Staff Blog
本社
scrollable
☆my Life studio history③☆-ライフスタジオの教育-Part1全体教育
投稿日:2017/10/30
930 5
-ライフスタジオの教育の歴史-Part1全体教育
ライフスタジオには、今、「人が人を人として」というスローガンがある。
始め聞いたときは「?」という印象もあったが、聞いていると今までライフスタジオで話されてきた全ての内容が、この「人が人を人として」に含まれているように思う。人である私、人であるあなた、人である私たちが、真の人として共にするということ。基本的なことのように思うが、「人が人を人として」とは、私たちが人として生まれてきて、行っていく最高の行為の状態を指している言葉ではないかと思う。
人を放棄しない。その人に合った速度で、変化発展、成長、自立。
様々な言葉があったが、全て、人として生きていくうえで必要なことであり、大切なことである。
李社長が日本に来て驚いた光景。「日本に来て驚いたことがある。人々があまりにも涙している姿を見た」。この、自分を表したいのに表せない、人に歩み寄りたいのに、歩み寄れない、やっても失敗し、失敗して傷つくことにより、そのうち行動を起こさなくなっていく状態の人々を傍で見ながら、何が問題なのか、何故そのように皆同じところで行き詰まっているのかを少しでも解決できたら。と、ライフスタジオでの教育が始まった。
ライフスタジオでの教育は様々な形で行われてきたが、代表的なものの中に、本を読むということがある。
ライフスタジオでは、月に1冊本を読み、討論をしたりするという文化はある程度定着している。もちろん全ての人にではないが、人により少し強度の差はあるものの、「本を読もう」と、最初に始めた2008年ころからすると、読書に対する拒否感等は、かなり減り、読むべきもの、やるべきこととして、定着してきた。しかし、この状況は当たり前のことではないという。元々作られた場所に入り、そこで行っていることに対してはあまり疑問は持たないが、その当たり前の状態までを作っていくことは簡単ではなく時間のかかることだ。ライフスタジオも同じだった。
2008年後半頃から、月に1冊課題の本を読み、全体会議という場を設けて討論をする。みんなが集まり、数名のグループに分かれ床に座りながら1日中討論するという雰囲気は、日本ではあまり見られない光景だったという。ライフスタジオには、日本人と韓国人がいる。二つの国の人々が同じ空間で話をしていくということ、育ってきた環境や社会、考え方の違いによる摩擦も起きるかと思われたがそんなこともなく、無難に意見が言われ、無難に過ぎていく日々を送っていた。
月に1度、本を読み討論をするということは、簡単ではないといった。なぜか。今までやったこともないし、元々本を読んだり、自分の意見を積極的に話そうという人は多くない。人々の抵抗心は強い。韓国デザイン室でも、読み書き討論を本格的に行うと宣言し、実行しようとしたところ、3、4年働いていたスタッフが数名辞めるという出来事もあった。ライフスタジオで読み書き討論で辞めるというスタッフは多くはいなかったが、多少引っかかっているスタッフもいただろう。
全体会議の中で、全店舗の人が集まり、討論をする文化。スタートしながら、試行錯誤しながら進めていく日々。だんだんと、意見を言える人言えない人言わない人が目に見え始め、会議の形態も変えながら進めていった。
日々行う撮影の中で、メインとなるのは、カメラマンとコーディネーター。私達は、写真を撮ってお客様に提供していると思っている。しかし、それだけではない。写真という媒体を通して私たち1人の1人の姿を、お客様に表しているのだ。
人は誰でも、認められたり、自己の存在の確認をしようとする。自分は何なのか。何故ここにいるのか。何をしているのか。写真館という特質上、中心となるのは「人」である。内部スタッフ同士の「人」。外部からはお客様と言う名の「人」。結局「人」で始まり終わることのない「人」という関係の中に私達はいる。ならば、この「人」について知る必要があり、「人」である、自分自身のことも知る必要がある。自ら知らない、気づかない人には、教育や学びが必要であり、それをライフスタジオで一緒にやっているのだ。
教育の流れは、まず、2008年後半頃から、全体会議での毎月1冊の課題図書を通した討論。同時に、希望者が休日に集まり、互いの事をより深く話し、考えていく教育チームが行われた。その中でも、もっと深く、もっと学ぶ人達として、数名が集中討論という形で1~2年ほど行われる。
全体会議での、課題図書を読み、討論するということ。部屋の床に座り1日中輪になって会議をするという風景。多くのスタッフは始めて経験することばかりだったのではないだろうか。
毎月1つの主題が出され、事前に店舗で討論してから全体会議の場に集まる。
全体会議でも、店長、カメラマン、コーディネーター会議等グループに分かれ、各分野での話しがされた。形式は何度か変えながら行ってきた。全体会議は、数年後チーム制に分かれて行われるまで、全店舗が集まり毎月行われていた。
こうして、月に1冊本を読み、主題について各自意見を書くということを全スタッフが行い、HPにも載せ、ある程度定着してきた頃、もっと自分を変え成長し学びたい人達のために、ライフスクール、その後にライフサークルができる。
(ライフスクールは実践するための前準備として、頭の中に知識を入れる時期であった。いざ、実践をしていくために、ライフスクール(リーダーシップ・哲学・文学)が始まる。ライフスクールは、2012年から約10カ月間行われた。リーダーシップ、哲学、文学の3つのスクールがあり、個人の時間をかなり投資して、皆挑んだ。)
(リーダーシップサークル河口湖遠足)
・ライフサークルの計画書には、
ライフスクールの目標は知るということ。
知るということを知ること、わからないことと知ることを明確に区分すること。
そして知ることの世界に方向を定めるということ。
ライフスタジオは、人が人を人として作ることを目標にします。
写真を媒介に人と人が真性性を持ち出会い、その中で共同の価値を創造し、確認することを願っている。
前の、ライフスクールと違う点は、具体的な目標をもっているということ。ライフサークルは哲学、文学、リーダーシップに分けられ、その中の一つを集中的に学習し、それを現場に適用させていき、自分の限界を超えることが目的だ。その過程で仕事が進行される原理と目標を達成する能力が何かを知ることに集中しようとする。
自ら判断し、自ら準備し、自ら方向を決定するライフサークルを指向する。そして、やりたいということではなく、やらねばならないということが重要だ。私達はやりたいことと、やらねばならないことを混同している。やらねばならないことをやった時に、やりたいことができるのだと考える。
今私達の歩みを遅れさせている実態を脱ぎ捨てる過程で、自分を知るようになり、やりたいこともでてくる。ライフ人とはこのような過程を得て、自身の実態を認め、これから進むべき方向を決定する人ではないだろうか?
ライフサークル活動には、相当高い情熱が必要とされ、時には自身の能力を超えたものが要求されることもあるだろう。虎を捕まえるためには虎のいる洞窟に入らないといけないだろう?平凡な人生を送りたくない者は集まれ。ほかの人と同じような人生を送りたくない者も集まれ。強力な刺激と変化する妙な気分を感じてみたい者も集まれ。自分と世の中を解析したい者は必ず集まれ。ライフサークルはライフスタジオが発見した最前の自己変化発展プログラムである。
普遍的な教育であるライフスクールと特殊的な教育であるライフサークルが、うまく調和を成せば、管理する必要のない理想的な組織へと進めるのではないだろうか。
このように、教育のほぼ最終形態とも言えるサークルと言う新しい動きの教育がスタートした。
計画書にもあるように、ライフサークルは今までどこか受け身で学習していた姿から、能動的に自ら動いていかないと何も変わることのない状況をあえて作り、1年間行われた。
実際に行われてみて、数名が今まで得たことのない成功体験をすることになる。
哲学では、毎月哲学の内容を学習していき、文学では、最終的に各自の「自叙伝」を完成させることを目標に置いた。「自叙伝」を書くためには、文章の書き方から始まり、表現する方法を学ぶ必要があり、毎回各自が書いてくる自己の内容をお互いに読み、自分だけに目を向けるのではない、共に参加している人がどんな人で何を思っているのか。どのように構成されているのかを知る時間にもなった。何よりも、自分を振り返り見つめていくということで、各自がより自分自身と出会う時間になった。
リーダーシップでは、1年間の目標を決めた。個展を開く人、3つのプロジェクトを3カ月単位で行う人、本100冊読む人、毎月文章を書き自分を出していく人等々。各自それを達成するために、必死に動く1年となった。毎月、進行状況を確認し、叱咤激励しながら、同じ方向を見ながら進もうとする姿は心にじ~んとくるものがある。その一連の過程を1から10まで一緒に見てきたからこそ、達成したときの、喜びは大きく、相手が達成した姿を見ても自分の事のように嬉しい。たとえ達成できてなくとも、次回に繋げていこうとする動きもあり、「別々に一緒に」という言葉の意味を感じる年であった。
私自身もこの時始めて、大きな事を達成したという、喜びの一言では言いきれない何とも言えない思いを実感した。自分が達成したということだけでなく、その過程を見て応援してくれていた人達の表情を見ると涙が出そうになるのだった。1人で達成したのではなく、結局は一緒にやってきた人がいたから達成できたということ。その感覚を社会人になってから始めて実感した。私にとってもかけがえのない時間になった。
ライフスクールが終わってからは、ライフスタジオ全体がチーム制に分かれて運営をしていくことになり、教育は各チーム毎に成されて行く。
全体の共通した教育プログラムは、ライフスクールが最後となる。
(リーダーシップサークル代々木公園で)
ライフスタジオには、今、「人が人を人として」というスローガンがある。
始め聞いたときは「?」という印象もあったが、聞いていると今までライフスタジオで話されてきた全ての内容が、この「人が人を人として」に含まれているように思う。人である私、人であるあなた、人である私たちが、真の人として共にするということ。基本的なことのように思うが、「人が人を人として」とは、私たちが人として生まれてきて、行っていく最高の行為の状態を指している言葉ではないかと思う。
人を放棄しない。その人に合った速度で、変化発展、成長、自立。
様々な言葉があったが、全て、人として生きていくうえで必要なことであり、大切なことである。
李社長が日本に来て驚いた光景。「日本に来て驚いたことがある。人々があまりにも涙している姿を見た」。この、自分を表したいのに表せない、人に歩み寄りたいのに、歩み寄れない、やっても失敗し、失敗して傷つくことにより、そのうち行動を起こさなくなっていく状態の人々を傍で見ながら、何が問題なのか、何故そのように皆同じところで行き詰まっているのかを少しでも解決できたら。と、ライフスタジオでの教育が始まった。
ライフスタジオでの教育は様々な形で行われてきたが、代表的なものの中に、本を読むということがある。
ライフスタジオでは、月に1冊本を読み、討論をしたりするという文化はある程度定着している。もちろん全ての人にではないが、人により少し強度の差はあるものの、「本を読もう」と、最初に始めた2008年ころからすると、読書に対する拒否感等は、かなり減り、読むべきもの、やるべきこととして、定着してきた。しかし、この状況は当たり前のことではないという。元々作られた場所に入り、そこで行っていることに対してはあまり疑問は持たないが、その当たり前の状態までを作っていくことは簡単ではなく時間のかかることだ。ライフスタジオも同じだった。
2008年後半頃から、月に1冊課題の本を読み、全体会議という場を設けて討論をする。みんなが集まり、数名のグループに分かれ床に座りながら1日中討論するという雰囲気は、日本ではあまり見られない光景だったという。ライフスタジオには、日本人と韓国人がいる。二つの国の人々が同じ空間で話をしていくということ、育ってきた環境や社会、考え方の違いによる摩擦も起きるかと思われたがそんなこともなく、無難に意見が言われ、無難に過ぎていく日々を送っていた。
月に1度、本を読み討論をするということは、簡単ではないといった。なぜか。今までやったこともないし、元々本を読んだり、自分の意見を積極的に話そうという人は多くない。人々の抵抗心は強い。韓国デザイン室でも、読み書き討論を本格的に行うと宣言し、実行しようとしたところ、3、4年働いていたスタッフが数名辞めるという出来事もあった。ライフスタジオで読み書き討論で辞めるというスタッフは多くはいなかったが、多少引っかかっているスタッフもいただろう。
全体会議の中で、全店舗の人が集まり、討論をする文化。スタートしながら、試行錯誤しながら進めていく日々。だんだんと、意見を言える人言えない人言わない人が目に見え始め、会議の形態も変えながら進めていった。
日々行う撮影の中で、メインとなるのは、カメラマンとコーディネーター。私達は、写真を撮ってお客様に提供していると思っている。しかし、それだけではない。写真という媒体を通して私たち1人の1人の姿を、お客様に表しているのだ。
人は誰でも、認められたり、自己の存在の確認をしようとする。自分は何なのか。何故ここにいるのか。何をしているのか。写真館という特質上、中心となるのは「人」である。内部スタッフ同士の「人」。外部からはお客様と言う名の「人」。結局「人」で始まり終わることのない「人」という関係の中に私達はいる。ならば、この「人」について知る必要があり、「人」である、自分自身のことも知る必要がある。自ら知らない、気づかない人には、教育や学びが必要であり、それをライフスタジオで一緒にやっているのだ。
教育の流れは、まず、2008年後半頃から、全体会議での毎月1冊の課題図書を通した討論。同時に、希望者が休日に集まり、互いの事をより深く話し、考えていく教育チームが行われた。その中でも、もっと深く、もっと学ぶ人達として、数名が集中討論という形で1~2年ほど行われる。
全体会議での、課題図書を読み、討論するということ。部屋の床に座り1日中輪になって会議をするという風景。多くのスタッフは始めて経験することばかりだったのではないだろうか。
毎月1つの主題が出され、事前に店舗で討論してから全体会議の場に集まる。
全体会議でも、店長、カメラマン、コーディネーター会議等グループに分かれ、各分野での話しがされた。形式は何度か変えながら行ってきた。全体会議は、数年後チーム制に分かれて行われるまで、全店舗が集まり毎月行われていた。
こうして、月に1冊本を読み、主題について各自意見を書くということを全スタッフが行い、HPにも載せ、ある程度定着してきた頃、もっと自分を変え成長し学びたい人達のために、ライフスクール、その後にライフサークルができる。
(ライフスクールは実践するための前準備として、頭の中に知識を入れる時期であった。いざ、実践をしていくために、ライフスクール(リーダーシップ・哲学・文学)が始まる。ライフスクールは、2012年から約10カ月間行われた。リーダーシップ、哲学、文学の3つのスクールがあり、個人の時間をかなり投資して、皆挑んだ。)
(リーダーシップサークル河口湖遠足)
・ライフサークルの計画書には、
ライフスクールの目標は知るということ。
知るということを知ること、わからないことと知ることを明確に区分すること。
そして知ることの世界に方向を定めるということ。
ライフスタジオは、人が人を人として作ることを目標にします。
写真を媒介に人と人が真性性を持ち出会い、その中で共同の価値を創造し、確認することを願っている。
前の、ライフスクールと違う点は、具体的な目標をもっているということ。ライフサークルは哲学、文学、リーダーシップに分けられ、その中の一つを集中的に学習し、それを現場に適用させていき、自分の限界を超えることが目的だ。その過程で仕事が進行される原理と目標を達成する能力が何かを知ることに集中しようとする。
自ら判断し、自ら準備し、自ら方向を決定するライフサークルを指向する。そして、やりたいということではなく、やらねばならないということが重要だ。私達はやりたいことと、やらねばならないことを混同している。やらねばならないことをやった時に、やりたいことができるのだと考える。
今私達の歩みを遅れさせている実態を脱ぎ捨てる過程で、自分を知るようになり、やりたいこともでてくる。ライフ人とはこのような過程を得て、自身の実態を認め、これから進むべき方向を決定する人ではないだろうか?
ライフサークル活動には、相当高い情熱が必要とされ、時には自身の能力を超えたものが要求されることもあるだろう。虎を捕まえるためには虎のいる洞窟に入らないといけないだろう?平凡な人生を送りたくない者は集まれ。ほかの人と同じような人生を送りたくない者も集まれ。強力な刺激と変化する妙な気分を感じてみたい者も集まれ。自分と世の中を解析したい者は必ず集まれ。ライフサークルはライフスタジオが発見した最前の自己変化発展プログラムである。
普遍的な教育であるライフスクールと特殊的な教育であるライフサークルが、うまく調和を成せば、管理する必要のない理想的な組織へと進めるのではないだろうか。
このように、教育のほぼ最終形態とも言えるサークルと言う新しい動きの教育がスタートした。
計画書にもあるように、ライフサークルは今までどこか受け身で学習していた姿から、能動的に自ら動いていかないと何も変わることのない状況をあえて作り、1年間行われた。
実際に行われてみて、数名が今まで得たことのない成功体験をすることになる。
哲学では、毎月哲学の内容を学習していき、文学では、最終的に各自の「自叙伝」を完成させることを目標に置いた。「自叙伝」を書くためには、文章の書き方から始まり、表現する方法を学ぶ必要があり、毎回各自が書いてくる自己の内容をお互いに読み、自分だけに目を向けるのではない、共に参加している人がどんな人で何を思っているのか。どのように構成されているのかを知る時間にもなった。何よりも、自分を振り返り見つめていくということで、各自がより自分自身と出会う時間になった。
リーダーシップでは、1年間の目標を決めた。個展を開く人、3つのプロジェクトを3カ月単位で行う人、本100冊読む人、毎月文章を書き自分を出していく人等々。各自それを達成するために、必死に動く1年となった。毎月、進行状況を確認し、叱咤激励しながら、同じ方向を見ながら進もうとする姿は心にじ~んとくるものがある。その一連の過程を1から10まで一緒に見てきたからこそ、達成したときの、喜びは大きく、相手が達成した姿を見ても自分の事のように嬉しい。たとえ達成できてなくとも、次回に繋げていこうとする動きもあり、「別々に一緒に」という言葉の意味を感じる年であった。
私自身もこの時始めて、大きな事を達成したという、喜びの一言では言いきれない何とも言えない思いを実感した。自分が達成したということだけでなく、その過程を見て応援してくれていた人達の表情を見ると涙が出そうになるのだった。1人で達成したのではなく、結局は一緒にやってきた人がいたから達成できたということ。その感覚を社会人になってから始めて実感した。私にとってもかけがえのない時間になった。
ライフスクールが終わってからは、ライフスタジオ全体がチーム制に分かれて運営をしていくことになり、教育は各チーム毎に成されて行く。
全体の共通した教育プログラムは、ライフスクールが最後となる。
(リーダーシップサークル代々木公園で)
この記事をシェアする
サイト内投稿の検索
- トップ
- Staff Blog