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京都桂店
butterfly:6~TANAKAfamily~
投稿日:2019/11/15
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write by volvo
こんなに人の人生を、見届ける仕事があるだろうか?
例えばプランナーさんや式場の関係者など、結婚式に関わる仕事はどうだろうか?
それらの仕事の全てを知ってるわけではないけれど
式を挙げたあとも連絡を取り合ったり関わったりする事はほとんどないだろう。
自分もそうだった。
結婚式には満足していたし、幸せな時間をもらったと今でも思ってはいるけれど
申し訳ないけれどプランナーさんの名前を思い出すことはできない。
それでも式を挙げた1年後に手紙をくれたあのプランナーさんは素敵だったけれど。
例えば産婦人科はどうだろうか?
出産という人生の大きな出来事に、約1年間に渡って寄り添う仕事は人間の尊厳と文化を守っていく素敵で重要なお仕事だ。
出産までの間、少なくとも月に2、3回、多ければ月に一回は足を運ぶ。
それを約1年間続けると自然と関係性は発展していき、病院の方々も自分ことのように、親身になって接してくれる。
恥ずかしながら出産の事などは全くと言っていいほど分からない私にとって
産婦人科があるというのは出産に対する安心感があり、産まれた後の未来への期待に意識を傾けさせてくれた。
もちろん、生まれた後も定期的に顔を出すことはあるかも知れないが、それも子供が1歳になるぐらいまでだろう。
さて、フリは長くなったが何が言いたいかというと
私は田中ファミリーを子供が産まれる前から知っていて、4人目のマタニティまで写真を撮り続けさせてもらっているのだ。
つまり、店員とお客さんという括りで見ると、式場や産婦人科よりずっとずっと長く共に人生を歩んでいるのだ。
会うのは1年に一回かも知れない(最近記念日増えて2、3回きてるけれど笑)
それでも、確実に家族の思い出を記録し、田中ファミリーの歴史に必ず私がいると断言できる。
初めてお会いした時は、確か越谷店だったと思います。
その時はあまねちゃんも、あゆむくんも、もちろんあさひくんもいませんでした。
お腹の大きいママと、めちゃくちゃ楽しみにしてきてくれてるパパの2人でのご来店。
我々は当日の朝まで誰がどの撮影に入るかは決めていません。
私が必ず田中さんの撮影に入ったという確証もないし、今思えばこれも1つの奇跡だったかもしれませんが、
この時撮影に入ったのはカメラで私が、そしてコーデネーターで入ってくれたのは大橋さんでした。
私たち2人は、越谷店の所属ではなく、横浜青葉店の人間でした。2人ともです。
そんな小さな奇跡の連続で私たちは田中家の撮影に入ることになりました。
子供撮影が中心の私たちにとって、親御さんの呼び方は大体決まって「パパ、ママ」である。
ボルボ家のようにたま~に「ちち、はは」と呼ぶ特殊な家もあるけど・・・
まだ子供の産まれていない田中家の2人をどう呼ぼうか、まず撮影する前に四人で会議。
結局決まったのは「たくちゃん、えみちゃん、ボルボ、みーちゃん」
さすがに最近の撮影ではこうは呼べないけれど、最初にそのように決めたことが
今日までの関係を作ったような気がしています。
パパはいまだに自分のラインのアイコンを、この時撮影したミニクーパーの運転席の写真にしてくれています。
その後、三人になり、四人になり、五人になり・・・撮影を重ねるたびに変わっていく撮影の雰囲気と家族写真。
そして変わらないパパママのキャラクターと子供達への愛情。そして私たちへの配慮もいつも忘れないでいてくれます。
*人見知りで泣きまくってるあさひを七五三の傘であやすパパ
田中家は養鶏場を営んでいます。
それもあって、撮影時にはその日にとれた新鮮な卵を持ってきてくれます。
これは正直撮影と全く関係ないですが、この卵がまた最高においしくて・・・
一番おいしい食べ方はTKG(たまごかけごはん)
焼いたりするのももったいないくらい、オレンジに近い色の黄身はとっても濃厚ですw
初めて持ってきていただいた時、ボルボ家は全員でとりこになり、しばらくネットで定期購入してました笑
もうすぐ4人目が産まれます。
ママ以外の全員が勝手に名前をつけてもう呼んでいるらしいです笑
4人目のマタニティも撮影することができました。
次は六人での家族写真。半年後にもう決まっています笑
「子供増えたら記念日ばっかで回数増えちゃうよ」と嘆きながらも嬉しそうなパパ
「四人いたらもう兄弟写真なんて撮れないかもしれない」と心配するママ
いくらこれからもずっと撮影していきたいと思っても
立場や環境が変われば、関係性を維持するのは難しいと誰もが思うでしょうし
それは仕方のないことだと思うでしょう。
来年小学生になる長男のあさひくん。私の娘と同じです。
いろんな境遇がある中で、関係を続けていく為の一番の方法は
「少なくともどんな状況になろうとも、自分から関係を投げ出さないこと」だと思っています。
重要なのは「来年どうなるかなあ」ではなく「来年はこうする」と決めること。
みなさんは家族の歴史をずっと一緒に辿る店員に出会ったことはありますか?
私はもちろんありません。
でも、私が田中家の歴史にそのように関われているということが本当にうれしいです。
【この関係性は、私の自慢だ】
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