PhotogenicShinmatsudo

かわいいということ

2015/12/12

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photo by yumiko cordi by Kazumi

わたしは子供を育てるという経験をまだしたことはありませんが...
かわいいかわいいと可愛がるだけでは子供は育てられないといいます。
ときに厳しく、時に大胆に。
導くということを大切に思いながら、
深い愛情のうえで様々な関わりがなされているのだと思います。

とはいえ、やはり子供は普遍的にとでも言いましょうか『それはそれはかわいい』もので、身近にそういった様子を見かけるたびに不思議とわたしも優しい気持ちになります。

『かわいい』という言葉を辞書で調べると、

・・・・・
人のこころをひきつけるさま。
愛情をもって大事にしてやりたい気持ちを覚えるさま。
同義の古語は「うつくし(愛し)」(例:「うつくしきもの」〈『枕草子』〉)である。
・・・・・・

とありました。

わたしは日々撮影にきてくれる子供たちに対して、撮影中に自然に『かわいい』という言葉を連続してほぼ無意識のうちに発していますが、
そういった自分自身を改めて振り替えって分析してみると、
その『かわいい』の四文字の言葉には、その時その時に色々なニュアンスが含まれていることに気がづきます。

やわらかなシルエットの美しさにみとれているときも
その存在感の輝きに圧倒されている瞬間も
キラキラした瞳で次の遊びにわくわくしている姿をみているときも。

『可愛い』『かわいい』『カワイイ!』

周りにいる誰かに伝わるかどうかはわかりませんが、自分自身のなかではその時々でいろいろな気持ちでいるものです。

最近はもっと言葉をふやして、私の中にある感覚をさまざまな言葉で表現できたら、そうすることが自然とできたなら、もっと豊かに感情や感性の共有が出来るのに。

そうなったらいいのになあと強く思っています。

子供たちも日々たくさんの事を全身の五感をつかって感じているのだろうけれども、
自分の感覚に言葉や動作がまだまだついていかないこと、つまり表現力がまだ十分に発揮することができないでいることが多いのだろうと思います。

大人になっても自分をみつめながら表現力が豊かであるとかそうでないとか考えることもありますが、
そこにある種のもどかしさやフラストレーションが起こることもあり、
それはきっと子供たちにおいても同じでしょう。

『心』と『体』が密接にかかわりあったときにもっともインパクトのある表現になるとよくいわれますが、
その中で表現された子どもたちなりの精いっぱいの発信に込められた情報量は、表現されている情報よりもずっと大きくて、だからこそそれがどんなものかを想像する楽しみを秘めているのだと思います。

子供たちひとりひとりがもつ個性。

その理解や反応に合わせて最適な遊びを生み出すのは容易なことではありませんが、
だからこそ『子供の目線に立ってみる』とか『子供の気持ちになっておかれた状況を考えてみる』ということがやはりとても大事なことであり、
『気持ちをうごかす』、『体を動かす』、そして『心と体で表現する』ということへつなげていくことが出来るように、
ライフスタジオでの写真表現は、撮影方法やコミュニケーションなどに自由な幅を持たせているのだと思っています。

そしてつまりそれらは私たちの感性と理解、経験にゆだねられているというところが大きく、
お互いに日々試行錯誤を繰り返しながら
『責任』や『共につくる楽しみ』などの大切なポイントが、いつまでも私たちの意識から消えてしまわないように常に基準となっているのです。

kazumi

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