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京都桂店
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投稿日:2013/8/16
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道筋をゆっくりと追って行けば、目的地はそんなに遠くはないようにもみえるし、見れば見るほど実現不可能な気もする。
一直線で進む事はやっぱり無理で、紆余曲折はつきものだけどあまりにも道をはずれてしまうことは未来に対して無頓着と言わざるを得ない。軌道修正が常に必要である。
変化と安定の共存についての話の中で「時間の価値観」についての話をした。
一般的に安定を求めている人、安定した毎日といえば平凡で毎日が単調に過ぎて行くイメージがある。10時から17時まで働き、毎日同じランチを食べ、週に一回のみに行くくらいで基本的にはアフター5でプライベートを楽しむ。世の流れと共に休みを取り、出勤の前日になると憂鬱な気持ちになりながらベッドに入る。
私は20歳から7年間、そういう生活を送っていました。
全然それが悪くはなかったし、精神的な安定も同時に生まれ、毎日何かによって気持ちの上下をすることがほとんど無かった。
しかし仕事に対しては何の向上心も生まれず、ひたすら次の休みに行く撮影スポットの事ばかりを考えていた。わかりやすく言えば「楽」だった。私の場合はですが・・・。
「楽」は慣れると当たり前になってくる。「忙」はあんまり慣れないのに・・・。
基本的には与えられた仕事をし、終われば帰り、自分の持ち場以上のことはしない。というより目を向けない。評価は他人に任せ、与えられたことをしっかりこなしていれば一定の評価は得られる。そうして毎年わずかだったがお給料は上がっていく。
まるでひとつのサイクルの中で動いているような感覚だった。
これがもし大企業で、毎年の昇給が大きなものだったら辞めてなかったかもしれない。その時の私の仕事に対する気持ちはその程度だったが、それはそれで幸せの形のひとつだったのかもしれない。
サラリーマン的な生活をしていた時と明らかに違う感覚、それは「経営者」という単語が身近にあること。
私はカメラマンであり、現状それ以上でもそれ以下でもないが、経営者に半分足を踏み入れている状態でもある。社長はよく「経営者目線で働きなさい」と言う。
これは経営やお金の事を学んだりというのもあるが、私は「全ての事にアンテナを貼りなさい」ということだと勝手に解釈している。
自分が任された仕事だけをやるのではなく、隣の人がなにをしているのか?見逃されていることはないか?次は何をしたらいいか?
経営者とは自分の城をもっているようなものだから、城の中のこと、あるいは外との関わりなど嫌でも気にしなければいけない。
その感覚を持って欲しいということなのではないかなと。
それはつまり常に起きる「変化」を受け入れ、現場を「安定」させることが経営者の役割ではないか?
「変化」無くして「安定」は起きず、「安定」を求めなければ「変化」は起きない。
共存というよりは表裏一体のようなものか?
では上に書いた私の7年間は「安定」ではなかったのか?
あの頃の心境を思い返してみると、確かに悪くはなかったが、心のどこかに焦燥感や嫌悪感があった。その時点でもはや「安定」ではなく「衰退」あるいは「不安定」なのではないだろうか?
俗にいう「安定が好き」というのはこういうことではないだろう?誰も「衰退」を求めはしない。
ということは「安定」を求める人は一種の「変化」を容認した人であり、「変化」を求めている人なのだということになる。
まあ、変化し過ぎは体に悪いですけどね。
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