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千葉フォレスト店
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forest of dulcinea Ⅱ

投稿日:2017/6/27

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-見慣れた日常を最も見慣れない目で見つめる-
 
 
 
宗教と神的なものは芸術作品にどのような魔的な力を付与するため作品は、身近に接することが出来ず、微妙な雰囲気の中で神秘的な姿を現しますが、同時にとても親しみやすく感じさせる力を、私達は持っています。
-ヴァルター・ベンヤミン(Waiter Benjamin)
 
 
私が生きているこの時代、アウラの移動は芸術に対しての意識変化ということが出来ます。
特別だから特別なものなのではなく、普通のものを特別につくることを「写真」が証明出来るようになりました。存在する事物が写真を撮る主体を通して、解析されていくということでしょう。すなわち、アウラの主体は所有者ではなく、普遍的なすべての人間であるということです。そうであるならば、私達の課題は簡単に規定することが出来るように思います。普遍的な人間の目で見つめる事物は写真家の主体的な活動に応じて、特別な写真として解析され、自分だけの特別な写真を世の中に出していかなければなりません。それこそが今、この時代にアウラを持った写真として芸術に到達するのです。
 
-見慣れた日常を最も見慣れない目で見つめる-
 
ベンヤミンは「疎外とは見慣れないようにすること」と言います。
アーケードの中の華やかな物たちを、自分の体にかけて、鏡を見ると王子様がすぐに迎えに来てくれるようなシンデレラ童話のお姫様になったような気がします。しかし付けている物はすべて自分のものもなく、現実には王子様もおらず、お姫様は私の夢の中にいる幻に過ぎません。「疎外」見慣れないようにすることは「距離を置くこと」と同じです。華やかな物たちを自分と離して、見つめてみると、関係がなかったということに気がつくようになります。物質は物質であるだけで、自分が身につけて所有しているとは言え、その物自体には自分がなることが出来ないからです。息子、娘が成人し、思慮分別がつくようになる頃には、親に対して、ただただ申し訳なさを口にします。あれほど私が言うことを聞かず、反抗的になり、怒りをぶつけてきた両親も、誰かの子供であり、ひとつの名前を持った人であり、女性であり、男性であるためです。子供と親の間を少し離して見つめてみると、親だからと言って子供の甘えをすべて受け止める義務はありません。子供であれ、大人であれ、みな同じ人間であるからです。私の家は当然のように自分のものだと考えること、
親は当たり前のように犠牲にならなければいけないこと、顧客と従業員の関係、社長と職員の関係、先輩と後輩の関係、男と女の関係、恵比寿と越谷の関係など、見慣れないようにすることは「距離を置いて見つめること、当たり前のことを当たり前のこととして見ないこと、別の観点から見つめること、客観的に見ること、固定観念を崩すこと、本質で考えること」と言うことが出来ます。
 
-自分写真の特色は意識と実践の相互作用によって生産される-
 
時代を「今」に限定し、写真を「自分の写真」に限定して、現実的に考えて見ると、存在する美しさを、それ以上に美しく表現することよりも、自分だけの色を持った写真として作ることが写真を上手く撮るということだと考えます。被写体を撮影者である私の世界に迎え入れるためには自分の世界についての主題が必ず必要になり、主題を被写体と統合させていく技術も求められます。「見慣れないように見る意識、被写体と撮影者の関係から始まる主題の作成」は自分の写真の軌道を立てるにおいての基準になります。


「ドルシネア」の写真は「本質の中に」入らなければなりません。
事物を本質の観点から見つめるためには、今までの固定観念を壊し、目の前にかかっているフィルターを一つずつはいでいかなければなりません。そしてさまざまな角度から被写体を見つめ、考えていかなければなりません。例えば、撮影者が最も多くもっている固定観念は被写体を指定の場所に固定させることです。被写体を固定させる理由は伝統に由来しています。フィルムで撮影していた時期にはシャッターを沢山押すことが出来ず、デジタルカメラのように露出を確認しながら撮影することが出来ませんでした。そのため距離、角度、構図そして被写体までの位置を決めて、撮影したことが固定される理由でありました。フィルムの価格が高いため、経済的な問題を考慮せずにはいれませんでした。認識においては、日常の姿よりも、誕生日や婚約式、結婚式などを記念するための撮影として写真館を利用していました。今はプロフィール写真に対して、人々が持つ認識も変化し、数多くの技術のメカニズムが登場し、「写真市場」にも変化と発展が繰り返されています。スタジオのインテリアとし被写体の範囲も広がり、多様化してきています。写真のコンセプトを決めることも、それだけを行う専門職がうまれるほどに人間の創意力が開発されてきています。写真の本質の中に入ると、今私が知っていることよりも、もっと格好良く、魅力的な写真の根があるように思えてなりません。「ドルシネア」の写真は「写真を愛する人たちが作る、真の写真の世界」とならなければなりません。
 

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人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
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