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8月主題「ビジョナリ―カンパニー:飛躍の法則」
投稿日:2012/7/28
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主題1. 人を成長させるための自律と規律、つまり自由と規制に関する制度やシステムは何があるだろうか?
私達は子供の頃、学校に行く義務があり、教育を受ける義務があった。
そこでは必ず勉強をし、知識を増やしていった。
好きとか嫌いとか、そんなのはあまり関係がなく、義務教育というシステムを受け入れるしかなかった。
そこに自由は存在していない。
しかし私達はこの義務教育という規律によって現在のような生活を送ることができている。
スポーツにも同じことが言える。
私の好きなサッカーには、パッと考えて二つの戦い方がある。
厳しい規律を求め、勝手な行動を許さずチームワークで戦うやり方と、個人技を使って自由に戦い、個人の力を発揮させるやり方。
今でこそその二つは融合しつつあるが、一昔前まではそのニ択が主な考え方であった。
2002年、日韓ワールドカップで日本を率いたトルシエは、規律を重んじ、小さなズレも許さない人だった。
言われたことを忠実に守る日本人には肌にあった指揮官だったと言える。
トルシエもやりやすかったと思う。
実際トルシエジャパンは結果を出したが、ワールドカップ後にアフリカの国の監督に就任したトルシエは、同じやりかたを試みたが失敗している。
2006年、ドイツワールドカップで指揮をとったのはジーコ。
本人がそうであったように、規律を少なくし、個人の能力で打開する、すなわち自由を基本とした戦い方を取り入れた。
中田英寿、中村俊輔、小野伸二、高原直泰、稲本潤一…
当時のメンバーを見て私達は自由なサッカーをすることが間違いではないと信じている部分がありました。
しかし結果はよくありませんでした。
あまりにもすべてが自由だったために選手達がどうしていいのかわからないような、そんな印象を試合から感じました。
ジーコのような天才だったら自由でもできたかもしれませんが、何もかも自由では強い組織はできないという見本をみたような気がします。
私達は今、本社という店舗の中で自由を与えられています。
スケジュールも、シフトも、お給料さえも決めようと思えば決められます。
逆にそれは責任の伴う行動でもあります。
つまり、自由には責任がかならずついて回らなければいけないということです。
フリーダムとリバティ。ふたつの「自由」があります。
この二つは紙一重です。
たとえ責任があったとしても逃げることは可能だし、その事に意識を向けずに毎日を過ごしていたら「フリーダム」になってしまいます。
それを意識とは別に、小さな規律として「リバティー」からずれていかないようにしているのが、現在行われている週4日勤務と朝と夜の一時間だと思います。
主題2. 各自自分が考える偉大なる企業の定義とは何だろうか?良いことと、偉大な事の違いは何だろうか?
偉大な企業についての定義というのはこの本を読むまであまり考えた事が無かったのでこの本でうけた影響が非常に大きいのですが、ディズニーは偉大な企業のひとつだと思います。
バイトでも・・・という有名な本がありますが、人に集中し、自主性発揮させる教育はやはりすごいなと思いますし、ホスピタリティの面では私たちも同様に偉大にならなければいけないと思います。
やはり会社の意識がどこに向いているかだと思います。
通常、企業というものは利益を追求し、会社を大きしようと思っています。
これは当たり前の考えですが、しかし偉大な企業というのはなにより人に集中している。
第一に人、第二に人、第三に人と書いてありましたが、誰をバスに載せるかを考え、それから目的地を決めるという考え方が目からウロコでした。
ライフスタジオという写真館が人に対して変化と発展を求めていることが、この本を主題として二度もあげている事からもわかる気がします。
私は実際この一年で考え方が一変したと言ってもいいと思っています。
それまで考えもしなかったような人や自分に対する姿勢を今では当たり前に思っています。
今度はこれを人に伝えていかなければいけないし、それができるようにもっともっと考えていかなければいけません。
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