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人が人を撮る

投稿日:2022/8/6

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Photo&Write by Reiri

Coordi by Oharu

@AOYAMA

 

私たちが撮る写真は、人の感情の琴線に触れるものでありたいと思う。

親が子どもを想う気持ちであったり、被写体自身が自分で気付いていない新たな自分の美しさと出会う瞬間の自己認識のポジティブな拡張であったり、そういうこと。

そして、そういう感情の琴線に触れるものを撮るには、撮影者自身がそういう情緒や感情を備えた『人間』でなければならない。人が人を、人として美しく表現しようとするから、人の感情が動く瞬間が写真として残る。

笑顔に反応して自動でシャッターを切るようにプログラムされた機械みたいな、そういうものでは撮れないようなものを、私たちは撮るのだ。

 

しかし、人の感情というのは必ずしも良い時ばかりではない。喜怒哀楽は勿論のこと、そんな単純なカテゴリに振り分けられないような様々な揺らぎで不安定になることもある。人の心は複雑で、繊細な機微に溢れているものだから。

人の感情の琴線に触れるような写真を撮りたいと願い、撮影者としての人間的な情緒や感情を大切にしたいところではあるけれど、たまに不安定になるそれに振り回されてしまう、というのは人間の弱さだ。もっとも、感情が溢れているのは人間的で素敵だと個人的には思う。しかし人間とは社会的な動物でもあるので、自分本位に感情的なのはむしろ社会性という面においては人間らしくないのかも知れない。感情的に揺らぎ、弱さが露呈し、不安定になる時に、それは人間だから仕方ないと正当化するのは多分ちょっと違う。少なくとも撮影の現場においては、私たちはプロとして、人の感情に触れるような写真を残すという使命を持って写真を撮っているのだから。

 

だから、技術がいる。

情緒的で感情的な人間らしさをより良く発揮し、時にその人間らしさ故の不安定さをカバーする為に、技術が必要なのだと思う。

どの光をどのくらい使うか、インテリアのどこからどこまで入れるのか、どんなイメージで、どんなテーマで、その被写体の素敵なところを演出するのか。

自分の感情は相手のどんなところに反応し、光と空間とカメラの機能をどのように用いればそれがより良く写真に表れるのか。違和感やミスマッチはないか。全てはその為にあつらえたかの様に整っているか。

 

人が人を人として美しく撮るには情緒や感情が不可欠で、それを写真に実現するには技術がいる。不安定さをカバーし、人としての豊かな感情を写真の中に込められるもの。

極めて主観的で感情的な私が撮ったこの写真は、少しだけそれに近付けたような気がします。

 

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