Photogenic


新横浜店
scrollable

shinyoko photo 90

投稿日:2016/6/24

1223 0


「Documentary,」


Documentary,
虚構を用いず、実際のままを記録すること。
 
新生児の撮影をしながら、個人的に『Documentary』というテーマを設けていました。
ライフスタジオで、私たちが日々撮影する様々なひとの姿、その記録は、広義では『Documentary』なのかもしれません。しかし、そこは写真を撮る為に設えた非日常の空間であり、そこを初めて訪れる人に、家族に、まるで自分たちの家で寛いでいるかのように『振る舞ってもらう』こと、あるいはそう見えるように演出すること、それは不思議なリアルと虚構の混在を生みます。
 
ライフスタジオでよく言われる、『自然な写真』。陽のあたる部屋(のように感じさせる場所)で、家族が、あるいは誰かが、『その人らしい』、『その家族らしい』と感じられる佇まいで、そこにいる。カメラの存在を意識させない、その姿や表情や仕草、世界観の調和、そういったものを形容するのに、『自然な写真』という表現が用いられるのではないでしょうか。
しかし、ただその人を、家族を、その非日常の空間にポンと置いて『自然な感じでいてください、カメラのことは忘れてください』と言ったところで、『自然な感じ』になる訳ではないので、撮影者は自分という存在を媒介として『被写体』という存在と非日常の空間を調和させ、世界観を構築します。その方法として、撮影者が被写体と関係性を築き、相互に一定の共通した認識や共感を持って『被写体を動かす』ことを試みます。そうして撮影される写真は、本来であれば『写真を撮る為に設えた非日常の空間にいる』という不自然な状況を、まるでその人が『自分の部屋で、寛いだ表情を見せる瞬間』という表現にすることもできるのです。
その『人』という存在はリアルで、その人とその空間との関係性は虚構で、撮影者とその人の関係性はリアルです。私たちが撮影する写真は、多くの場合、そんなリアルと虚構を織り交ぜてイメージを作り上げ、ストーリーを構成しているように思います。
 
しかし、新横浜店で新生児の撮影をしながら、そういった『撮影者が媒介となる被写体と空間との調和』に難しさを感じていました。
新生児という被写体は、『自然な感じでいてください。カメラのことは忘れてください』と言うまでもなく、最初からそんなことに意識を向けません。彼らの知覚はまだ曖昧で、無論言葉によるコミュニケーションが図れる訳でもなく、感覚的に不快か、そうでないかを判断し、その意思表示はほぼ泣くことでのみ発せられ、1日の多くの時間を眠るか泣くかで過ごします。
彼らは、限りなく純粋に、自らの存在をあるがままそこに置くことができる。
カメラの前で緊張することもなく、照れたりすることもなく、ただ不快であれば泣き、眠ければ眠る。母の手を求めて泣く。その姿は、こんなにも小さく、か細く、それでいてあまりにも純粋で、鮮烈な生命力を放っている。
言ってしまえば、『新生児』という被写体は、究極的に『自然な状態』であるのではないでしょうか。そこがどんな場所であろうと、どんな空間であろうと、感覚的な不快感さえなければ、ほぼ『ありのまま』でいられる。
新生児の撮影をしながら、パパやママとそのBabyの小ささの対比や、家族の関係性、Babyの可愛らしさ、そういったものにアンテナを張りながら撮影をしてきました。それは、新生児に対してというよりは、Babyという存在を中心とした家族の姿であり、パパママに対して自らを媒介として関係性を構築し、その空間を構成し、表現することが可能だったからです。
しかし、相手がただひとりの『新生児』であった場合、自分がどれほどに向き合おうとも、『被写体と空間との調和』には限界を感じました。そこで、敢えて『ライフスタジオっぽくない写真』を求めてみました。
前述の通り、ライフスタジオで言われがちな『自然な写真』が、『本来なら不自然な状況にありながら、カメラの存在を意識させない、その姿や表情や仕草がその人らしいと感じられ、世界観が調和されている』といったものであるならば、そこにおける虚構の部分を排除して、そのリアルの部分に集中して記録することを試みてみたのです。
胎内の名残を残す新生児の姿、その一種の生々しさ、そこに虚構を交えないリアル。
黒い背景の中、そこにただひとつ生命としての存在感をシンプルに置き、少しコントラストをつけたモノクロームで表現する。
人として生まれた、その限られた時期の姿。脂肪がついてぷくぷくとした『赤ちゃん』という可愛らしさを持つ前の、生命としての神秘を感じさせる原点の姿。そのありのままの姿はリアルであり、それを前にした私は観察者であり、彼に作為的に働きかけることはせず(できず)、ただ環境を整えながら、そのリアルを、記録する。
泣くという行為で、自らの命をこれでもかと訴えかける彼の姿を、あるがままに記録する。虚構を交えずに、真っ直ぐに。
生命としての、その剥き出しなリアルが、虚構を交えずともただただ美しいと思うから。
 
Documentary,
 

この記事をシェアする

美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

撮影のご予約はこちらから

スタジオ予約

お役立ち情報をお送りします

新規会員登録

Official SNS

  • Instagram
  • sns
  • Instagram
  • Instagram