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読書①「日本人は民主主義を捨てたがっているのか」想田和弘著を読んで

2015/3/25

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「日本人は民主主義を捨てたがっているのか?」想田和弘著を読んで
 
Mito mikiko
 
 一体今言われている「民主主義」とはどのような主義なのでしょう?!
一昨年、憲法第九条の改正案が巷で話題になり、個人情報保護法に基づく情報規制がいつの間にか知らない間に自然に施行されている今、民主主義に定義は存在しないのでは?とも思えてしまいますが、日本の国家の唱える民主主義というものは、戦後から現在に至る間に、政治家、国家、政党によって少しずつ変化してきていると感じます。
今、安倍政権の形が、第二次世界大戦に突入する直前の政治形態に似てきたと警鐘を鳴らす政治評論家が少なからず存在しています。
では、戦前は民主主義ではなかったのかというとそうでもなく、「軍国主義」であったと断言しているのはアメリカであるという話もあります。
ただ、戦前でも国民による選挙が行われていたので、民主主義的ではありましたが、女性の参政権がなかったりもし、では何主義なのか?という疑問に対しては、ネットなどで調べても厳密な分類は難しいようです。
そのような事からみても、今「日本は民主主義国家です」と言いきることもできますし、そうではないと言う事もできるのだと思います。
そこで、日本における「民主主義」という言葉の由来から調べてみましたが、もともと民主主義という言葉は、英語の「democracy」の和訳であり、英語のdemocracyは、ラテン語の「demos+cracy」に由来している単語で、「demos」は「民衆」、「cracy」は、「支配、あるいは統治」と訳される為、そのまま「democracy」を和訳すると、「民衆主義」、あるいは「民衆統治」と訳されるべきであるのに、最初に和訳した人によって、「民主主義」となったということなのです。
翻訳者の中に、「democracy」に潜む革命思想が、天皇と皇室を尊び敬愛する日本国民への注意をそらす為に、意図的に「民主主義」と訳されたという説があり、すこし驚きました。
民主主義の語源、由来すら、私達は学校教育の中で「日本は民主主義国家である」という一つの一文をそのまま鵜呑みにしてきたようです。
現在の日本に於いての一般的な民主主義のもつ論理は以下の通りと考えます。
「民主主義の基本は、自由主義であり、自由を維持するのも、法と制度と手続きである。
民主主義の土台は、個人の権利と義務である。それらは、言論の自由、結社の自由、思想信条の自由によって実現される。」
一般に浸透しており、私自身も同様に理解しているこの民主主義の論理は、この内容だけでも今、侵されようとしているのではないかと危惧しています。
実際の生活の中でそれは実感しているのです。
去年、憲法9条の改正(何故「正」という正しいという意味の言葉を使うのかも疑問です)
の事について、当時水戸店にいた未央ちゃんと鈴木君と一緒に一体何がどうなっているのか、何故これだけ反対されているのかに言及してみようと、いろいろ調べ始めた事がありました。
日本弁護士会(だったかな)の取り纏めた反対を唱える為の、一般に向けた詳細で解り易い資料をネット上に発見しました。けれど、そのPDFをダウンロードしようとすると、セーブがかかり、容易にダウンロードできないかたちになっていました。印刷するクリックする場所も勿論明示してあるにもかかわらず。会社と自分たちのパソコン全てで試しましたが同様でした。
未央ちゃんが、政治について述べたライフスタジオのHP上のブログの閲覧数が異常すぎる程上がった事もありました。
そしてごく最近、NHKで再放送をしていた「斎藤隆夫」という最後まで国会の中に於いて、戦争に対し反対を唱え続け、最後には議員剥奪されたという政治家のドキュメンタリーを観て、初めてそのような人物がいたことに感銘を受け、早速アマゾンで斎藤隆夫についての著書を調べると、幾つかの本がみつかりました。けれど、どの本も発注のボタンを押した所で、「ただ今お取扱いがございません」という表記が表れるのです。
アマゾンだけでなく、斎藤隆夫で検索を掛け、あらゆる書籍取扱い会社でも調べましたが、本の存在自体確認できますが、やはり最後に「現在取扱っておりません」というメッセージが出てくるのです。
やっと1つだけ「政治家の品格 反軍・憲政の常道を貫いた斎藤隆夫」という本人以外の方による著書が見つかり、注文する事ができました。
もう2か月経ちますが、何度か発送する日程が決まりましたというメッセージとその訂正(延期)が届き、そのまま未着で今に至っています。
反戦、民主主義の本質を頑健に唱えた人物の著書が簡単に手に入らないのは偶然なのでしょうか?
自分だけではなく、周囲の知人の幾つものエピソードから、何か尋常でない事態が感じられるのです。
ですから、前置きが長くなりましたが、この本をアマゾン上で目にした時にすぐにボタンをクリックしたのです。幸いこの本はすぐに到着しました。
やっとこの本の書かれた内容に移りたいと思います。
著者は、作家でも政治評論家でもありません。時事についてのドキュメンタリー映画を撮る映画監督です。
だからこそ取材の中で身を持って体験してきた日本に於ける民主主義への危機感を強く感じ、筆をとることとなったのだと思います。作家でなくとも書かずにはおけなかったのだと思います。
この本の帯に「無気力、無関心の中で進む【熱狂なきファシズム】」という言葉がありました。【熱狂なきファシズム】一体どういうことなのでしょうか?
「ファシズム」というと、ムッソリーニや自由抑圧、戦争主義、侵略、など、怖いキーワードしか思い浮かばないのですが、柔らかくいうと「自由を抑制する政治体制」であるようです。
けれど、今の日本とファシズムでは、いくら現在の政治の動向に危機感を感じるにしても、極端なのではと思っていたのですが、本を読み進めるうち、その思いは消え、本当に今の政治体制以上に、私達の政治に対する姿勢こそが危機に瀕しており、それがまた国家進むべき道を誤った道へと進ませてしまう元凶となってしまうのであると強い恐怖感を覚えることとなりました。
著者によると、憲法の自民党改正案(9条以前に、他の条項の中に、もっと基本的規定が良くない方向へ変わる要因がたくさんあります)というのは、端的に言うと、「そろそろ日本は、民主主義国家をやめませんか?」という自民党からの提案であると断じています。
確かにそうであると思います。昨年、私は自民党による憲法改正の内容が如何に似て非なる危険なものであるのかを述べた著者による本を読み、大いなる危機感をおぼえました。
基本的人権の解釈を、国が守るべきであるところ、国民が自分で守るものともとれる解釈について、国防軍の有無ばかりにマスコミも国民も目を向けていた事について作者は警鐘をを鳴らします。
「国や社会の秩序や利益」が、個人の人権よりも大切であると解釈できる新案。
なぜ、結果的に何事もなかったように自民党案がすーっととおってしまう事態がおこってくるのでしょうか?その根底に流れるシステムについても作者は言及しています。
民主主義とは、本来自立した個人の存在を前提とし、民衆に主権があるという事は、民衆こそが責任主体であり、決定権があると意味すると作者は述べています。
だからこそ、その為には。私達民衆の一人一人が、少なくとも政治家の仕事の基本的な善し悪しを判別できる程度には、情報を集め、分析し、政策を理解し、選択できる能力を維持していなければなりません。民主主義の健全性を維持していく為には、私達も死ぬまで一人一人が勉強を続けなくてはなりませんし、民主主義を担う主権者の一人として、責任の重みを感じ続けなくてはならないのです。それは民主主義の世の中に生きる人間の宿命であり、民主主義から受ける恩恵の代償とも言えます。
こう語る作者の言葉に私達は、私達のこれまでの政治における姿勢に対し、強く反省しなければならないと思いました。
この私達の姿勢こそが、静かなファシズムへと向かわせるのか、理想的な民主主義の構築へと向かわせるかを決める、小さくそして大きな要因となるのだと思いました。
政治の話は難しい。私一人が思っても・・・。選挙は面倒だ。
そんなことを思っている間に、静かに国は私達の望む姿と反対の方へと歩んでいってしまうのです。
知らなければならない。興味をそいではいけない。国に対する責任を感じなくてはならない。
私たち一人一人に課せられた自由と引き換えに与えられた義務は、強く意識されなければ国家の平和も自由ももたらされないのであると思い知りました。
自由はそこにあるのではなく、作られ、意識され、義務の実践によって維持されるものなのです。
この本を読んで、政治に対する私の思い、姿勢も少し変わりました。

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