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京都桂店
原本CDは「吉野山の桜」
投稿日:2021/8/13     更新日:2021/8/13
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吉野山というのは、奈良県にある桜の名所である。
山肌に広がる桜を一望できるのは圧巻だとか。。私は見たことはないのですけど。
昔からいつかは行ってみたいなと思いながら奈良観光協会のホームページを開いては、結局京都に行ってしまうという決意の弱さを発揮していたのを思い出します。なので行ったことはないですがその素晴らしさはなんとなくわかってるつもりです(笑)
一般的に「花見」というといくつかの桜の木を目の前にして写真を撮ったりお酒を飲んだりすることを言いますが、吉野山で一望できる桜は、遠くに見える桜の木満開の山肌をみるという楽しみ方。その山肌は常に変化していて、ピンクもあれば赤っぽいものもあるし、まだ咲いていない緑の木もある。そんな千差万別の木々を上から見下ろすことができるのが吉野山の特徴のひとつ。
ふと今、なんでかわからないけど急に久しぶりに奈良観光協会のホームページを開き、吉野山の写真を見た瞬間、なんかこれが頭に浮かびました。
「これって、原本CDと同じじゃないか」
頭おかしくはなっていないと思います。。。
原本CDは75枚でできていて、その家族の歴史の一部が凝縮されてできています。私たち撮影者がそのお手伝いをして自分の存在を取り入れながら。ご家族の歴史がどのような色合いで、どのような形をしているかは千差万別ですが、それを形式化するのが撮影者の役割であり、いうなれば家族の歴史がどのような見え方をして原本になるかは撮影者の形式化の技術や考え方によって決定されるということです。つまり、ご家族の歴史の記録を決定しているのは撮影者であり、その撮影者にとってそのご家族はそのように見えているのだと表す行為です。
そんな原本CDがどのように見えることが美しいと思いますか?
言葉を変えるなら、私たちはどのような写真を残すことが理想だと思いますか?
ご家族の歴史は目に見えたり数を数えられるような類のものではありません。一瞬、一瞬に思い出があり、同じ時は二度と訪れない。楽しいことも苦しいこともすべて含めての歴史だから、すべての時間に意味がある。
吉野山の桜を見た瞬間、写真の四角形の中に見えるひとつひとつの木々が75枚に見えました。
桜の部分についつい目が行ってしまうけれど、緑の美しさや、桜に負けじと主張する背の高い木。桜の部分を見ても、同じ色をしている木など一本もなく、すべてが個性的で流れるように連なって。。
山にある木たちすべてに役割があって、それぞれに個性を主張していてそれでいてすべての木が一つになって絵を完成させている。
山が原本CDで、木々が一枚一枚の写真。。
なんでかわかりませんが私にはそう見えました。
75枚の写真を上から見下ろしてみた時、吉野山の桜のように見えたら、きっと理想の原本なのだろうな。
*奈良観光協会のホームページを見たらこうなりました。
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