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意識と無意識

投稿日:2021/4/3     更新日:2021/4/3

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「意識」するというのは自分を変える意思、「無意識」というのは歯止めのきかない本心


今年の桜は間もなく終わりを迎えそうですね。

昨年はほとんど桜を見ることがありませんでしたので、その反動なのか今年は

例年以上に桜を見た気がします。

 

見た。というよりは意識した。というのが正しいでしょうか。

 

昨年だって、身の回りに桜の木はたくさんありましたし、満開の桜が目には入っていたのだとは思いますが

あえて見ようとはしていなかったので無意識の状態ではあまり桜の事は頭には残らないようです。

 

最近、テレビをほとんど見ることがなくなりました。

見るとしたら私の好きな「千鳥」がやってるバラエティぐらいでしょうか。

 

昔はテレビを見るならニュースを見なさいと言われたものです。バラエティは頭が悪くなりますよと。

 

ですが、今私は反対の考えを持っています。

「テレビを見るのなら、バラエティにしなさい」と。

 

理由は二つあります。

ひとつは、最近のバラエティ番組は悪影響が少ないということ。

良くも悪くも出る杭が打たれるようになった現代で、テレビで悪い言葉、暴力的な表現は悪とされて自粛する傾向にあります。

そのおかげか、バラエティ番組も悪影響を与えるものが少なくなりました。

まあ、面白みもなくなったのですが。

 

もうひとつは、ニュースのほうが悪影響を与える可能性が高いということです。

ニュースはあたかもすべて真実のように私たちに語り掛けてきます。

もちろん正しいことも多いと思いますが、バラエティと違って、私たちはニュースを疑おうとはしませんので

視聴者に与える影響というのはとても大きく、人々の意識へと働きかけます。

ニュースに限らずですが、そうした自分の中に入ってくる情報というのは意識的に取り入れて無意識に自分から発せられます。

 

自分の身の回りだけでも基本的には意識と無意識の繰り返しで人は動いています。

 

意識や無意識という言葉を聞くと、私の中では哲学を連想します。

最近は経営の仕事ことばかりしていてめっきりやらなくなりましたが、こう見えても私は哲学が好きで

哲学のおかげで今があるといっても過言ではないくらい私の行動に影響を与えている学問です。

 

その哲学的に言うと、意識というのは「自分が現在何をやっているか、今はどんな状況なのかなどが自分でわかる、心の働き」です。

例えばのどが乾いたら自動販売機にお金を入れて飲み物を購入するというのは、自分の状況がわかったうえで意図的に起こした行動です。

 

反対に無意識というのは「自我の領域を超えている部分」となります。

例えば電車を待っているときにすっとスマホを手に取ってしまったりし、苦手な人には背中をむけてしまったりするかと思いますが、それはすべて

無意識な行動であり、わざとやっている行動ではないと思います。

無意識というのは自分の「意図」しない範囲のことであり、自分では「そのようにしているつもりがない」というのが無意識の特徴です。

 

しかし無意識は決して「自分の考えとは違う別のもの」ということではありません。

スマホを手に取ってしまうのも、苦手な人に背中を向けてしまうのも、無意識だから自分がやってることじゃないということはなく

あくまでもその行動をしているのは自分であり、自分が選んだ行動であるということは疑いようがありません。

 

無意識というのは自我の領域の外ということ、つまり「やってるつもりがない」だけであってその「行動理由は自分の中に存在している」ということです。

スマホを無意識に手に取ってしまうのは自分の中にスマホを見る理由があるからです。

つまり無意識の言葉や行動というのは、自分の意図しないことであるので「わざとじゃない」といった印象がありますが、実は「自分の中に行動理由を持った行動」でありもっと言えば「歯止めのきいていない本心」として出ることが多いのです。

特に感情的に行動するというのは自分を抑える理性が働いてませんので一番無意識な本心がでやすいです。

 

 

しかし、のどが渇いたり、スマホを手に取るぐらいのことだったら、正直意識的だろうが無意識だろうがどっちてもいいよって

思いますよね。

 

私が伝えたいのはそんなどうでもいい瞬間のことではなく、本当にやっかいなのは仕事や人生において重要なポイントで意識できるかどうか、重要なポイントで無意識になっていないかということがその後の自分の生き方を変えてしまうということがよくあるってことです。

先述したように意識というのは自分が何をしているかわかる範囲のこと、つまり操れる範疇ですが、意識をうまく使える人は「操れる範疇の中に操ったことのないことを入れるのがうまい人」状態になっている人が多いと思います。

無意識の範疇を意識の範疇に入れるというのがいいでしょうか。

 

例えば、やりたくない仕事があります。でもそれをやることでスキルアップすることがわかっているとします。

自分がその仕事を無意識の領域に運べば、知らずのうちに背中を向けているでしょう。

なぜならやりたくないというのが自分の中にある行動理由であり、無意識はしらずのうちに自分を本心へと向かわせますので

仕事をやらない方向へと持っていきます。

しかし自分はそんなつもりがないので、仕事に背中を向けている自覚がありません。

でもその行動理由は自分の中にあるのです。

 

ですが、意識の範疇に仕事を入れることが上手な人は、無意識に逃げそうな自分を意図的に意識の中へと入れようとします。

そうすると、自分がどんな状況かわかる「意識」の中に、どうなるかわからない「新しいチャレンジ」が入ってきて「意識」を広げてくれます。

その仕事をやり遂げた時、自分の「意識」は成長した新しい形を作り上げ、意識の範疇が広がるため無意識の範疇が少なくなりますので

自分の人生を上手に操れる人がおおいのかもしれません。

 

人生を自分の意図したように、逃げることではなく前進するための生き方へと変わっていくというのは、私は人生を豊かにする為に必須だと思っていますが、人によっては不要だと思うかもしれません。

今の自分こそ自分であり、今の自分が無意識的に避けていることはきっと自分にとって不要なものである、と。

それも決して間違いではないと思います。

無意識は自分の感覚に近いものがありますから、苦手なものから感覚的に離れるというのもひとつの生き方ですから否定するつもりはありません。

ですが、自分を高めていきたい、より人生を豊かにしていきたいと思ったとき、私たちが現在知っていることなんてのはこの世界のほんの一部分にも満たない

小さなものであり、今持っているものそれだけで自分を規定するというのは無意識の領域を広げどんどん殻に閉じ込めてしまうのではないかという疑念も浮かびます。自分を全否定する必要はありませんが、肯定しすぎると成長機会を失いかねません。

 

自分はどんな人間になりたいのか、40歳近くになると、そればかり考えてしまいます。

そして後悔します。無意識に生きてきた20代を。

 

もちろん今は未来の事しか考えてないですけどね。

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