮するのではなという。

・正義の意味とは?→公平さ。「正義は中庸であると言えるが、他の優れた性格が中庸であるという場合と異なり、単に、極端に位置する二つの不正の中間に位置するという意味においてである。正義とは、正しい人が正しい行いを選択し、自分と他者に、あるいは二人の他者に...各自の受け取る資格に比例して分配するような性向をいうのである」

・いくら頭がよくても、善を目的としない場合は賢いとはいえない。

・「すべての情熱と行動に伴う快楽と苦痛が、人間の徳を育む」

・「快不快をほどよく感じることが、中庸であると同時に最善であり、これを徳という」

・「不治の病も初期に手当てをすれば治ることがあるように、人は自らのどうしようもない悪に責任をもつできである」

 

デカルト[方法序説]

・「我思うゆえに我あり」

・「良識」=「良識はこの世で最も公平に分け与えられている」「正しく判断し、真と偽を区別する能力」=「理性」とも言い換えられる。

・良識は生まれつき平等に備わっているが、人によって用い方が間違っている。

・どのようなものも、一人の人間の理性によってつくったほうがいいものができる。

・デカルトの四つの規則。

「明証性の規則」→疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判断に精神に現れるもの以外は、何も判断の中に含めないという規則。

「分析の規則」→問題を小部分に分割するという規則。

「総合の規則」→思考を単純なものから順に複雑なものに進展させていくという規則。

「枚挙の規則」→漏れがないようにすべて挙げてみるということ。

・自分の行動において、できる限り確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見である時に劣らず、一環して従うこと。デカルトは、森の中で道に迷ったら、あちこち行くのではなく、同じ方角に向かって突き進まねばならないと意喩えている。

・運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、常に努める。

・真理の探究については、生活と違って正反対のことをしないといけない。ただ信じ従うのではなく、徹底的に疑いを排除する。それは感覚を疑うところから始まり、誤謬や推論を取り除き、夢まで取り除く。「ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、私の信念の中にまったく疑いえない何かが残るかどうかを見極めねばならない」

・デカルトは、自分の体も自分のいる場所も存在しないかもしれないと仮定できるけれど、だからといって自分は存在しないとはいえない。反対に、自分が疑っているということは、自分が存在するということにほかならない。また私が考えることをやめると、私がそれまで存在したと信じるべき理由もなくなる。

疑う私がいたということは、その時点では私は完全ではなかったということ。ということは、私を完全にしてくれた存在があったはず。それは神をおいてほかに考えられない。

・人間には理性、心が宿っている。

・「『我思うゆえに我あり』という真理は、どのような懐疑にさらされても揺らぐことはない」

 

カント[純粋理性判断]

・人間の理性による認識はいかにして可能になるのか、そしてどこまで認識できぬのかということ。経験や感覚を含まない認識のことを純粋認識という。

・一切の思惟は「直感」によって生じるという。直感とは対象が与えられてはじめて生じる。言い換えると、対象がないところには生じない。対象が、意識を触発することによってのみ可能となる。

何かがないと何も思うわけにはいかない。

・表象を受け取る能力が「感性」。対象はこの感性を通じて私達に与えられる。感性が私達に直感を与えてくれるということ。すると、対象は、「悟性」というものによって考えられ、思惟されている。

悟性とは、感性に与えられたものに基づいて、対象を構成する能力のこと。ものごとを理解する能力。この悟性によって対象の「概念」が生じる。例えば、チョークを見ると、悟性が働いて、白い、粉を固めたもの、字を書く道具などと概念を構成する。

・空間とは外的経験から引っ張ってきた経験的概念ではない。ものがあるためには、空間の表象が根底になければならない。空間は先験的な直感から導き出された純粋直感である。

つまり、空間というのは、一切の現実的で経験的な知覚に先立って、まさに千先験的な直感に純粋直感そちて意識に与えられているもの。あらゆる現象が空間において存在しているといえる。いわば空間は、私達が物事を認識するためのモノサシのようなもの。

・認識には二つの源泉がある。第一の認識の源泉は、表象を受け取る能力。印象を受け取る役割を果たす。第二の認識の源泉は、これらの表象によって対象を認識する能力。ここでは悟性によって概念が生み出される。第一段階で対象が与えられて、第二段階においてその表象が考えられるという順番。

・「人間の理性は、しりぞけることもできず、だからといって答えることもできない問題に悩まされる運命を担っている」

・「我々の認識が対象に従うのではなく、むしろ対象のほうが我々の認識に従わなければならない」

・「時間と空間とは、人間にとって認識の源泉であり、これらをモノサシとして我々の認識は構築される」

 

キルケゴール[死に至る病]

・絶望こそが死に至る病だった。

・例えば親友に裏切られた時、人はその人を恨む。でも恨むことでかえってその相手に縛られることになす。絶望する人は自己に対してこれと同じような関係性をもつことになる。この絶望は深いものだ。

・キルケゴールがいいたいのは、絶望すると死に至るという事ではなく、絶望の苦悩は、死ぬこともできないというもの。死ぬほどの苦しみを味わいながらも、決して死ぬことができない。

絶望による死は、いつも自己を生の中に置き換える。絶望者は死ぬことができない。剣が思想を殺しえないように、絶望もまた根底の永遠者である自己を食い尽くすことはできない。

人は何かに絶望しているのではなく、自己自身に絶望している。そういう自己から抜け出そうともがいている。自己とは「帝王か然らずんば無」であるという。自己は帝王にならなかったことに絶望しているのではなく、帝王にならなかった自己自身に絶望しているのだ。

・「絶望は精神における、すなわち自己における病である」

・「まったく健康な人間などというものはおそらく一人もいないのと同様、まったく絶望していないような人間も一人もいない」

・「もし、人間の心のうちに永遠者がいなかったら、人間は絶望し得なかったであろう」

 

 

ビタミン99

手にとるように経済がわかる本

本文から

・「金融」が世界経済を動かす

金融とは、お金の余っているところから足りないところへ、お金を融通していくための世の中のしくみや活動のことです。例えば、私達が銀行に預けたお金が企業に貸し出されていったり、数引きを通じて出資したお金が企業の経営に活用されるのは、すべて「金融」と呼ばれる活動の一部です。

 

80年代の不動産バブルの発生メカニズム

円高不況に対応するため、日本銀行が金利を引き下げ→景気回復→金利は低いままだったため、銀行は資金を貸し出す余力が拡大「カネ余り」を増長・「ウォーターフロント開発」「リゾート開発」など不動産関連の事業に、銀行が資金を積極的に投入→地価、不動産価格が上昇→売買益を期待して土地、不動産を購入する人が増加、投資ブームで株式への投資も拡大地価、株価の上昇土地、不動産、株式などに投資する企業や個人が増加売買益を期待して土地、不動産を購入する人が増加、投資ブームで株式への投資も拡大バブル現象→企業業績や個人の所得も上昇→バブル景気へ

 

・サブプライム危機から世界同時不況までの流れ

サブプライムローンの利用が拡大、米国は不動産バブル状態に→2007年頃からローンの焦げ付きが続出していることが明らかに→資金を供給していた金融機関・投資家に巨額の損失→サブプライム危機。不動産市況、金融市況が低迷し、金融機関を取り巻く経営環境も悪化→リーマンショック。米大手証券会社のリーマン・ブラザーズが経営破綻.金融機関の経営状態への不信感が広がる.株価は暴落へ→多くの金融機関が資金の貸し出しに慎重に.企業に資金が適切に回らない状態に(信用収縮)→企業と金融機関の経営状態が連鎖的に悪化.米国をはじめ欧米諸国は不況に突入→輸出に支えられてきた日本経済や新興国経済にも打撃に→世界同時不況

 

・ある国における、一定期間内でのモノやサービスの平均的な価格のことを「物価」と言います。モノの値段の水準が高いか安いかは、その国で暮らす人々の生活を大きく左右し、物価変動は景気の動きとも密接な関係があります。

物価が継続的に上昇する現象を「インフレーション」といい、物価が継続的に下降することを「デフレーション」と言います。

 

・「バブル」とは、投資をしている個人や企業のお金が集中して投じられた事により、株式などの金融商品や土地・不動産などの資産の値段が、経済の実体から想定される水準をはかるに上回って高騰する事をいいます。

 

・社会にとって欠かせない「企業」

企業は単に「金儲け」のためだけにあるわけではない。私達の生活に役立つ製品やサービスを生み出す事で雇用や株主の利益を守っていく、社会に欠かせないもの。

 

・会社は誰のものか?株式会社の持ち主は、原則として出資者である「株主」。しかし、日本ではこれまで会社は「経営陣」や「社員」のものという意識が強かった。

 

・政府の三つの役割

資源の再分配→税金という形で国民から資金を集めて、社会インフラや公共サービスなどを提供する。

所得の再分配→税制や社会保障制度などで、極端な所得格差を解消する。

経済の安定か→税制や財政政策などにより経済の安定を図る。

 

・株式上場とは、ある企業が、証券取引所で売買されるようになること。

 

・株式を売買する際の値段である株価は、買いたい人(需要)と売りたい人(供給)のバランスによって日々刻々と変化している。

 

・銀行は血液(お金)を全身に運ぶ心臓のようなもの。経営が悪化すれば金融活動(血流)が停滞し、経済全体(全身)に悪影響が及ぶ。

 

・「円高」「円安」という言葉は、外国為替市場における円の相場(価値)の動きを表しています。円の相場が上がるのが「円高」、円の相場が下がるのが「円安」。

 

 

ビタミン100

自己実現

本文から

・望まないものを人生から拒否し、どんなことでも可能にしてくれる「奇跡」をどう応用したらよいのか、知らない。

 

・心構えこそ自分でコントロールできる唯一のものであるという事実。

他人の考えや行動をコントロールすることはできない。また、自分の誕生や詩をコントロールすることはできない。けれども、生まれたときから人生の最後まで、自分の心から発するあらゆる考えをコントロールするという無上の特権は、私達のものである。

 

・あらゆる問題に対して冷静な評価を下し、自分の力で対処できるものかどうか、判断するのも大切なことである。心構えが前向きであるかぎり、他人の弱さに対して寛容でいられる。相手の暗く消極的な考え方に引きずられる事も無ければ、後ろ向きの生き方に影響されることもない。

 

・人間の理性や知性は、普遍的な無限の力があるが、前向きな心を持つという事は、とりもなおさず、この力を認めることである。無限の理知を自分のものとして、信じる事である。それが確固とした目的達成につながることを疑わないことである。

 

・心の姿勢とは、人生という道に立ちはだかる二方面へ通じる門である。成功にも通じているが、もう一方は失敗へも通じている。残念ながら、失敗への門を選んでしまう人がほとんどなのが現状である。

 

・心構えを導いていくには、まず動機と目的が必要である。何をしたいのかという望みが明らかでなければ、どうしようもない。動機が強いものであればあるほど、心のコントロールは容易となる。

 

・前向きの心構えの最もすばらしい点は、誰もが、あらゆる目的のために、経費はいっさいかからず、何の代償も必要とせず、その恩恵に浴びせることである。

 

・確固とした目標を立てる、そして、その目標を達成するために確固とした計画を立てる。

 

・自分にふさわしい分野で、人々のために尽くす事のできる仕事に挑戦してほしい。

 

・変化とは、人間を進歩させる道具。個人の生活ばかりでなく、国家的な規模の運営でも変わりはない。商業でも工業でも、絶えず変化し続けることによって前進するのであり、それを怠ると、たちまち失敗の憂き目をみる。

 

・変化の法則とは、創造主が人間を他の動物と分つために用いた手段である。それとともに、人類が相互の理解と調和を深めるためのよりよい秩序へ向かって、生活習慣や思考形式を絶えず練り直す手段でもある。さらに、肉体的な痛みに対する恐怖の原因となっている固定観念を打ち破るのに、有効な手段の一つでもある。

この法則は同じ力で個人にも作用するため、自然の法則を理解できず、順応できない人は、やはり破壊され、最初からやり直すことになる。

 

・人間はもともと、前向きな生活習慣を身につけ、それを自分のものとして役立てていくようにつくられているのである。

 

・変化の法則こそ、教育のあらゆる根源の中でも、もっとも偉大なものの一つである。

 

・成長の法則とは永遠の変化にほかならない。何ごとによらず、何人に限らず、永遠の変化に支配されている。

 

・「経験はすべて、自分の糧になる。愉快だろうが不愉快だろうが、すべてのもの、すべての状況が自分の栄養になるのだ。そう考えて恐れや心配を捨て、すべてを受け入れ、自分の好みに合わせて料理し、自分の栄養として役立てる」

 

・どんな人にも、生まれながらに目に見えないガイドがついている。見えないガイドが住んでいるのは、誰もが抱えている「もう一人の自分」の中である。鏡に映る自分ではない。この「もう一人の自分」には

「不可能」という言葉はないし、いかなる限界も知らない。それどころか、あらゆる肉体的苦痛、精神的悲哀、挫折、一時的な失敗など、すべて克服するのが「もう一人の自分」なのである。

 

・自然は病気という幸運な一時期と過ごさせ、その間に自然は完全な治療をしてくれるのである。したがって賢明な人ほど病気を不運とは決して思わず、むしろ恩恵と考える。病気は母なる自然が与えてくれた慈愛に満ちた贈り物であり、命拾いをし、葬式を迎えずにすんだのは病気のおかげだと受け止めるのである。

 

・痛みには二種類ある。一つは肉体的な痛み、もう一つは心が感じる精神的な痛みである。肉体的な痛みは、その人の精神的な受け止め方によって、ほとんどがたいへん誇張されたものになる。

自己鍛錬によって心の平和を得ようとする人にとって、肉体的な痛みを克服することは最大の難関と言える。これは、自分の心を完全に自分のものにするまたとない機会であり、人生を自分の希望どおりのものにするには、絶対に必要な事である。

 

・肉体的、精神的な痛みを克服したということは、自分の心を完全に支配したということにほかならない。これこそ創造主が人間に授けた完全にして絶対の支配権であり、唯一絶対のものである。

 

・自分の抱えているさまざまな問題は解決不可能だと思い込んでいる人を救うには、自分の周囲を見回して、似たような問題、あるいはもっと大きな問題を抱えている人を見つけ出し、その人の問題解決を手助けしてやる。つまり後ろ向きな態度が前向きに変化する。他人のためになろうという方向転換が図られる。そうすれば、相手の問題が解決したころには、自分の問題も九十九里解決しているのに気づく。

 

・「他人に対して、また他人のために何をしようが、自分の考えによるものであれば、それはすべて、自分自身のためなのである」

 

・強さは、肉体的なものも精神的なものも、いずれも努力によって培われる。

「なすべきことをなせ。なせば力を得る」

 

・この現実の世界には限界がないということを、いつも自分に言い聞かせていなければならない。限界があるとすれば自分の心の中に自分でつくったものか、他人がつくるにまかせたものかにすぎないのだ。どういった経験をしようが、それは失敗ではないのだ。自分で失敗と認めるから失敗なのである。そして、それを失敗と呼べるのは当の経験者だけの権限だということ。他人がとやかく言うのを、決して許してはならない。

 

・悲しみを知らない人間とは、悪魔の化身かもしれない。

悲しみが深く、耐えられないと思ったら、自分は今人生の十字路に立っているのだということを思い起こしてほしい。四つの方向から一つを選ぶのである。一つだけが心の平和へと通じている。ほかの方向へ行っても、ほあの方法を使っても、心の平和は得られない。悲しみの手に触れられた事のない人は、本当に生きたとは言えないのだということ。悲しみ以外に、魂に通じる扉を開ける鍵はない。魂こそは無限の英知という大海原へ船出する港なのである。

 

・「思考は状態である」というのは適切ではないかもしれないが、思考が状態をつくるのはまちがいない。こうして作り出された状態は、そのもとになった思考と驚くほどよく似ている。

人間が心に浮かべた考えはすべて、限りなく同一の振動を続け、それを思い浮かべた人はあとになってその振動と争わなければならない。人間そのものが、無限の英知によって思考が肉体という形に投影されたものにすぎない。これは正確な判断力に恵まれた多くの人が信じていることである。

 

・人間の精神力には限界がない。あるとすれば、自分自身で限定したか、自分以外の力によって限界が設けられるままにしたかの、どちらかである。

まさしく、心は達成するのである。心が思い、信じたものならなんであろうと。

この「思う」「信じる」「達成する」という三つを、よく吟味し、忘れないでいただきたい。

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

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