Photogenic
新横浜店
scrollable
shinyoko photo 54
投稿日:2015/5/21
1293 0
『或る晴れた日に』
誰にでも、こんな幸せな記憶がきっとある。
頭では、思い出せない。でも、からだの何処かで、こころの何処かで、覚えている。
ただひたむきに、愛し愛された記憶。
だから、目の前のこの光景を、写真に残したいといつも思っていた光景を、求めていた。
例えば、暖かな春の日に干した布団を取り込んで、その上で子どもとじゃれ合うような。
あるいは、柔らかなベッドでころころ転がっていたら、ママが遊びに来てくれた時のような。
そんな日常的な、ふとした瞬間が、誰ににとってもとても大切で、幸せな記憶の一片なのだと思う。
どんなひとだって、あかちゃんから始まるのだから。
だからこそ、そんな日常の瞬間を、幸せな記憶の一片を、写真として残したかった。
人生を写す写真館、ライフスタジオのカメラマンとして。
初めてその場所を訪れる人は、その空間に最初からは馴染まない。
服装、雰囲気、その場におけるからだの動き、そのどれをとっても微妙な違和感と共に、少し居心地悪そうにしている。
その違和感を中和して、空間に馴染ませることが、まず撮影者が行うべきことだ。
初めて訪れた人と場所、その間に、撮影者が存在する。撮影者はその人を見て、感じて、受け入れて、自らの知っている空間との調和を自らの中で構築し、写真に反映させる。
撮影者が媒介となって、被写体と空間を繋ぐ。媒介となるには、その両方と関係性を結んでいなければならない。
だからいつも、私たちはインテリアを隅々まで掃除しながら観察し、被写体とは有機的なコミュニケーションを図るのだ。初めて会った目の前のこの『ひと』がどんな人なのか、どんな笑い方をするのか、どんな座り方をするのか、どんな存在感を持っているのか。そういうことの全てを総合的に見ようとして、最適解を探す為に。
そして、その空間に馴染んだ時に、その被写体の本来の存在感は、その人『らしさ』は、発揮される。
求めていた日常の瞬間の再現は、その先にあるものだ。
暖かな春の日差しが差し込むスタジオの一角で、それは再現された。
辿り着くまでに、試行錯誤は重ねて来た。だからこそ、カメラマンとコーディネーターの関係性もまた反映されることとなった。
転がして、転がして、遊んで、コーディネーターからママに代わるタイミングまで。
そしてそこから、ママが彼女に向けた笑顔も、彼女のはしゃいだ表情も、少しひねった顔の角度も、その全てが、調和した。
大切だったのは距離感と空気感。私は大枠に干渉しながら、枠の中身には触れなかった。こうなると知っていた。そして、求めていた瞬間は訪れた。
温かくて柔らかくて、キラキラした幸せな記憶。
思い出すことはできない。でも、きっと何処かで、覚えている。
だからこんなにも、この瞬間を渇望した。
非日常の中で訪れる、日常の瞬間。その幸せな記憶の一片を。
Life studio No,17
shinyokohama
photo by Reiri / coodi by Yonezu
この記事をシェアする
サイト内投稿の検索
- トップ
- 店舗紹介
- 新横浜店
- Photogenic
- shinyoko photo 54