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京都桂店
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ギア

投稿日:2013/3/22

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先日、薫さんと人の生き方を車のギアに例えて話しをした。
人にはギアのようなものがあって、ギアの大きさは人によって違う。1速で結構早い人もいれば5速でもトロトロ進む人もいる。自分の意思によってギアを操る人もいれば環境によってギアがコロコロ変わる人もいる。私はどちらかというと後者のほうで、環境によってギアが変わるタイプ。学生の頃、周りが勉強するタイプの友達だったら成績が上がって、そうでなければ下がる一方だった。誰であっても環境に影響されることはあると思う。でもそれが自分の生き方になってしまってはどうなのかな・・・と自分事ながら思ってしまう。
人間には恐らくふたつのタイプがある。私のようにギアを操作してなんとか進もうとする人間と、ニュートラルに入れてても勝手に進むタイプ。
ギアを動かさないといけない人間は多分たくさんいて、特に日本人はこのタイプは多い。こういう人間にとって重要なのはギアの大きさではなく、自分で変速性を持てるかどうか。つまり少しずつでもいいから自ら進む力を身につけるということ。身につけるというよりは「意識」するという方が正しいかもしれない。20年〜30年変わらぬ生き方をしてきた人間に「身につけろ」というのは無理な話しで、どんなに影響力のある人間がいたとしても変わる事はない。
人はいつも環境が変わると「自分は変化した」という気持ちになる。例えば練習嫌いな人間がハードトレーニングな環境に身を置けば自然とそれに順応する。やっていくうちに苦じゃなくなってきて「自分は変化した」という気持ちになってくる。もちろん間違いじゃないけれど、もしその人が、周りが練習しない環境に舞い戻ったらハードトレーニングを続けられるだろうか?大概の人は環境に合わさっていく。一方でニュートラルでも進んでいくタイプは違う。どこにいっても自分の論理で進み、特別な燃費を消費しないで常に前に進む。つまり意識しなきゃいけない私と違って無意識に前進する力を持っている。
 
こんな話しをしたのは、スタッフ達のこともあるけど結局は自分の事を思い返したから。
私はここまで義務と自主性の間くらいの感覚で生活してきた。
ギアをガンガンに上げて突っ走ってきた前半、そしてある種の「自分らしさ」が出てきてニュートラルに戻りそうになってきた終盤。そこで自分にストップをかけるのは制御する気持ちとある程度の義務感があったからというのが正直な気持ち。私にとって変化があったのはこの制御できるようになった部分であって、ニュートラルから前進するような根本から変わるということではないし、この先も恐らく変わらないだろう。
対処療法かもしれないけど、そこを制御していかにギアを入れ続けられるかが私の人生を動かす根本原理になる。
 
とはいっても根本は違う性質なのだから一年以上ギアを入れ続けてきた分、結構今がしんどい。
でもまた4月から環境が変わるからそんなことは言ってられない。がんばろう。
 
 
 

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