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水戸店
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パパの入院
投稿日:2010/12/28
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今月10日、不死身だと思っていた主人が緊急入院、即手術になった。
この日、私は最後の撮影が終わってすぐに、
何度かあったパパからの携帯着信履歴を見て、
折り返しの電話を入れると、「お腹が痛いんだ」と言う。
パパは、お腹が痛いぐらいでいちいち電話をかけてくるような人ではない。
陸上をやっていた大学の頃、足の生爪をはがしても、血を流しながら
平気で歩いていたという人である。
体はでかいし態度もでかい。多少の痛みは、恐竜と一緒で、しばらく経った後、
感じているのではないかといつも思っていた。そんなパパがである。
すぐに「私、戻ろうか?」と聞くと、苦しそうに「うん。」と言った。
これは只事ではないと直感し、すぐに帰宅の道すがら 近所の大きな総合病院
に電話し、緊急で診てくれるようお願いした。
土曜日の夕方5時をまわっていたが、幸い すぐに来て下さいとの事。
家に着くとすぐにパパと息子を車に乗せて病院へ。
病院まで3分の道のり、20キロしか出ていない車のスピードに、
ひびいて痛いのでもっとゆっくりと走ってくれというパパ。
もうその頃には傍目でみてもかなり苦しそうだった。
病院に到着すると、あまりの痛みの強さに、先生はすぐに今出来得る検査を
かたっぱしからはじめた。
1時間半程待っただろうか、私に話がありますと、診察室に呼ばれて
先生の指し示すCT画像を見る。
「ここが脾臓で、この周りにかなり腹水がたまっているようです。
下のほうへいくと、大腸の一部の周りに血腫とみられる部分があって
そこにも腹水がみられます。色々と調べましたが、何故このような状態になって
いるのか今は判断できません。病名もまだわかりません。ただ痛み方が
尋常ではないので、今夜中に緊急の手術が必要になります。」
と 仰る。
先生の声が遠くから聞こえたきがして、現実感がまるでなかった。
画像をみても、まず正常な状態すらわからないので、これが腹水で、などと
説明されてもどれがどうなのか、よくわからない。
点滴でもして、帰るような心づもりでいたのに、こんな説明を受けている自分がいる。
「ご主人も聞こえましたか?」
少し離れたベッドで点滴を受けている主人に、先生が言う。
「わかりました。」
今夜はあいにく執刀医が不在なので、郊外の国立病院での手術が決まった。
救急車で搬送されるという事だったが、
「車で来ているのなら、救急車は早いので奥様はもう先に出発していて下さい。
私が(診てくれたドクター)一緒に乗りますから。」
といわれ、息子を、迎えに来てくれた母に預け、
猛烈に車を発車させた。
自分でもどれだけスピードが出ていたかわからないが、救急車の到着より
10分以上早かった。
病院へ到着すると、さらに詳しい検査を受けたが、造影室の外にも
主人のうなり声が聞こえてくる。
終わると中からドクターが出てきて説明を始めた。
「腹水の成分は血液でした。検査でも原因はわかりません。ただこのままでは
命に関わりますので、すぐに手術をいたします。」との事。
カンファレンス室で、これから執刀して下さる30代半ばの若いドクターが
丁寧に手術の説明をし、何枚もの同意書に私はサインをした。
「では、手術の準備が整い次第、手術室に入ります。直前に少し会えますので、
又声をおかけしますね。」と言われほんとに10分もしない内に呼ばれて
手術室へ向かうエレベーターの前でストレッチャーに乗せられた
パパの顔を見た。
「パパ、がんばってね。」「うん。」ちょっと手を振り合ってすぐに行ってしまった。
すべてがドラマのようで、信じられなくもあり、淡々と進み、人事の様でもあった。
ただ私が実感しているということだけは事実であった。
準備と処理を含め、4~5時間と言われていた手術が、1時間ほど早く終わって
ICUで又、パパと再会したが、パパはただ痛さに耐えるのみであった。
結局、術後のドクターからの説明でも、あれだけの出血と痛みがありながら、
原因がわからないという事であった。わかったのはお腹を覆っている大網(たいもう)
という膜が何らかの理由で出血を起こしたという事。
とりあえず、手術が終わるのを待っている間に不安でいっぱいだった思いからは
解放された。
今 パパは一度退院したが、またすぐ今度は手術の後に起こるかもしれませんと
言われていた腸閉塞になり、私の運転する車に乗って、パパは
同じ病院へ入院した。
経過は順調なのでお正月はいっしょに過ごせそうだと思う。
体力男のパパが痛む姿を見るのはやはりみているこちらの心も痛み、
パパの存在や、健康の大切さをしみじみと考えさせられる、年末の
この半月であった。
後日談は次回・・・。
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