Photogenic
青山店
attempt,
投稿日:2022/4/20
2005 0
Photo&Write by Reiri
Coordi by Oharu
@AOYAMA
技術がなければ、伝えたいものは伝わらない。
そして、伝えたいものがなければ、表現できるものはない。
シンプルでわかりやすいそれを、シビアに感じてしまうのは、自分がまだ上辺だけ取り繕っていたからなのかも知れない。
自分の不得手とする部分には、敢えてあまり意識を向けないようにしていた。人は一長一短、そこを補える長所が自分には(多分)あったから。でも、時折「それで良いのか?」と思う。完璧にはなれなくても、もう少しできるようになった方が良いのではないかと。私にとっては、それが『写真』だった。
お客様に喜んでいただけるもの、目の前の子どもたちの可愛さや魅力を記録した写真、楽しい撮影、といったものは、多分私は提供できる。しかし、それにかまけて『技術的に写真の質を上げること』を疎かにしているのではないか?と、いつも何処かで、思っていた。
そう思いながらも、言い訳がましく『子どもたちが自由に動ける楽しい撮影』と『撮影者の技術的な意図を反映させて写真を撮ること』はイコールになり辛い、とも思っていた。だがそれは、『自分に技術がないからイコールにできない』という表現が正しい。そして、私自身が『子どもたちにとって楽しい撮影とは自由に動けること』だと思い込んでいて、そう撮ることが子どもたちにとっても、私にとっても、楽しい、と言うよりラクだから、そうしているということなのだと思う。書きながら、胸が痛い……。自分の不得手に向き合うとは、こういうことなのか……。
もちろん、技術的な意図を反映させようとするあまり、子どもたちの動きを制限し過ぎることもまた違う。それで自分の伝えたいものが表現できるのか、という話になってくる。
私が撮っているのはアートやファッションモデルの撮影ではない。私は商業写真館のカメラマンであり、お客様が愛する家族の写真を撮りたいと思ってくださるからこそ撮らせてもらえているのであり、その期待に沿った写真を提供する義務がある。この『義務』は、商業写真館として最低限のクオリティのことでしかないから、ライフスタジオの撮影者たるものお客様の期待を上回る写真をどれだけ残すことができるか、という部分に心血を注いでいくべきだと思う。
そして私は、ここでカメラを持つ以上、被写体である子どもたちの美しさを表現し、その写真を見た本人やその人を大切に想うひとたちにとって幸せな気持ちになれるものを残したい。
あなたの為の、あなたの美しさを表現した写真。そういうものを、私は撮りたい。
……と、なると、それを表現する為に色々策を巡らせたくなる。なるのだが、過剰な演出意図によって被写体の自由の余地を奪ってしまっては、私の伝えたい『あなたの美しさ』はきっと雲隠れしてしまう。そのひと自身が、撮影という空間においてその人らしさを発揮できる自由の余地がなければ、それは『やらされてる感』ばかり募る上辺だけ取り繕われた写真になってしまう。
それを避けたくて、私は被写体の自由な動きを許容してきた。しかし当然、光や構図、フレーミングは乱れ、1枚の『写真』としての質は上がらない。この『質』の部分を整える為に必要なのが、技術だ。私が最も苦手としてきたもの。でも、これ以上目を背けてはいられないもの。
技術がなければ、伝えたいものは伝わらない。
そして、伝えたいものがなければ、表現できるものはない。
伝えたいものは、ある。だから、それをきちんと伝えていく為に、表現する為に、被写体の自由と撮影者の意図がどちらも発揮されている、『ちゃんと美しい写真』を撮る技術が必要だ。
それをしっかりと身に付ければ、きっと今よりももっと素敵な写真を撮れるようになるのではないか?
*
この写真は、『ちゃんと美しい写真』になった。
青山店の中で、いちばん自然光が当たりやすいポイントでの写真。光は良い写真の為には必須の条件だ。晴天の日には強過ぎるくらいの光が降り注ぐこの場所で、色んなパターンで撮影を繰り返しながら把握した、光。彼女の雰囲気には、この日の曇天を透かす、ディフューズされた自然光の感じがベストだった。
ある程度背景を入れ込んで、その空間と被写体を繋ぐストーリー性を持たせることも、美しさの表現技術として必要なもの(被写体に集中するあまり、クローズアップで被写体以外の要素のない写真を量産してしまうのは私の悪い癖だ)。フレーミングの中で、被写体と背景の比率を4:6くらいに割り振る。全体の割合では被写体は少し小さめだが、それでもまず被写体の存在感に目がいく写真になっているのは、いちばん明るい光が被写体のいちばん魅力的なところにきちんと当たっているから。
空間の奥行きは明暗差でよく表れているが、光の当たらない奥まった部分が暗く落ち過ぎないように意識している。淡い前ボケもその為のひとつの効果。暗い場所に重ねてこそ、前ボケの淡さ、柔さが引き立って全体の印象を作る。
トリミングラインは最後まで悩んだ。膝を抱えるように、腕を膝の上に持ってきてもらえれば収まりが良いかと思ったが、この時彼女は自分のつま先をいじっていて、あまりこちらの指示は聞いていなかった。だが、それ故に彼女の目線の先には彼女の意思があり、『やらされている感』を軽減した。その代わり、トリミングが気にならないように前ボケを被せた。
結果的に、それで良かった。私の意図の全てを反映させることが技術的に良い写真になるのではなく、『被写体の自由の余地から発揮されるそのひとらしさ、その魅力を、美しく表現しようとする私の意図を形にしていくもの』が技術だ。そして、その技術が適切に適応され、その美しさがちゃんと見る者に伝わるように整えられているもの、が、『技術的に質の良い写真』と言える。
この写真の、被写体の彼女が如何に可愛いひとだったかは、ひとまず今は置いておく。
重要なのは、写真だけでそれが伝わっているかどうかだ。私の撮った写真が、彼女の美しさを伝えるものでなければならない。
彼女はとても、素敵なひとだった。
その魅力の一端でも、この写真で伝えられていたら良いなと思う。
素敵な写真を撮らせてもらった、素敵な彼女との出会いに感謝。
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