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☆写真館で働くとは-ライフスタジオのユニークなとりくみ4☆
投稿日:2019/6/23
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ライフスタジオでは、[学習と教育]を継続して行ってきた。
本を読んで学び、自分で書くことで学び、討論することで学び。
内容も、写真、哲学、人文学等、さまざまな分野を通して、私達自分自身とは何か。この社会、世界は何なのか。絶えず問おうと努力してきた会社だと思っている。
答えのない答えを探すために、たくさんの頭を集め、話し合い、時には討論バトルになったりと。そんな時もあった。
今回は、その学習をしてきま中で、私がトップ5に入った、本、「哲学エッセイ」を読んで感じたことをまとめてみた。
久しぶりに読む「哲学エッセイ」。
「哲学エッセイ」を一言で言うとなんだろうか?「哲学エッセイ」とは、「私が生きるにおいて真理を探し出していく元となるものが記されているもの」。であった。人は誰でも生まれてきたときから持っているものがある。それを、良心と呼ぶのか、信念と呼ぶのか、真理と呼ぶのか、または、違う言葉なのかはその定めた言葉にもよる。
ただ、この真理とは、各自が明確に規定し持っている人もいれば、明確には定まっておらず探している段階の人も多くいるだろう。私は後者のうちの一人だ。その真理が何なのかを探り、真の自分自身に近づいていく過程。それが、この哲学エッセイにでているさまざまな方法を行うことにより、小さな形が見えてくるのかもしれない。
人は、誰しも疑問を抱く。なぜ私は私という人として生まれ、今ここにこの瞬間生きているのか?この疑問は、小学生のころからの私の中の疑問であり、解けない不思議なものとしてずっとあった。ほかの人に聞いてもわからない。ピンとこず、流れていく日々。答えはあるようで、みつからない。答えはないのかもしれないしあるのかもしれない。そもそもこの疑問自体もおかしなものなのかもしれない。そう思っていた。でもやっと最近そのもやが晴れてきたような感覚を得るときがある。結局、私のことは私しか考えてあげることはできず、私の真理は常に疑問を投げかけ探していく行為を行うことにより、少しずつ明らかになっていくのかもしれない。そう思ったら、いますぐに何かの答えを出さなくても良いのかもしれないと思うようになった。
もともと、私が持っていた哲学というイメージは、難しい学問の要素を持っているものであった。しかし、哲学エッセイでは、哲学とは、当たり前のことに疑問を持ち問いをたて、その問いを明かすために実践していく一連の過程を指すことであり、常に日常の出来事と密接にあるものだということを言っている。その方法として、哲学エッセイには、さまざまな方式が出てくる。すべてのものは関連しており、変化する。法則としてあるものが、良質転化、否定の否定、弁償法など。これらの方式を用いて、自分の真理に近づいていく過程を踏んでいくことをいっている。つまり、私は、なぜ私が私として生きているのか。と疑問を持ち考えていること。それ自体が哲学をするスターとになっていたのだ。ただ私の場合は、ただ考えるのではなく、その考えたことが何なのか、それを実現するためにはどうしたらよいのか?などの実践が伴っていなかった。疑問に対する絶え間ない探求。これをしてこなかった。考えることを止めず、考えたことを実践していくこと。そこから、自分というものが本当に誰なのかを知っていく糸口になっていくのだと思う。この哲学エッセイは、私に1つの新たな気づきを与えてくれたものとなった。
数年前に始めて「哲学エッセイ」を読んだ時に感じたことをと、今感じたことに少しの差異はあるものの、人はなかなか変わらない。と改めて感じる。
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