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水戸店
読書⑥現代語版『学問のすすめ』福沢諭吉著、岬龍一郎訳 を読んで
投稿日:2012/7/29
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学問のすすめ
本文はまず、あの有名な「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という一節から始まる。
始まる・・・のであるが、実は私はこの冒頭の一節しか知らなかった。
今回はちょっと全部を、しかも簡単に読んでみようと思い、現代語版「学問のすすめ」を読んでみることにした。
明治の初頭、封建制度、身分制度によって学問の道どころか、生きる道までも選択することが出来なかった日本人が、突然に今度は開かれた国の国民の一人として世の中に存在することとなる。
西洋諸国と伍するには、あまりにも国民に培われてきた精神に心許なさを感じた福沢諭吉が、急務としてこの本を国民の為に書いたのがこの本である。
封建的日本人の体質を、近代文明人に生まれ変わらせる為に葉何が必要か、新しい価値観を提示してくれている本は、今読んでもはっとさせられる部分もあるが、逆に新鮮だったのは、崇高なる教えだけでなく、日常茶飯の他者との係わり合い方に至るまでが書かれていたという事である。
崇高なる序章から始まっていたので、中盤から、あまりにも人々への日常生活に於ける社会性を養う為の事細かな教えは、現代の世ではあまりにも当たり前的な事で、拍子抜けしてしまうが、この本の書かれた時代背景を考えると、身分制度の中に何百年も身を置き、哲学や学問などはある一定の身分以上の者にしか与えられず、しかもお上には逆らえない時代。身分があってもその状態では 平民農民の社会学や哲学はないといって等しかったであろう。
西洋諸国と伍して生きる国民となる為には、まず国民1人1人の「独立の精神」が大切である。
この独立の精神こそ文明国家の礎である個人主義の基本である事を説いている。
訳者は以下のように述べている。
今私たちはいつのまにか個人主義を利己主義と履き違えてはいないだろうか。自分さえ特をすれば何をしても良いとさえ思ってはいないだろうか。
個人主義と利己主義との違いをも又福沢諭吉は提示し、文明人としての生き方を説いている。
福沢のいう独立の精神とは、「自分で自分の心を支配し、他に頼りすがる心がないこと」としている。すなわちそれは、他人の考えに影響されず、自分で物事の善悪を見極め、自分の行動に責任を持って、間違いを起こさぬものを独立の人、であるという。
明治の初頭に書かれたこの本であるが、経済大国とおごっている今日の日本人は、いまだ「独立の精神」を持ちえていないのではないだろうかと、筆者は訴えている。
筆者も言うように今の時代にも、そしてその先の時代にも私たちのテーマとなる事がいくつも出てくる。
その中のひとつ、私自身が自分に戒めたいこととして心に残った章を記したい。
「第9編」学問の本当の目的とは何か
- 自活したぐらいでは自慢にならない より
人間の心身の働きを詳しく見ると、それは2通りに区別して考えることが出来る。第一は個人としての活動であり、第二は社会の中での活動である。
中略-人間は自然界の恩恵を借り、その働きに少し手を加えるだけで利益を受けている。それは路傍に捨ててあるものを拾うようなもので、人間の力のみでつくっているとはいえない。
だから、人として自らの生計を営むことは、少しも難しいことではないし、それができるからといって自慢すべきものでもない。-中略-成長し社会に出て就職すると、家族友人の援助から独立して、自活することになる。他人への義理も欠かさず、家もどうにか手に入れて、家事k道具をそろえ、望みどおりに結婚する。贅沢もせずに倹約を守り、子どもにも一通りの教育を受けさせ、不測の出費に備えてお金も貯めた。これでどうにか平穏無事に暮らせると、自らのこの暮らしに満足する。世間の人もこの様を見て、独立不羈の人と評価する。まるで立派な仕事をなし得た人のように。
だが私に言わせれば、この評価は誤っている。これだけで立派な人と思ってはいけないのだ。なぜなら、この人はただ蟻と同じようなことをしただけで、蟻より優れているとはいえないからである。-中略-もし、右のように、自分の生活だけを確立して満足しているというのなら、人間の生涯は、ただ生まれて死ぬだけのことになる。なぜなら死ぬ時の状況と生まれた時の状況はほとんど変わっていないからだ。-中略-大事なことは、自分の心身の満足をさらに推し進め、人間としてもっと世の中に役立つ、真実の目的を達成することである。私に言わせれば、これを達成しない者は、虫けらか愚か者ということになるのだ。
中略
変革とは、戦争による変動をいうのではない。文明の力に促された人々の精神の変動によって生まれるのだ。人々の精神の変動は今も続いている。この精神こそ文明の誘導者なのである。―――――――
そして、第十編、の
『日本を維持する気概を養い、社会に貢献する』
と、続くのである。
私はこの九編、十編はこの先も常に繰り返し読んでいこうと思った。
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