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[ビタミン19]計画と無計画のあいだ
投稿日:2012/6/15
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計画と無計画のあいだ
本文から
・身をさらして発言したことが受け入れられないときはもう身を引くしかない。なぜなら、身をさらけだして生きている人であれば、どんな組織にいようが、必ず、言葉をもって生きているものだから。言葉をもっていきているということは、その人自身、少なからず身をさらして生きてきた結果といえよう。そういう人は、身をさらして若者が発した言葉を無下にすることはない。
・檻から外へと一歩踏み出すと、そこの空気は無条件においしかった。もっとも、新しい場所へ出たのだから新鮮なのは当然だし、環境を変えればどんな空きやすい人でも一時的には新鮮さをおぼえるものだろう。
・もともと人生なんて初めての連続ではないのか。生まれてから今に至までずっと「初めて」のことばかり。初めての集団生活、初めての遠足、初めての親元を離れての旅、初めての受験、初めての恋、。。。毎日、「初めて」のこととして経験していた。そうして不安をいっぱい抱えつつも「初めて」をどこかで楽しんでいる自分がいる。
・強さは幻想でしかなく、弱さだけが本物だ。
・「ここにミシマ社の本があるのは、この書店に、間違いなく、人がいるからだ。面倒な作業もいとわず、一冊を理解したうえで置こうと決意した書店員という一人の人間がそこにいる。その一人の存在が、ミシマ社と読者の方をつないでくれているのだ」
・人間の身体は、頭、上半身、腕、腰、下半身、足。。。といったボディパーツに分断されて駄句率的に存在しているわけではない。すべてがつながって1つの身体ができている。
・仕事で結果が出なくて元気が出ない。面白くないことがあって元気がでない。そこで、がんばって結果を求めようとしたり、無理して面白さを求めても、空回りしたり、逆に落ち込みが大きくなりがちだ。そんなときは、昼寝をする。あるいは走って汗を流す。川辺でぼーっとして頭を空っぽにする。すると嘘みたいに元気が湧いてくる。
・仲良い空気感の中、規格を練る。あるいはタイトルを出し合う。すると、企画1つとっても、会いが詰まる。ひとつひとつの決定事項に、メンバー全員の愛を詰めることができる。不毛な議論、意味のない対立なんかは当然、皆無。
・パソコンの怖いのは、その前に座ってキーボードをかちゃかちゃ動かしているだけで、仕事をした気になる事だ。
・出版社にとっての目標を「規模」におくのではなく、「一冊一冊」におく。
その一冊にどれだけの熱量をこめ、どれだけの愛情を注げるか。一冊にこめる熱量を拡散させないで、凝縮させる。
・あらゆることを「まずは100年やるため」という視点から発想することに徹しよう。数年もたせるためのやり方はとらない。まずは100年つづけるためにはどうすればいいか。数年後は目標ではなく、あくまでも通過点。そう捉えることにした。
・厨房でどんなにおいしい料理をつくったとしても、その料理を冷めないうちにテーブルで待つお客さんに届けないことには、「おいしさ」を味わってもらうことはない。お客さんにオーダーを聞き、それを適切なタイミングで厨房に知らせ、それを受けた料理人がおいしいものをつくり、お客さんの空腹を満たす絶妙なタイミングでその料理を提供する。テーブルへ届けるときも気持ちをこめて。この一連の動作が無駄なく見事につながったとき、厨房内の「おいしさ」にすぎなかったものがオープンな場でも「おいしさ」として生命をもちだす。
・今があるのは、これまでの積み重ねにほかならず、すべては連続していなければならない。何十代の男性であれ、何十代の女性であれ、どの土地であれ、どの会社であれ、全ての人に、全ての場所にいまがあるのは連続の結果でしかない。
・人間を信じるということである。人間である以上、生き物である以上、本質的に「面白いもの」は、人間の奥底に眠る動物的感覚を必ず揺さぶるはずだ。
・「どうしたら売れるのか」ではなく、「どうしたら喜んでもらえるのか」という問いをたてること。会社を回すために、「売る」ことが目的化してしまってはものづくりの原点から離れてしまう。ものづくりの原点はあくまでも、「喜び」を交換することにあるはずだ。
・奇跡は毎日起こるもの。それを信じる人たちのところには、必ず。
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