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青山店
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投稿日:2021/6/20     更新日:2021/6/20
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Photo&Write by Reiri
Coordi by Natsuko
@AOYAMA
そこに写るもの。
被写体は、あなた。
背景は白。光は逆光。
前ボケのひとつもない、シンプルな構成。
だから、そこに写る『あなた』がすべて。
あなたを構成する、そのひとつひとつの要素が、この写真の全て。
撮影において、被写体を把握することは重要なプロセスです。
それは、目に見える物理的特徴のみならず、内面的な部分のことも含みます。その被写体が今どんな状態で、何を感じ、何を欲し、どうすればその人らしい状態を発揮することができるのか、を、撮影者は把握しなければなりません。
勿論それは、撮影者という『わたし』の主観的な見方ではあるので、その被写体自身を完璧に、正確に把握できるということではないのですが(笑)
少なくとも、自分の主観の中だけであっても、それをある程度把握して、仮定して、それを起点に撮影をします。そうでなければ、カメラの設定ひとつとっても決める根拠がなくなります。
『わたし』という主観を持った撮影者が、目の前の被写体である『あなた』をどう撮るのか。
『あなた』を知ろうとしなければ、それを決めることはできません。
彼の場合。
ママさんに抱っこされて、上半身をぺったりと預ける様子は、少し眠そうにも見えました。
お姉ちゃんに抱っこされてぶんぶん振り回されてる分には、笑ってる。どうやら激し目なのも嫌いではないらしい。
めちゃくちゃはしゃぐ訳ではないけど、ふとしたタイミングで笑顔を覗かせてくれる、彼のペースもある。こちらからの干渉で怯んだり、笑ったり。彼のそんな素直な反応を確かめながら、私たち撮影者は自分たちの次の動きを決めていきます。
赤ちゃんの撮影では、途中でコンディションが崩れていくことはよくあります。彼もまた、そうでした。
そもそも赤ちゃん、というひとたちは、自らの欲求に素直です。『おなかすいた』や『ねむい』という感覚を抱かせてしまったら、残された時間はそう多くはありません。その空腹感や眠気を上回るくらいの好奇心への刺激や、激しい動きや、何か楽しいことを提供しなければ、彼らの『泣く』という意思表示を回避することは不可能です。勿論、私もなっちゃんも、思いつく限りのあらゆる『楽しいこと』を提供したりはしましたが、やがて彼も泣きました。
そして私は、彼の『泣く』という意思表示を受け入れて、彼の状態の把握に努めます。
ちょっと眠そうにも見えた、その感じはもはや確信で、どうやら、眠い。『眠気』という不快感に苛まれ、不安になっている様子の赤ちゃんは、ママさんに追い縋っては泣く、というのを繰り返していました。
眠いのは、仕方ない。じゃあせめて、少し安心してもらおうか。彼の眠気を吹き飛ばす程の大興奮スペクタクルは提供できないけれど、彼がいちばん安心できるママの体温を感じることができれば、不快な眠気も不安も少し忘れられるんじゃないだろうか。
ママさんのお膝に彼を抱っこしてもらい、私たち撮影者という外部刺激は彼に対して少し距離を取りました。浮き足立っていた撮影空間が少しの落ち着きを取り戻し、徐々に高まる集中。望遠レンズの先、ママさんの膝の上で、彼は泣き止んで、涙で見えなかった周囲の様子を認識していきます。
ママの膝からは決して降りないけれど、それでも少し好奇心が刺激されたのか、彼がふと手を伸ばしました。その瞬間の、横顔。
まんまるいおでことほっぺたのライン。涙で濡れた睫毛。尖る上唇は赤ちゃんらしい集中力、の表れ。
あ、かわいい、と思う、赤ちゃんらしさが抽出されたその横顔は、クリーンな白い空間のシンプルで透明な逆光の中で、その存在感を発揮しました。
思う存分に。
『あなた』がすべて。
これは、そういう写真です。
赤ちゃんである『あなた』を『わたし』が撮る時、『あなたらしさ』が発揮されるのはこういう瞬間だと思うのです。
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