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『 母の光 』
投稿日:2017/4/14
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No.24 Life studio Shonan
Photo by Masashi Kuroki
Cordi by Mayuko Hara
私はまだ何も分からなかった。
いや、分かって泣いていたのかもしれない。
ただ、あの時のことを覚えていないだけなんだろう。
彼女はずっと泣いていました。
彼女の泣いている理由など私には分かるわけも無く、そもそも私にとってその「泣いている理由」は重要な事ではありませんでした。
だから、無理に泣き止ませるような事も考えませんでした。
こう言ってしまうと、なんて心の無い人!と感じられてしまうかもしれませんが、私がこう思ったのは目の前に「母に抱かれた子の姿」があったからに他なりません。
なぜなら彼女が泣き続けていたからこそ母の暖かい腕の中にいたのですから。
とは言っても、ここが写真館である以上、泣いている表情よりも笑っている表情が求められる事であり、ご家族が求めている事でもあります。
ですが、それは「主体」を変えることで一変します。
まず、目の前にいる子どもを撮っている場合、主体は必然的にその「子ども」になりその子が泣いていれば主体はおのずと「泣いている子」になります。
ところが、そこに泣いている子を抱きしめる母が入ることで「新たな主体」が登場します。
それは、母ではなく「温度」です。
その母と子の間に生まれた「温度」を主体とすればこの状況の捉え方は一変するのではないかと思います。
私たちライフスタジオだからこそ残せる写真、もしくは残すべき写真とは「先々に繋がる家族の今」であり「人の気持ちをも写す事」だと私は考えます。
そこで、私はこの「母から子への温度」をいかにしていつか思い出せるような記憶という写真として残せるかを模索しました。
まず、私が常日頃から重要視している「色味」です。
この写真の主体は「温度」なので、あたかもその写真に触れたら暖かいかと思わせるようにライトを選択していきました。
はじめに「暖色」であるタングステンの光をふたりの左側の手前と奥に一灯ずつ点けました。
手前の一灯で彼女の輪郭(エッジ)と肌の立体感を。
奥の一灯が回り込むことで生まれる暖かみを表現しました。
そして手前の一灯と重なるように差し込む白い蛍光灯の光。
これは彼女と母の間に差し込み、全てを中和させ美しさを増す役割をしています。
さらにはこの白い光が母の背中にまで回り込み、母の存在を強く主張させない事に一役買っています。
光の当たり方としては、被写体に対しては逆光、カメラに対しては側光になります。
写真の重心としては、親指をくわえる彼女の向かって左頬あたりに集中させるため被写界深度の深めのレンズを選択します。
これにより、同時に母の背中をより柔らかいものに感じさせます。
そしてフレーミングですが、母の女性らしさと子を支える指先、母に抱かれ親指を噛み少し安心した表情を見せ始めた子の全ての要素を何一つ欠けることのないよう一つの枠に納めます。
フレーミングやアングルは空間がある限り無数に存在するので、「ここしかない」と思えることはそう多くはありません。
ですが、光や位置、その他多くの事をその場その瞬間に分析することでそのフレーミングは決定的なものになると思います。
本来の写真分析とは後ではなくその瞬間に行なわれていなければならないのです。
そして、撮影者、コーディネーターは、感情の趣くままに撮るのでは成らず、その大切な瞬間を逃してはなりません。
被写体やその状況に意識の全てを持っていかれるのではなく、被写体と写真とを完全に分けて写真と闘う必要があるのです。
このあと彼女は笑顔を見せてくれました。
その笑顔は正真正銘の安堵の笑顔であり、泣いていた今があったからこそ暖かい温度を写すことも出来ました。
満面の笑みに匹敵するほどの泣き顔も残す事が出来ました。
あの時、私は何で泣いていたのか分かりません。
でもこの「温度」は確かに覚えているような気がします。
あたたかい「母の光」に包まれて。
Photo by Masashi Kuroki
Cordi by Mayuko Hara
私はまだ何も分からなかった。
いや、分かって泣いていたのかもしれない。
ただ、あの時のことを覚えていないだけなんだろう。
彼女はずっと泣いていました。
彼女の泣いている理由など私には分かるわけも無く、そもそも私にとってその「泣いている理由」は重要な事ではありませんでした。
だから、無理に泣き止ませるような事も考えませんでした。
こう言ってしまうと、なんて心の無い人!と感じられてしまうかもしれませんが、私がこう思ったのは目の前に「母に抱かれた子の姿」があったからに他なりません。
なぜなら彼女が泣き続けていたからこそ母の暖かい腕の中にいたのですから。
とは言っても、ここが写真館である以上、泣いている表情よりも笑っている表情が求められる事であり、ご家族が求めている事でもあります。
ですが、それは「主体」を変えることで一変します。
まず、目の前にいる子どもを撮っている場合、主体は必然的にその「子ども」になりその子が泣いていれば主体はおのずと「泣いている子」になります。
ところが、そこに泣いている子を抱きしめる母が入ることで「新たな主体」が登場します。
それは、母ではなく「温度」です。
その母と子の間に生まれた「温度」を主体とすればこの状況の捉え方は一変するのではないかと思います。
私たちライフスタジオだからこそ残せる写真、もしくは残すべき写真とは「先々に繋がる家族の今」であり「人の気持ちをも写す事」だと私は考えます。
そこで、私はこの「母から子への温度」をいかにしていつか思い出せるような記憶という写真として残せるかを模索しました。
まず、私が常日頃から重要視している「色味」です。
この写真の主体は「温度」なので、あたかもその写真に触れたら暖かいかと思わせるようにライトを選択していきました。
はじめに「暖色」であるタングステンの光をふたりの左側の手前と奥に一灯ずつ点けました。
手前の一灯で彼女の輪郭(エッジ)と肌の立体感を。
奥の一灯が回り込むことで生まれる暖かみを表現しました。
そして手前の一灯と重なるように差し込む白い蛍光灯の光。
これは彼女と母の間に差し込み、全てを中和させ美しさを増す役割をしています。
さらにはこの白い光が母の背中にまで回り込み、母の存在を強く主張させない事に一役買っています。
光の当たり方としては、被写体に対しては逆光、カメラに対しては側光になります。
写真の重心としては、親指をくわえる彼女の向かって左頬あたりに集中させるため被写界深度の深めのレンズを選択します。
これにより、同時に母の背中をより柔らかいものに感じさせます。
そしてフレーミングですが、母の女性らしさと子を支える指先、母に抱かれ親指を噛み少し安心した表情を見せ始めた子の全ての要素を何一つ欠けることのないよう一つの枠に納めます。
フレーミングやアングルは空間がある限り無数に存在するので、「ここしかない」と思えることはそう多くはありません。
ですが、光や位置、その他多くの事をその場その瞬間に分析することでそのフレーミングは決定的なものになると思います。
本来の写真分析とは後ではなくその瞬間に行なわれていなければならないのです。
そして、撮影者、コーディネーターは、感情の趣くままに撮るのでは成らず、その大切な瞬間を逃してはなりません。
被写体やその状況に意識の全てを持っていかれるのではなく、被写体と写真とを完全に分けて写真と闘う必要があるのです。
このあと彼女は笑顔を見せてくれました。
その笑顔は正真正銘の安堵の笑顔であり、泣いていた今があったからこそ暖かい温度を写すことも出来ました。
満面の笑みに匹敵するほどの泣き顔も残す事が出来ました。
あの時、私は何で泣いていたのか分かりません。
でもこの「温度」は確かに覚えているような気がします。
あたたかい「母の光」に包まれて。
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