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読書⑰「これからの正義の話をしよう」を読んで

2013/11/19

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「これからの『正義』の話をしよう」マイケル・サンデル著を読んで

 

mito mikiko

 

何故、人は哲学に惹かれるのでしょう。そして一度哲学に触れたならば、何故世界観が変わるのでしょう。

私達の学習の中で、哲学が大きく関わるようになってから、私はこれまで不自由を感じていた討論に、喜びや楽しみを見出すようになったばかりか、スタッフとの会話や関係、そして自らについても、悩みはあっても、それまでの悩みや、スタッフとの関係性とは質の違いを感じるようになりました。

哲学は、感情的な視野で判断していた私を、感情とは別のフィールドで物事を判断するという事を教え、習慣づけてくれました。

「私は何のために存在しているのか」「正しい生き方とは」「良い社会とは何か」「世界は何の

ためにあるのか」古来から、私たち人間にはこの哲学的問いと共に生きるよう運命づけられている気がします。だからこそ古代から現代に至るまで、時代背景と政治的背景の変遷と共に、哲学も変遷を続けているのです。

古代ギリシャに始まった哲学ですが、現代においては、正義の基準についてを問うサンデルにスポットライトが当たっています。現代の社会に於いて、様々な事件や大きな災害が起こる中、

平時において、自由に行動すればよいという訳にはいかなくなった場合、特に3.11の時に於いて、私達には、誰もが納得するような考え方=共通了解=が不可欠のものとなりました。誰もが認める価値、社会で共有し得る正義とはなにかを問うという事が、現代を生きる私たちにとって大事な事、大切な基準となってきているのだと思います。

サンデルの説く正義は、哲学の表面的な知識ではなく、現代の諸問題に応用し、対処出来得る、より具体的な哲学であると考えます。

この本が課題なるのも、全体と店舗とで2回目になりますが、今やサンデルの講義録のVTRは、私にとってはバイブルのような存在です。

今回改めてこの本を手に取りましたが、一番最初に読んだ時とは、感じる事が大きく変わっていました。

前に読んだ時には、私には自分の基準がありませんでした。登場する何人もの哲学者の主張が、私にはそれぞれ正しいと思われ、結局それぞれの良いと思う部分をくっつけて総合したものが良いものであると自分の中で結論づけていました。自分の価値がまだまだ曖昧で、とういうか、皆無で、主張の矛盾を追及する所まで行き着くことはできませんでした。

本の中では、アリストテレス、カント、ミル、ロールズなどが登場し、大きく3つの哲学の理論に分けてそれぞれに正義を定義づけようという試みがなされています。

  • 功利主義②リバタリアン③共通善

私にとってカントは、その頃の自分にとっての解決の糸口となるような、そしてカントの説く主張のごとく生きていくべきであると、盲信していました。カントの絶対的な論理の前には、自分自身の考えは存在しないにも等しいと思われました。が、今回は、同意できない部分もあることに気付きました。

カントの説く定言命法が、無条件に、他に考慮すべき目的や依存する目的を一切持たずに何らかの行動を命じることは、結局人間の持つ自由(個性)と尊厳に対立するものではないかと感じたからです。個人的な目的を超えたもの、すなわちすべての人間を理性的な存在ととらえることは素晴らしいと思いますが、個人的な目的をも拘束する法則が存在し得るのか、存在して良いものなのかという疑問が生じてくるのです。カントの言う「何時の意志の格律が、常に同時に普遍的法則となるように行為せよという、万人に当てはめても矛盾が生じない原則のみに従うよう求めていることには、個人の行為については同意できても、全体に適用すべきであるというカントの説には、ライフスタジオの在り方と照らし合わせても、危険な匂いを感じます。

もうひとつ、自殺に対するカントの理論にも納得がいきませんでした。

人間には自分の人間性を踏みにじる権利も他者の人間性を踏みにじる権利もない。よってどちらも同じ理由で誤りであるとするカント。もちろん自身そして他者の人間性を踏みにじる権利は誰にもないという事には同意できますが、私は、二つの死には違う理由があると思います。殺人には、もちろん他者を殺める事は誤りであるという確固とした道徳が存在しますが、自殺を誤りとする私自身の考え方は、人間が生を受けた時点で、人間の計り知れない何かによって生かされている、そして何かしらの存在理由や役割があるはずであり、生を受けた以上、存在理由を追及し続けることなく、自らの意思によって役割を全うせずに中断してしまうことは、宇宙の法則に反していると考えるという事です。

勿論 今に於いても、カントの「自律的な行動とは、自然の命令や社会的な因習ではなく、自分が定めた法則に従って行動する事である」「自律的に行動する能力こそ、人間に特別な尊厳を与えているもので、この能力が人格と物を隔てているのだ」「自由な行動とは、自律的に行動する事だ」という言葉には深く納得させられ、自分への戒めとしています。

この本の中では、あらゆる事例を取り出し、3つの主張と対比させていましたが、結局サンデルの主張は、「『共通善』を導き出す事こそが重要である」という事であるとと言っていますが、その共通善を導き出す為に、複数人での討論が必要不可欠のなります。

私達ライフスタジオに身を置く者にとって必須であるのが討論ですが、哲学は、価値観の対立を克服し、異なった価値観を持つ集団の間に、共通理解をもたらす為に、共に納得できる考え方を生み出してくれるものです。

これまで討論によって、自らの考えが深まったり、推敲されたり、また方向転換したりと、討論下手な割には、討論による喜びを味わう事ができています。

だからこそ、今、一人こもって哲学を学んでも、知識以外に得るものはないと痛感しているのでしょうか・・・。

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