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shinyoko photo 56

投稿日:2015/5/21

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赤ちゃんを、表現する。

背中に触れる手の温もりが、この時どれほど必要とされていただろう。
小さな口に指を含んで、ほんの少し恨めしそうにこちらを見る赤ちゃんの視線に、わずかな罪悪感を感じつつ、この時のこの姿が、彼の存在を表現するのに、適していた。

母親という存在に依存する、まだか弱い存在。
自分ひとりではまだ何もできない。だから、自分の主張をする時の行為はとてもシンプルで、力強い。
泣く、という、あまりにも素直な自己主張。具体的な言葉をまだ持っていないからこそ、ストレートに感情を表現するその行為を、私は美しいと思った。

泣くこともまた、赤ちゃんとしてのありのままの姿の一部である。
母の胎内から出て初めての呼吸をする時に泣き、お腹が空けば泣き、眠くなれば泣き、抱っこを求めて泣く。赤ちゃんとはそんな存在だ。『ちょっとお腹が空いたので、ここらでミルクなんぞいただけませんかねぇ』とか、『そろそろ眠くなって来たので、抱っこしてて欲しいんですけども』という言葉の代わりに、彼らは泣く。
赤ちゃんが笑ったら、それはもう最高に可愛い。だが、それもまた『赤ちゃん』という存在の側面であり、それが『赤ちゃんらしい』状態、『自然な状態』の全てである訳ではない。
赤ちゃんは笑い、泣き、怒り、喜ぶ。それは全ての大人たちと同様に。全ての大人たちも、赤ちゃんから始まって大人になった。成長するにつれて、感情表現は言葉でなされるようになっていく。けれど、言葉は時に全てを表現させてはくれない。
『だって、知っている言葉はほんのちょっとで、感じれることはそれよりも多くて、むりやり窮屈な服着せてるみたい』
とある歌の一節に、こんな言葉があった。感じたことを言葉で全て表すのは、本当はとても、難しい。
言葉がないからこその、『人』としての素直な本質が、原点が、目の前にある。いつも、そう感じる。

私たちは撮影者として、被写体のありのままの存在の美しさを、写真に残したい。
彼は泣き、母親は泣く彼を抱きしめて、その手をそっと背中に添えた。母親の体温に包まれる、その安心感から、彼の体の緊張感がすっと抜けて、母親に委ねられたその重み。それを受容した瞬間。
赤ちゃんが、赤ちゃんらしく、ママに全てを委ねて安らいだ瞬間。
赤ちゃんを表現するには、こんな瞬間がたまらなく、良い。

 

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

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