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写真サークル映画「おくりびと」

投稿日:2017/7/24

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「おくりびと」の映画を見ながら、納棺師の仕事をしている主人公と、周りの人々との関係、主人公が自分自身の人生をどのように向き合っているのかを考えさせられた。
 
チェロの演奏者として成功することを夢見ていた主人公。自分には才能がないと気付いたのも早くはなかった。夢を持っているのはとても素敵なことだと思う。自分の夢、やりたいことを自分の仕事としてやっている人はたくさんはいないと思う。
主人公が、チェロを売って、田舎に帰った時、軽くなったと言っていた。チェロの演奏者になるということは、やりたかったことだけれど、本当は違かったかもしれない。何か一つに集中し、そこばかり見ていると、周りが見えず、そこに集中しているつもりの自分に酔っていることもある。時には、自分の状態を客観視する時も必要だが、1つしか見ていないと客観視することはなかなか容易ではない。そんな時は、周りからの客観の声は重要な自分へのアドバイスとなる。
主人公は、自分で、チェロの演奏者ではない道を選び、全く新しい仕事に就くことになった。
納棺師という職業。主人公が面接ですぐに合格した時、社長は直感で決めたと言っていた。履歴書も見ずに、とりあえずやってみなさいと。映画の中で、社長は主人公に「転職だ」という。主人公の育ってきた環境、境遇、生き方。それを社長は何か感じていたのかもしれない。
主人公が、社長の仕事をしている姿を見てこんなことを言っていた。
「冷たくなった人を蘇らせ、永遠の美を授ける。それは冷静であり、正確であり、そして何より優しい愛情に満ちている。別れの場に立ち会い個人をおくる。せいしつで全ての行いがとても美しいものに思えた。」と。主人公の心からの声だろう。人は誰でもいつかは死を迎える。火葬を見送るおじいさんも、死は終わりではなく、門なのだと。門を通り、また新たなスタートを切るという意味に聞こえた。
納棺師という職業はあまり知られておらず、私はこの映画を見るまではこういう職業があったことにも気づかなかった。まだまだ知らない職業がたくさんある。
正直私は、今までお葬式に参加したことはなかった。本当につい最近ちゃんと最初から最後までお葬式に参加した。きちんと化粧がされている姿を見て、この映画を見て、お葬式の前はこのようなことが行われるのかと分かった。人の死。それは予測できる死もあれば、突然訪れる死もある。どんな死であれ、人1人亡くなるということは本当に悲しい。それでも、日々は過ぎていく。残された家族、友人は忘れることはない。
 
最後の瞬間を、美しく送り出すこと。この主人公と、社長さんのように思って納棺師をしてくれている人がどれほどいるのかなと思った。ただ考えたらあまりやりたいと思う仕事ではないかもしれない。だから、主人公の奥さんも初めは反対していた。でも、主人公の姿、挑む姿勢を見て、亡くなった人をただ亡くなった人としてみるのではなく、最後の最後まで、1人の人として美しく送り出したいという思いで、その人に歩み寄ろうとする姿に感動したのだろう。
別れの場に立ち会うということは決して簡単ではない。他人であったとしても。死に慣れることはないだろうし、いつまでも死は悲しいと思ってしまう。
いつもそばにいることが当たり前だと思っている。でも、その当たり前は当たり前じゃない。人はいつどうなるか分からないから。そう思うと、毎瞬間、自分の事も周りの人のことも大切に過ごしていかなければならないし、心が優しくなれる。
 
死というものは、悲しいけれど、ずっと悲しんでいてもダメ。亡くなった人のためにも、残された人はその分、精一杯生きて、幸せな人生を過ごさなければいけない。私はそう思う。

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