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千葉フォレスト店
写真
投稿日:2012/3/27
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パパ、ママがモニター中写真を見ている間、私の腕の中に抱かれていた壮ちゃん。
個人的に子供を抱っこし、私の肩にすうっと寄りかかってくる時、とても暖かい気持ちになる。
しかし、普通はなかなかうまくはいかない。
1歳くらいの子供はまだあまりにも幼く、両親の胸と違う人の胸を簡単に区別し、慣れずに泣き出すことの方がおおいため、普通はあまり抱っこされない。抱っこしたとしても、すぐに親ではない事を知り、離れてしまう。
1時間程見知らぬ場所で、大きな人たちとせわしなく遊ぶのに、赤ちゃんの荘ちゃんはどれだけ大変だったことか。。。着替えをしないといけない、壁をつかみ立たなければいけない、遊んでくれる大人の誘導するようにいろんな所を見ないといけない。。。撮影にくる子供達を見ながら、1歳くらいの子供が公園で楽しく遊んだ後は、本当に疲れるんだろうなと思う。
だから遊ぶとしても、少しでも楽に遊べるようにしないといけない。
子供に多くのことを要求するのではなく、始めだけ機会をつくってあげ、その次からは子供に自由に遊んでもらう。
そのためには、カメラマンが子供の“過程”に対する想像と準備が必要だ。
例えば、子供をただ座らせるのではなく、膝をつかせるように座らせてあげると、その次の動作は子供がすぐにお尻をつくなり、はいはいして前に進もうとするなり、立ち上がるために何かの行動を起こすようになる。その瞬間にカメラマンが望むポーズや表情をすぐに捉え撮影をする。たくさんの子供達を撮影してきたカメラマンならば、特別な状況を除いて、大体の子供達が次にとる行動や表情をすぐに予測することができる。撮影時間が長いからといって良い写真が撮れるわけではない。慣れない場所で時間が長くたてばたつ程子供達のコンディションは悪くなり、そうなると良くない写真になるのも当然のことだ。「カメラマンの準備とコーディネーターとの呼吸、既に予想されること、そしてプラス決定的な瞬間の何か」が結合し、写真は完成される。
個人的には1歳くらいの子供達の自然で自由な姿を演出するためには、子供達に小物をあげる。そして誘導はしない。例えば、帽子をかぶせ、子供が脱ごうとする時にすぐに脱がせ、もう一度被せるのではなく、自分で脱いで置くなり、投げるなり、持っているその次の行動を待つ方だ。一瞬で脱ぎ捨てる子供もいるけれど、多くは自分から帽子を脱ぐ時に子供の自然な可愛らしい姿を見る事ができる。
髪の毛が目にかかりそうになり、ちょっと目をこする仕草、脱いで万歳する子もいれば、前から「いないないばあ」と言葉をいってあげると、帽子でまねをし楽しんだり、いろんな行動を見せてくれる。そんな瞬間の人為的ではないぎこちなくもない姿と表情を私はカメラに残す。
もう一つ例をあげれば、子供を後ろ向きに立たせて、少し時間をおくと、一人で上を見たり横を見たり前に進もうとしたり、隣にある物を触ろうとしたりといろんな動作をする。その瞬間前から名前を呼ぶと、子供はゆっくりと後ろを振り向き新しい何かの行動をする。手に何かをあげたら揺らしもし、逆にくれもし、噛みもし、いろんな行動をするが、その時に私は待っていましたとシャッターを押す。
今日私が出会った子供の荘ちゃんは、横顔がとくに可愛い男の子だった。
ありがたくも私の望む演出を簡単そうに行動してもくれたが、荘ちゃんが持つ横顔のラインがあまりにも美しい子供だったため、かわいく表現してあげたかった。
荘ちゃんが帽子を持ち、少し口を隠した写真は個人的に好きな写真である。
帽子を簡単に脱いでしまう荘ちゃんに、「いないないばあ」と遊びながら、帽子をすうっとおろし唇に当てている姿が柔らかく、繊細な感じとして私にやってきた。
誰かの呼ぶ声に好奇心のある目つきで見つめるときは、その姿自体が人形のように可愛い。そして子供だけのやわらかな姿は写真の中に大人達の心をじわじわと溶かしてくれた。
1歳くらいの子供の行動や表情は“おもしろい、可愛い、天使みたい”等の表現では表現しきれない。
私達のような大人が想像すらできない表情が確実にあるため、その何かを探しカメラに残した時、カメラマンは胸の奥深い場所にある感情の1つが流れ出す歓喜の喜びを味わうようになる。
また、それを探すために、私達は毎日悩み葛藤しながら子供達と向き合っているのではないだろうか。。。
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