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千葉フォレスト店
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forest of dulcinea Ⅲ 「写真」

投稿日:2017/9/18

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プンクトゥム...
 
「矢のように先のとがった道具で突いた時に生じる傷やその傷跡。何とも説明することのできない突発的な痛みである。分析することも、予見することもできない、それと共に同じように繰り返し感じることもできないのだ。必ず一人にだけ適用される痛み、そのプンクトゥムの存在があるため、写真はテクニックでもなく、実在でもなく、客観でもないことになる。その疎通不可能な偶然の世界が、写真の最も重要な概念であり、写真が人文学に報告される概念である。」
-イグァンス-

 
写真を撮るようになり、多くの年月が過ぎてやっと、人文学として接近した時、写真を見る私の概念が、また1つ形成される事を知るようになった。
 
幼い頃、父が撮ってくれた写真、偶然手にとったカメラ、暗室作業での楽しさ、フィルムの感光作用に対する不思議さなど、高校時代の写真サークルを始まりに入試を敢行し大学で専攻、人よりも遅い年に職業として商業写真を始めた。
 
人と写真の話をすると、今までの長い間、写真で経験してきた多くの出来事を羅列するだけで、何日も話せるくらい、多くの内容があふれ出てくる。そして、お互いの経験談を聞きながら興味と面白さを感じる。共感できるポイントが多いからだ。ところが、経験だけでは私が何故写真を好きなのか、自ら満足できる答えを得ることはできない。たくさんの写真を撮り、写真展に足を運び、写真集を見ながら作家が書いた文章を読んで理解することはできるものの、心に響かない理由は、理由を説明できる本質の部分まで深く入る事ができないないからだ。それを知るまでに長い時間がかかった。
 
商業写真を撮りながら写真に対する変化を感知する瞬間が幾度かあり、認識と同時に私の写真も共に進化した。気づきは単純だった。「これは違う」という意識が出てくる。「違う」と意識される理由もまた、単純だ。枠に囚われた写真を撮り、自らもどかしくなるとき、反復を繰り返すとき、撮った写真がきれいではないとき、写真の中から私の姿が感じられないとき…機械のような私の手つきにはっと気づかされたりする。そのように目立たずに変化していっても、その姿を自分は知っているためその影響を与えてくれる写真が面白い。
 
私を泣かせる写真がある。おばあちゃんとその隣に立っている5歳の幼い私。あの頃の記憶は数秒しかない場面だけれど、家族と離れて暮らす事になった私をおんぶしてくれたおばあちゃんの背中を覚えている。短い生を終え病院で寝たきりの姿のおばあちゃんの姿を覚えている。その短い記憶が美しく、私にとって限りない悲しみであり、守護神として成長するまで頼りにしていた。宝物1号が何かと聞かれたら、この1枚の写真だといってきた。古い写真1枚が、長い年月の間私に私の話をし決意させた。写真は私にとってそんな意味をもっている。写真の意味は各自違うだろう。どんな意味であったとしても心の中に残す事のできる媒介体の中で、私にできる事は写真だと思いながら生きてきた。
 
"ストゥディウムは経験であり、プンクトゥムは考えである。"
写真人文学の学習をしながら私の言語で整理した言葉である。
経験は、多くの人達と共有し、共感できることであるならば、考えは、自分だけの領域である。料理を一緒に食べるという事は経験であり、味に対する判断は、自分だけの考えである。考える私が撮っている写真であるため、その写真は自分自身であらざるを経ない。自分自身であるため、簡単に扱う事も、適当にやることもできず、真剣に真実を持っていなければならない。写真の本質的な役割と言える「報道」と「創作」は、結局のところ終着点が「人間」であるからだ。
 
"ドルシネアの森は幸せだ。"
[ドルシネアの森]は、インテリア真っ盛りである。工事の段階から写真を撮ってみたかった。私達は、いつもインテリアが完成してから写真を撮っていたが、その前の過程を残したかった。鋭く整理されていない時の姿そのままで。あえてごちゃごちゃした雰囲気を作らなくとも、人との交わりを探したかった。だから妹と一緒にその場所を訪れた。
 
写真を勉強を始めたときから妹はいつも私のモデルになってくれた。可愛かっただけの彼女は美しい女性に成長した。花道(平穏な過程)だけを歩いてきたわけではない彼女は、内面が成熟した大人となった。
熾烈だった姉妹の思い出が多くあるが、今はお互いを気遣い大切な友達となった。「これからも今と同じ気持ちで年をとっていったらいいな。健康な姿で美しく生きていこう。」という言葉を繰り返し思いながらファインダーに写る彼女を見つめた。「素敵な良い人として成長してくれてありがとう。」と思いながらシャッターを押した。今日という日が来るまで、お互い失望しなかったことに感謝し、堂々とした人生をこれからも送っていく事を願いながら撮影を終えた。まだ端正な姿に整理されてはいないけれど、私の愛する[ドルシネアの森]と彼女があまりにも似合っていたため幸せだった。


 










 

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