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水戸店
想いを言葉にすることの重要性
投稿日:2012/7/4
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なぜ 言葉にしなければならないのか?
人間は感情の動物であるが、動物の中で唯一「自制」という行動ができる動物である。
自制とは単に自分を抑制するという行動を指すのではなく、経験と知識に基づいた自己表現法の
一つであると考える。
感覚で物事を捉えられる才能は 貴重で重要なものである。感覚の鋭い人ほど
あらゆる分野において長所を生かしたものを創り出す事が出来る。
しかし感覚だけでは 今度は伝えることは難しい。伝えられる手法を身に着けることで、感覚は
「感性」として他者に認められるものとなると考える。
考え。作品。…具体的なものも、抽象的なものも すべて理由があって産まれ生み出されるもの。
その理由が自分の中で きちんと整理され構築されていることが大切である。
理由づけのないものは 単なる偶然の産物でしかなく、もう一度再現することは難しい。
しかし 理由づけがあることによって再現は可能となる。そしてまたそこから発展させたり、
違ったものを創り出したりすることができる。
理由づけのないものは 単に 「個人的なもの、私的なもの」であり(他者に考えた伝わらない)、
理由づけのあるものは 「公共性」をもつことができる(他者に考えを伝え共有できる)。
なぜ 考え、想いを言葉にそして文書化する必要なのか?
それは、私たちは個人の趣味集団ではなく、公共性を持った 社会の中に存在する 名前を掲げた集団、
そして他者(対顧客、対社会、対スタッフ)との関係を必要としている集団であるからである。
鋭く深い感性が 知識と経験によって洗練され、私的なものを離れ公共性を持つ。
これは 社会に身を置き生きていく上で素晴らしいことであると同時に、ひとりひとり、いち集団、いち企業
いち社会と、拡大させながらよりよい世界を創り出す上での基本となる行為でもある。
好きな本を 好きな時に読むことは誰でもできる簡単な事である。
ではなぜ あえて読書感想文を書くのか考えてみる。
本を読んで感じたことを書くことによって まず頭の中が整理される。感じたことはごく個人的な想いであるが、
その個人的な想いを、どんな考えであれ、他者へわかるように伝えなければならない。
その訓練の繰り返しにより、「感情」は「考え」として「個人」は「公人」として進化を遂げていくのではないのだろうか。
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