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読書③「嫌われる勇気」岸見一郎、古賀史健著を読んで

2015/5/4

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「嫌われる勇気」岸見一郎 古賀史健著を読んで
 
Mito mikiko
 
アドラーの心理学は「勇気の心理学」であると話されるくだりが本書にありますが、読み終えて私が感じたのは「愛の哲学」でもあるという事です。
―人は変われる。誰もが幸福になれる。世界はシンプルであるーと、一貫して本書の中で哲人と呼ばれる導き手は主張しています。
そうなの!?こんな自分でも?こんな過去があったのに?!
自分の悩みと重なるように、哲人との対話において青年は反論を重ねていきます。
人は何故こんなにも人で悩むのでしょう。
これは永遠の悩みでもあり、人が人の中(社会)に於いてこそ生きているという証でもあると常々感じていましたから、これはもう一生ついて回るものだと思っていました。
本書でも、「人間のすべての悩みは、すべて対人関係である」と言い切っています。
そして原因はひとつ、「自分」であると。
世界を複雑にしているのは、自分であって、要は、世界がどうあるかなのではなく、自分がどうあるかだけなのである、と哲人は言い切ります。
世界を主観的に見ている自分の色メガネをはずせるか否か、という所で最初の「勇気」という言葉が必要になってくるのですね。
色メガネをはずす勇気さえ持てれば!
この勇気が持てるまで、何十年かかったでしょう。
今でも濃い色のめがねは無くなったとは思いますが、他の薄い何色かの色メガネはかけている気がします。
ただ、虚栄や強い欲求からは多少解放されている気もします。年齢もあるとも思いますが、最初に思い切って色メガネを外すことになったきっかけや過程は、やはりライフスタジオ(社長や奈美さん)と出会った事、そして読む書く話すといった基本的な教育の積み重ねでしたが、結局自分が何か人生を変えるような決断を下さなければならなくなった時、外さざるを得なくなるのですね。
本心から自分が決断するということは、今までの自分ではだめなのだと初めて認める事でもあります。他人や自分をちょっとずつごまかす事はできても、決定的な何かが起こった時、駄目な自分を認める、という作業無くして新しい世界は開かれないのだという経験が、この本に書かれている事と連動し、哲人によって具体的に掘り下げられ、ああ、自分はそうだったと、昔の自分を恥ずかしく懐かしく感じました。といってもけっしてもう自分を知り得ているのだと言っているのではありません。
これから人間的に成長しなければならないこと、学ばなければならないことが山ほどありますし、学んだならば実践し、そしてまた学ぶという繰り返しによってほんのちょっとずつ何かを知っていくのだと理解しています。
けれど、その最初の一歩が、自分を知る、世界がどうなのかではなく、世界を自分がどう見ているかという所に気付く、という事なのだと思います。
自分を見るという事位恐ろしいことはありません。
自分ができないのだと、知りたくないのですから。でも知りたくない。という事は、心のどこかで自分ができないのだということを薄々感じている事でもあり、目をつぶってしまい、別な何かに転化させたり、それを悟られない為に、無駄な努力をしてしまっていたのですね。
できない、ということを知られたくないからそうならない為の無駄な地固めをし、バリケードを築いちゃったりするのですね。
それほど自分がむきだしになることは恐ろしい事なのですが、今思うと、そう思っているのは自分だけで、周りから見たら「丸見えですよ貴方」と思われていたに違いありませんし、悪あがきしている自分を見られていた事の方が本当に恥ずかしいことだったと思います。
ですから、今は、現に壁に隠れている人ほど、自分を顕わにしているなと感じる事があります。前側は頑丈な壁が築かれていますが、後ろ側に廻ると何にもなくて、お尻が丸見えだったりするわけです。さあさあ、見えてるんだから、そのままの自分でおいでよ。と声をかけたいと思うのですが、ここで、本当に良い言葉を本書に発見しました。
―馬を水辺に連れていく事はできるが、水を呑ませる事はできない」―
自分を変えることができるのは自分しかいません。とまたもや哲人は断言します。
まさにそのとおりだと思います。
自分が今行っている事に対し、本当にそれでよいのかと問われているのだとも感じました。
けれどこれまで自分が辛抱強く周りに待っていてもらった過去を振り返った時、決して放置されている訳ではなかったと思い返されるのです。
さまざまな問いかけがありました。課題がありました。
はじめは自分以外のいろいろな事に問題を見出していましたが、問いかけや過程の中で少しずつ自分を見なければならない事を発見し、あるきっかけがあって、「あ!」と気付く瞬間がきたのです。
辛抱強い周囲の働きかけがなければ(=水辺に連れていってもらう)自分が自らを知ろう(=水を呑む)ということもなかったと思うのです。
自分という人間が、まさに自分をとりまく人々の愛によって生かされているのだなと感じた瞬間でもあります。
承認欲求、という言葉を、マズローの心理学の中での人間の5大欲求のなかで目にしたことがあります。
その承認欲求をアドラーは否定しています。
他者からの承認欲求によって生きているのは、自分を生きている事にならない。と。
他者からの承認を選ぶのか、承認なき自由を選ぶのかとありますが、まさにここで、嫌われる勇気という意味が明らかになるのです。
他者が自分をどう思うのかは自分の課題ではなく他者の課題である。
他者に嫌われる事を恐れて生きるのではなく、自分らしく生きる自由を選ぶ。それこそがこの本のタイトルになっていることだったのでした。
ここでまたまた本書の中の良い言葉を挙げます。
―「いま、ここ!」―
人間には過去も未来もあります。でも生きているのは「いま、この瞬間」なのです。
人生は連続する刹那であり、過去も未来もない。と。
過去に縛られていても自分は過去に生きていない。未来を予測しても、やはり未来に生きているのではない。「今」なのです。今でしかないのです。
人生とは刹那であり、点の連続なのだから、今を真剣に生きる事ですと哲人は教えてくれます。真剣でも深刻ではなくと。
最後に私達が身を置くライフスタジオと重なる本書からの言葉を引用します。
人はひとりで生きていく事など原理的にありえず、社会的な文脈においてのみ「個人」
となる。だからこそアドラー心理学では、個人としての「自立」と社会に於ける「協調」
  とを大きな目標として掲げる。
 

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