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ソフィーの世界
投稿日:2011/4/30
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私たちが哲学の歴史を勉強する理由は?
ただの歴史ではなく、哲学の歴史を学ぶのは?
歴史とは過去の出来事を私たちに教えてくれるもの。その時代の産物。
ただ、それが全て完璧に正しいものかというと、そうではない。
書いた人の立場や状況、環境によって同じ出来事でも書かれる内容は変わってくるだろう。
私たちはこれを単純に受け入れるだけではだめだ。ということは誰でも知っている。
哲学の歴史。
哲学は常にひとつの事に集中し、追及に追及を繰り返しながら、答えを導いていく。
哲学の歴史はその一人の歴史でもある。
私たちが哲学の歴史を学ぶのは、その哲学者が説いてきた内容をしることにより、また違った新しい考えがうまれるかもしれない。自分が同じような事を考えた時に、哲学思想から何か答えをみつけられるかもしれない。
結局は自分のために、学ぶのだ。自分の見解、考え方、視野を広めるために。
アリストテレスが主張する感覚にとって存在しなかったものは意識の中には存在しない。ということも一理あるとは思う。
アリストテレスも認めているように、人間には理性がある。理性は人間が何も感じないかぎり、まったくの空っぽだともいっている。
人間には理性もあるが、本心(心)がある。感じなくとも実在するもの。この世には理屈では説明できない多くのものがある。
人を助けたい。誰かの為に何かをしたいという感情は、感覚で感じたから意識に存在するものではないと思う。それは、本来元々人間が持っている心の部分だと思う。
と、こんな言い方では反論にもならない。
これをうまく説明するためにも、もっと詳しく、深く理解し、自分の考えをまとめていく過程が必要だと再認識させられた。
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