Staff Blog


千葉フォレスト店
scrollable

Cinema「いま、会いにゆきます」

投稿日:2017/7/20

5506 1

梅雨があっという間に過ぎ去り、体にこたえるほど蒸し暑い最近、もう一度見たくなる映画がある。
「いま、会いにゆきます」



写真が好きで、共感した日本映画がいくつかある。
「Love Letter、恋愛写真、四月物語、鉄道員」、そして「いま、会いにゆきます」。
20代の頃に出会った、この映画達は私と感性が似ているからではなく、私と異なるものを感じ、好きだった。映画の全体イメージが柔らかく、静かでありながら生き生きとしていて新鮮で。ジャンルはドラマであるが、韓国映画とは違い、激しくないストーリーが好きだった。しかし月日が過ぎ、今もう一度考えてみると、日本で暮らしている私の姿に似ていているような気がする。この場所での生活が自分に合っているのを見れば、すでに私の中にそんな感性があって、そして共感していたのかも知れない。



「いま、会いにゆきます」は静かでありながら、展開が速い映画だ。澪(みお)が亡くなり、巧(たくみ)と佑司(ゆうじ)だけが残った現実が、映画のはじめの部分で説明される。佑司が回想する過去と、澪と巧が回想する過去がこの映画のすべてであるということが出来る。「この森ではじまる」という佑司の台詞とともに展開される「雨の森」は「幻想のはじまり」であり、その幻想の主人公は「澪」である。そして幻想を解く鍵は澪の「ダイアリー」になる。巧が澪に聞かせた話は過去から現在まで、そのままの現実である。しかし澪のダイアリーにある澪の話は幻想でありながらも過去と現実が作り出した真実でもある。学生時代、巧を片想いしていた澪の記録、交通事故の後、意識不明の状態で経験した自分の未来についての記録、自分が死ぬだろうということを知りながらも、巧や佑司との未来を選択する過程が詰まっている澪のダイアリーが真実になり映画への理解を促す。
 
"恋しさの扉を開けてもう一度戻ってきました。"
"少しずつあなたに慣れていきたい
もう一度好きになっていきたいの…"
"待っていてください"
"たった一人の人だけへの愛"
"いま、会いにゆきます"
"アーカイブ星"
"ひまわり"






「いま、会いにゆきます」の愛は水彩画のような感じである。絵の具を水に溶くと、淡い色になるように、はずかしくて言葉に出来ない初恋の感情は静かで切ない。水彩画は淡い色に淡い色を重ねていきながら濃い色を作る。澪と巧の愛は何回別れたとしても、もう一度出会うしかない運命として、深く濃い愛を感じさせる。あまりにも深くて、他の愛に出会うことが出来ないように…
そんな愛の感情を感じさせてくれるのは、やはり主人公の竹内結子である。
あまりにも綺麗すぎるほどの線を持つ彼女は、愛されるしかない魅力を持ち、この映画を染めていく。か弱くて白い肌は守ってあげたい保護本能を引き起こし、静かに座って旦那の話を聞きながら、すっと顔をあげ彼を見つめる目には優しさと愛嬌がある。
何食わぬように見えるが、巧を追いかけ迷ってしまう時も、自分の未来と短い命を知りながら愛するたった一人を選択しその人に向かっていく情熱は大粒の涙を流れさせる。
 
涙はそこでは止まらない。
男女の愛だけでなく、家族愛というメッセージが強く表されている。子供の佑司は落ち着いているが、お母さんを恋しがる姿や体の弱いお父さんを世話する感心さは佑司の台詞を聞くたびに、恥ずかしいが「家族」という単語が浮かび、とめどなく涙を流した。
あまりにも明るくて、綺麗で、涙が出る。

一人だけを純粋にそして一途に愛する巧の深い愛、世話と献身で愛し続ける澪の深い愛、親に対する佑司の深い愛…三人の愛は水彩画のように深くて美しい…
 
目が浄化されて、心にあった汚い水が洗われて流されていくような映画「いま、会いにゆきます」はどこかに置いて、またこれから先もずっと、取り出しては見たい、そして私に純粋な感情が必要な時に見たくなる映画である。


 

この記事をシェアする

美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

撮影のご予約はこちらから

スタジオ予約

お役立ち情報をお送りします

新規会員登録

Official SNS

  • Instagram
  • sns
  • Instagram
  • Instagram
/