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千葉フォレスト店
写真
投稿日:2012/5/7
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スタジオをオープンするとインテリアを行い、撮影する空間が作られる。
空間が完成した姿を見ながら、カメラマン達は想像するようになる。
光と色、そこにいる被写体。
写真に関する要素を頭の中に描いてみる。そしてインテリアが完成し、始めて撮影をするようになると、その時から現実とぶち当たりながら多くの考えが頭の中によぎるようになる。
空間というものが最初の計画通りに、インテリアされるのは簡単ではない。完成して始めて霧掛かっていた目が少し鮮明になり、撮影を行い写真を見ると、現実が鮮明に見えてくるようになる。そして、頭の中で想像していたことがシャボン玉のようにパンパンとはじけ、自分の髪の毛が抜かれるかのように悩むようになる。ある時から撮影することが一番簡単でありながらも、一番難しくなった。多分韓国にいた時から撮影の責任を持つ位置にいて、何も考えずに撮影するならただ軽い気持ちでシャッターを押すことができるが、後ろからついてくる人達に何か新しいことを、常に提供しなければならず、先に旗をささないといけないという思いは、圧迫と共に、負担になっていたように思う。だけど、もうその負担も日常のことになり、撮影の時の集中が体に浸透している状態だ。だから撮影をする毎に考える。どんなレパートリーをつくろうか?どうやって写真に整理しようか?良いアイディアはないのか?と。。。何の研究であれ、それを行う人になるのだと思うとそれもまた楽しみとして感じられる。
上の写真の空間に、より深く細かく入ってみると、カフェのイメージで作られたこの場所は、ベージュのトーンの柔らかい色合いと、長く深く入ってくる光が触れ合いながら、逆光のイメージをそのまま見せてくれる場所だ。そして、中間にある鉄のドアは、カフェと濃いレンガを繋げたり、繋がりを切ったりと、どちらの役割もできる中間の橋の役割をしている。カフェと繋がる時も、レンガと繋がる時も何かのイメージがすっと入ってくる1カットを私の手の中でつかむことができなかった。
普通は鉄のドアを間にはさんで写真を撮ることが多い。後ろのドアを開けて外を見てみたり、段に寄り掛かって座ったり、床に座ったりする時にドアを間にはさみ撮影をよくしている。上の写真は空間の中と外を2人の男の子が繋げてくれている。
私に与えられた条件は、背の高い子供で、2人のスマートな男の子達がシンプルな衣装を着ているということだった。
そしてこれからが、私が条件を作ることが重要だ。1人の時よりも2人の時にこの空間を極大化させることができる。1人は左側に、もう1人は同じライン上にいながら外に出てくるようにする。鉄のドアと同じ素材の椅子を後ろに配置し、色合いのあるクッションを置き写真を埋める要素を作った。次は、テクニックだ。レンズを24mmの画角を開き、被写体の近くで横フレームで撮影し、広角の歪曲現象を適切に使用した。アシスタントと呼吸を合わせ、子供たちがカメラを見るようにし「カシャッ」、お互い向きあわせたあと恥ずかしがる表情をする時に「カシャッ」、シャッターを押す瞬間、私の心の中にある言葉が外にでてくる。「来た来た来た」と。その次にカメラLCDで確認し、口元に笑みがこぼれた。それで終わりではない。カメラマン本人の満足感が極大化し、証明される最後の過程がある。まずは、モニターを行っている時、お客様が感動してくれる瞬間カメラマンの喜びは倍増する。この感じは多分写真を撮らなくなる瞬間まで継続されるのではないか?また、越谷店では、毎日スタッフ達が集まり写真を一緒に見て、一緒に感じて、一緒に評価する時間を持っている。その時間に写真を分析し良くない写真に対しては妥当な論理と共に、「ミサイル(足りない所を指摘すること)」が飛ばされ、良い写真には皆から拍手が贈られる。感情の刺激と共有、認めるということが合わさる時間だが、拍手を最後に「よくやったな」という写真に対する満足感で最後を占めるようになる。
準備と過程、そして結果。それが写真を作りだす面白さであり、人を通して人と共に表現できるということが、私が行っている仕事の魅力であり、ライフスタジオの魅力ではないだろうか。
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