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☆ある抽象的なただの思い☆
投稿日:2018/4/29
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最近、いろんな所から嬉しい姿、声が聞こえてくる。
人は何らかの行動を起こし各自自分の行きたい未来の方に進んでいこうとする。
ある人は、自分のやろうとしていた夢のスタート地点にやっと立った!これからが本場だ!と嬉しそうに言う。
ある人は、自分がやってきたことが、いつか、歴史の一ページとして何らかの形で残したい。と話す。
ある人は、今いる自分の周りの人に何をしてあげられるのか。模索している人がいる。
たくさんの思いと、決意と、葛藤は何らかの形で行動としてあらわれる。
そんな人達の声を聞き、姿を見るたびに、人の可能性を感じる。
その姿は、その人自身の人生の歩みが投影されており、どんな結果だったとしても、一度やり遂げた姿はとても輝いている。
最近思う事は、人は自分がどのような状態かで、受け止め方が全く変わってしまうということ。(特に私はそうだったと気付いた。)
自分の目に見えるものが、全てぼやけて見える時期があった。
ピントがあっていないのか、はっきり見えない。
そんな時は、どんな良い話や、きれいなものを見ても、喜びの感情はあるものの、きちんと受け入れる事が出来ていなかったように思う。勝手に心の中で、見えないもやをかけていたんだろう。
実際に目に見えるものと、心の目で見ているものがこんなにも一致しているのかと、気付いたのは、またきれいに見え始めてから。
実際に見えるものがぼやけている時、受け入れる事をふさいでいる時。何をしてもその状態は変わらない。逆に受けとめようとした瞬間、視界も晴れてくる。
単純な事なのに、すごく重要なことだと、ここ数カ月でやっと気付きだした。
そして、人を見る目も変わってきた。30歳を過ぎ、いろんなタイプの人と出会いながら、人のタイプを見分けられるようになったと思っていた時期があった。今思うと、全くそうではなかったけれど。
いろんな人に出会いながら、この人は、こういう人で、こういうタイプの人だから、こうだ。というように、勝手に自分の中で完結させる時もあった。実際、近い判断だった時もあったとは思うが、本当のところはやはりわからない。
人は人で、その人の事を全てわかる事はできないから。
自分の行動や、言動に気をつけながら過ごしてきたとは思っている。同じように、他の人もそのように思いながら過ごしていると思っている。言葉を発する時、その言葉を選んで話す理由があり、行動する時、その行動をとる理由がある。自分も、人もそうだと思うようにしてきたつもりではあったが、最近は、より、強く思うようになった。
自分だけの判断が正しいとは限らないという当たり前のこと。ギャップのある姿を見て、自分はどんな風に受け止めるのか。そして、どんな風に受け止めてもらえるのか。
そんなよくわからない事を頭の中でぐるぐる回している今日この頃。
でも言いたいのは、最近嬉しい知らせがたくさんあり、私も晴れやかな気分だという事☆
それと同時に、ただただ人はすごいなって思う☆
人は人であり人でしかない。時に、人という人についてもっと知りたいと思う時もあるけれど、今は難しく考えずにただの人。特別でもそれ以下でもない。と思うように最近はしている。
でも、人が喜んでいる姿を見るのはうれしいもの☆
そんなうれしい気運がどんどん広がっていったらいいな。。。
(家の周りを歩くと、自然の色はどんどん変わってくる。同じ光景だけど、同じじゃない。四季折々の色をだす近所に咲く桜道。いつも気付くと桜は散り始めている。そしてすぐにきれいな緑をつける。時間はあっという間。そこにある大切なものを見落とさないように。きちんと目をむけたい。)
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