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写真と歴史(祖父の卒業制作作品)

投稿日:2018/3/15

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これは、私の祖父の、大学の卒業制作の写真です。
実家の写真館の入り口付近にいつも飾ってありますので、見慣れた写真ではありましたが、昨年の夏、
東京芸術大学の創立130周年を記念して、芸大で行われた、古い卒業生達の作品を集めた当別展で展示されました。
https://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2017/collection17/
それで、母と弟夫婦が「おじいちゃまのあの写真が飾られるそうだから作品展を観に行ってくるね~。」
といって出かけてまいりました。
へぇ~、そうなんだと只返事をいたしましたが、帰ってきた母は、興奮冷めやらぬ様子で、
「本当に行ってよかった。素晴らしい作品ばかりよ。幹子も行けたらよかったのにね。」
と言って、図録を貸してくれました。
そこにあったのは、尾形光琳や、母の好きな小倉遊亀、私の好きな上村松園、あの伊藤若冲などなど、
美術の教科書に載っているような名だたる芸術家ばかりでした。
このような方々に混じって祖父の写真が展示されていたなんて、祖父をとても誇らしく思いました。

ちょっと営業写真館の歴史にも触れますと、
実家の写真館が創業したのは1892年。今から128年前。1853年にペリーが浦賀に来て写真も流入しましたが
そこから9年後に上野彦馬が日本で最初の写真館を作り、そこからまた30年の時が経過し、
茨城県で最初の写真館をこの祖父のこれまた父、
わたしにとっては曾祖父が《小貫玉真堂》という名前で写真館を作りました。
祖父も亡くなってすでに35年ほど経っています。
私の記憶にあるのは、ロータリアンとして活躍していた姿と、夜に暗室で薬(現像液から定着液まで手作り)の調合を
天秤で計っていた姿、食事のあとに、入れ歯を湯飲み茶わんに入れてテーブルに置いておく(やめてくれ~)姿です。
奉仕の精神と研究心に長けた祖父は周りから先生先生と呼ばれ親しまれていましたが、
私にとっては、話の接点のないおじいさんでした。
祖父の死後、祖父の残した書庫から、初版本の土門拳の「風貌」を発見したり、
祖父の残してきたものを目にするたびに、今なら、祖父と写真の話ができたであろうとちょっと悔やまれます。

写真は、初めは肖像画にとって代わるものとして、代々の歴史を残すものでもありました。
様々な変遷を経て、今、私たちは目に映るものだけではない大切なものを取り込みながら
形は写真としてお客様へ提供しています.。さらに提供という形だけではなく、
一緒に何かを創り上げる時代へとはいってきました。
けれど、根底にある大切なもの、記憶を記録として残すことは、ずっと変わりません。
この祖父の写真からは、祖父のその片鱗が少し見え隠れしているような気がしました。

 

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

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