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千葉フォレスト店
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民主的公共性

投稿日:2012/6/2

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公共性とは、誰もが認め、誰もが享受し、誰もが入ることができ、誰もが共にできることだ。とするならば、また、誰にでも平等であり、平等でないものは排除されなければならないのなら、私達が今属している国家もまた無くならなければいけない。私達は国家無くして生きていくことができるのか。

私達は家族と組織と社会と国家という共同体を形成し生きている。

昔の王族の時代より現在に至っては、集団をなしている様々な形態が、新しく構成されたり乱れているが、決して共同体を抜け出すことはできない。それならば、共同体を認めながら公共性を受け入れることが最も理想的ならば、排除されるべきものがでてくるだろう。その排除されるものを私達はどのように解決していくことができるのか?

店舗での討論の中で、「私達の目的地は何処であり、私達は何処に向かって行っているのか?」という主題で話しながら、「自立した人達の経済共同体」と定義した。ならば、私達はライフスタジオという共同体を成しているが、果たして共同体には何があるべきなのか?という質問に答えを探し出すと、つまり、排除されることを解決できるのではないだろうか?

 

私達が日常的に認知できていなかった排除行為には何があるのか?という質問に、たくさんのことが浮かんできたが、いつも話している「人」だという考えが浮かんだ。

自分が相手を、自分が社会を、自分が世界を、自分で自分を排除している場合が一番多いのではないだろうか。人間は結局は皆同じ存在であり、生まれたらいつかはこの世を去るのに、相手よりも少し多くを学び、相手よりも少し多くのものを持って、相手よりも少し容姿にたけて優越感に陥って人間が人間を無視し、差別することがあまりにも多い。世の中に完璧な人はいないと思っている。性格、学歴、物質、果たしてすべてにおいて完璧な人はいるのだろうか?人によって不足している部分があり、お互いに満たしていくために家族を成し、社会を成し、国家を成しながら生きているのではないか。

また、社会があり、国家があるから自分がいるのに、社会参加を無視して、国家を無視するという無関心は、最も恐ろしい排除ではないだろうか?そんな無関心が自分の中にもあったと思うと、自分の知らない間に自分自身を排除していたという考えをしたりする。

 

 

私達の組織では、どのような排除が存在しているだろうか?

韓国のスタジオで長く仕事をしながら感じたことの中の一つは、その組織に長くいたという理由、先輩だという理由、役職が高いという理由で、彼らだけの領域を作り、新しく入ってきた人々にバリケードを張って素直についてくる人々は入れてあげ、そうでない場合は、何らかの理由を付けては排斥している人々を見ながら嫌に思っていた時があった。しかし、私もまたそのような集団を排除しながら、別のバリケードを張っていたということを認知したことがある。人を分けて警戒し、壁を作りお互いがお互いを合理化しようとしているように思うが、より多くの社会と多くの人々を経験しながら、そのようなものが、今は少し緩く理性的になり、より客観的に思考するようになったと思う。

しかし、今でもまだ自分の隅の方にそのような排除が無くなりきれていないと考えていて、だから自分だけの学習を継続的に行うことが重要だと思う。

 

それならば、ライフスタジオというコミュニティーの中では、どのような排除が存在し、どのようにして克服しないといけないのか。

私達は自立した人間になるために、変化発展する自分を作っていくために学習をしており、自分ではなく、他人を認めていこうとしている。そうしていくためには、思考の転換が必要であり、各自が自分の世界観を持って変えていかなければならない。しかし、個人ではできない部分があるため、それを組織で行っているが、このような方法で継続的な討論や会議をしている。

ところが、討論や会議をうまくできる人々が、そうできていない人々を排除したり、会議をする人がしていない人々を排除したりしながら矛盾を持つようになり、それを認知するようになったときに嘔吐を感じることもある。

しかし、ここで諦めずにより持続させていき、その空間の差を埋めていると思う。引っ張り引っ張られ、投げて受けながら、時には投げられたことにもう一つを積んで、一歩踏み出しながらその差を狭めていっている。

この本でも排除をしてはいけない、と言っていると私は理解した。ライフスタジオが人を諦めないということも、話はしてもついてくるのが大変な人を排除するのではなく、少し違うだけなんだと認め、ずっと投げながらも待っていてくれているという意味ではないだろうか?それが人間であるため、人間愛を基本的に持っていると思う。

 

主題の討論で「自由」という言葉について持続的に考えており、最近一番多く考えている言葉でもあるが、 「自然に作られる自由」について。。。

自分で選択したり、自分に与えられた環境がある場合、その条件と環境についていくのではなく、自ら条件と環境を作っていくときに、その過程が自然に作られる自由である。

自由と平等が衝突した時、その間の差を埋めてくれるのが「思考」である。人と人との関係では、思考が必要であり、その考えは固定観念から脱していけるのだ。また、個人の思考が広くなると、組織となり、社会になるという。

今の私にはより深い思考、広く見る思考、早く判断する思考が必要な時点だ。そして固定観念から抜け出すことも継続的に行う必要がある時期だと思う。

 

 

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それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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