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新横浜店
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いつかまたここで

投稿日:2020/4/20

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Photo&Write by Reiri Kuroki

Coordi by Misaki Nakagawa

 

@Yokohama Aoba

 

 

 

例えばその家族写真を、60年後に見返すことを想像してみる。

 

2080年には、古ぼけた写真に写る小さな男の子はすっかり老齢の男性になっていて、写真の自分と同じくらいの歳のお孫さんなんかに、

「これが、おじいちゃんが小さかった頃の写真だよ」とその写真を見せていたりするだろうか。

「これがおじいちゃんのお兄さんたち。両端はお父さんとお母さん。この時は、世界中で病気が流行して、大変だったんだけどね、……」

 

……60年は大袈裟でしょうか。

じゃあ、5年後でも3年後でも良い。来年でも良い。

今ではない、少し先の、あるいはすごく先の未来で、

「ああ、この時は大変だったよね」

「でもこうして、笑い合って乗り越えられたよね」……

そんな会話が交わされる日の為に、私は写真を撮っていたい。

 

 

 

家族写真を撮る時は、いつか遠い未来での家族の団欒で、みんながその写真を囲んで思い出を振り返る、そんな時間をイメージして撮影に臨みます。

『写真』は、瞬間の記録です。通り過ぎて行ってしまうことに逆らえない『時間』という流れの中で、その一瞬を止め置く記録。

記録、という点で見れば、最近は動画もすっかり身近な存在になっているので、写真はそれと比べると圧倒的に情報量は少ないかも知れません。しかし、見ているだけで全てがどどどーーーっと流れ込んでくる『動画』という媒体より、1枚の静止画によってひとそれぞれの内面から呼び起こされる記憶があったり、刺激される感情があったりする、『写真』という媒体が好きです。

静止画1枚。その1枚が持つ記録的な情報量は少ないけれど、それをきっかけに呼び起こされるひとの記憶や感情は、多彩です。『ひと』の写真は、被写体本人だけに止まらず、それを見るひとの記憶や感情にリンクして、共感という影響を及ぼします。

『記憶の記録』、それが私たちが撮る写真の役割ではないでしょうか?

ひとの記憶はあやふやで、忘れることが常で、変化したり美化されたりもするし、主観的なものです。見る人が10人いれば、10人それぞれに様々な想いを抱くかも知れません。色んなひとの色んな主観があって、思い出があって、記憶があって、感情があるのだから、そういうもので良いのだけど、それでも、その中で普遍的なものがあります。

誰かの記憶、誰かの感情、過ぎ去ってしまう時間のほんの一瞬、家族という繋がり、……ひとが生きていく、その時間。生きている、その瞬間。

写真が記録できるのは、そういうもののごくわずかな一部分でしかありませんが、普遍的な価値のあるものはひとの心に、想いに、感情に依る部分が大きいので、『わずかな一部分』をきっかけにひとの心が揺れて、呼び起こされて、感じて……、というプロセスこそが重要です。

『ひとの写真』が持つ役割は、そのプロセスを起動すること。

静止画1枚。その1枚に、記憶や感情や想いを込めて、過ぎ去ってしまう一瞬を惜しみながら、シャッターを切ります。

今ではない、いつかの為に。

 

だから私は、ライフスタジオで撮る家族写真が好きです。

 

 

 

この春、世界的に新型肺炎が蔓延し、世界は少し表情を変えました。

この写真を撮った時は3月でしたが、確かにその影響を感じつつある時期でした。

事前に、撮影に来るか検討している、というご相談も受けていて、勿論無理はしないで欲しくて、それでも来ていただけるのなら、こんな時だからこそ、めちゃくちゃ楽しんでもらおう、と思っていました。

分析する程の技術的なことは、率直に言ってあんまりないです。ただ白い背景で、シンプルに構成したのは、何よりご家族にとっての『記憶の記録』として、いつか想起されるその日の為に、余計な構成要素を入れたくなかったからです。

 

今、この時。この瞬間。家族みんなで笑い合えていること。

そのことが何よりも大切で、美しいと私は思います。

 

 

今、ライフスタジオは、営業を自粛して臨時休業という措置を取っています。

世界的に蔓延する新型肺炎の感染拡大を阻止する為には、社会を構成するいち企業として、正しい判断だったと思っています。

『写真撮影』は生活に必需なものではありません。小さな赤ちゃんから妊婦さん、おじいちゃん、おばあちゃんまで来ていただけるこの空間で、安全を確保する為に今私たちができることは、『営業自粛』という選択以外にありませんでした。

それでも、個人的には、『今、このとき』の価値を、過ぎ去ってしまう時間を取り戻せないことを知っているからこそ、葛藤もあります。

こんな時だからこそ、笑い合っている写真を残したい。そう思ってくれているひとがいるのなら、応じたい。写真を生業とする者の端くれとして、そう願わずにはいられない。

しかし、今は、私たちは待つべきなのでしょう。

『写真撮影』は生活に必需なものではありません。でも、ひとに求めてもらえるものです。社会に貢献できる価値のあるものです。

 

今はカメラを持たずに、賑やかな声が溢れるあの撮影空間に思いを馳せています。

そしてまた、あの空間に戻ったら、ありったけの記憶や感情や想いを込めて、過ぎ去ってしまう一瞬を惜しみながら、シャッターを切りましょう。

 

いつかの未来で、このときを笑って振り返れる、そんな日の為に。

 

 

 

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

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